1-3 いわゆる現代のYOSHIKAWA

「いやいや、判断を急ぎすぎるのはよくありません」

 ホァユウが穏やかに言った。ズールイはどこか間違えただろうかとどきどきし、ト・チョウジュは他に何があるのだと言わんばかりのしかめ面になった。

「先にトさんに伺いますが、仮に今あなたの言われた通りだとして、リィ・スーマは何でまた首吊りと火付けをいっぺんにやったんでしょう?」

「無理心中みたいなもんだろう」

「だったら、どちらか一つでいいじゃありませんか。縊死か焼死、二つも味わう必要はない」

 思わぬ指摘にト小理官は腕組みをした。見たくないであろう死体をちらと一瞥し、それから腕組みを解くとわざとらしくぽんと手のひらを打った。

「確実に死ぬためだ。首吊りで死に損なったとしても、火が回ればいずれ死ぬ。どうだ?」

「一理あるような気がしないでもありませんが、現実には火はかなり早めに消し止められていますよ」

「むむむ……焼け死に損なったから首を吊ったなんてことはあるまいし」

「火消しの作業中に見付かると思うよ。それにその順番だと、縄がこんなには焼けない」

 ズールイがずばり、欠陥をあげつらう。ト・チョウジュは頭を掻きむしった。

「これ、ズールイ。君もそんなに偉そうな口は叩けないんじゃないかな」

「は、はい。何でしょう。落ち度があったんだろうなとは分かるんですが、何を見落としたのかはまだ皆目……」

 背筋を伸ばした弟子に対し、苦笑を挟んでホァユウは指摘に入った。

「女性の指だ。先に私が視たからと言って、君が多少手を抜いていいことにはならない」

「はあ、手を抜いたつもりはなかったんですが、安心はしていたかもしれません」

「いいから、彼女の両手の指をもう一度視てごらん。何か発見があるはずだ」

「はい」

 師匠と弟子のやり取りを、トがややいらだたしげに見守っている。その内、貧乏揺すりでも始めてしまいそうだ。

「あっ、焼けたのと煤とで分かりづらくはなっていますが、これ、爪の間に何か挟まっているみたい」

「そう。家が燃える前に、何かを引っ掻いている。ここで留意すべきは、縊死と絞殺・扼殺とを見分ける判断材料についてだ」

「ああ、そうか。分かりました。この女性は首を絞められた。その際に意識があれば、凶器の縄を振りほどかんとして指を縄と自分の首との間にねじ込もうとしたり、犯人の手や腕を引っ掻いたりする。結果、自身もしくは犯人の皮膚や肉片を剥ぎ取って爪の間に残ることがある。これですね、師匠?」

「その通り。そう意識して改めて女性の首を観察してみなさい。灰まみれで分かりにくいとはいえ、見えない訳ではない」

「――ありましたっ。首の左側に引っ掻き傷が。でも、右側には見当たりません」

「想像だが、右手は犯人の腕を引っ掻いたんだろう。無論、それだけで犯人がどちらの腕に傷があるかなんてことは、分からないがね」

「いや、それだけで大きな手掛かりだ」

 ト・チョウジュが色めき立つ。

「改めて整理するぞ。さっきの私の見立ては取り消しだ。犯人は男を刺殺し、女の仕業に見せ掛けるために首吊りを装って、女をも殺した」

「火を放ったのは? 殺しの発覚が早くなるだけのようにも思えません?」

「それは……引っ掻かれたことを隠すためだ。火を放てば、すべてが灰になり、女の爪なんて誰も気にしない、調べても分からなくなると犯人は踏んだに違いない」

「なるほど、うん。でも……」

 ホァユウが首を傾げるのへ、ト小理官は片眉を上げて問う。

「何だ、どこかご不満でもあるかい?」

「結果から見れば火を放った意味はなかったことになっている」

「それはまさしく、結果論だ。犯人の目論見が失敗したってことさ」

「うーん。それにねえ、わざわざ火を放つなんて不確実で不利益も大きい手段を執らなくても、もうちょっと簡単なやり方があったと思える」

「もったいぶらずに言ってくれよ、その簡単な方法とやらを」

「オウ・カジャの腕に引っ掻き傷を付けるんです。痴話喧嘩をして、男の腕に掻き傷ができた。それを発端に男は刺し殺され、女は絶望のあまり死を選んだ、という風に見えるんじゃないでしょうか。ああ、女の首の爪痕が辻褄が合わないから、そこは逆に男に引っ掻かれたように偽装しなければいけませんけど」

「ふん。確かに理屈の上では、それがよりすぐれた方法のようだ。だが、すべての人間がおまえと同じように発想できるとは思うなよ。だいたい、犯人は人を殺めて動揺してるんだから、最善の策を思い浮かべられなくても不思議じゃない。どちらかというと、手っ取り早く片が付きそうな方法を選んでしまいがち、と言えないか?」

「そうですね。あなたの言うことにも納得できます。しかしそれでも、性急な決めつけは自重するように忠告申し上げたい」

 頭を垂れたホァユウに、ト・チョウジュは顎をひと撫でし、片目を瞑った。そして短い息をつくと、

「しょうがないな。そう言われると弱い。何せ、私も他の者もホァユウ先生、あんたの判断で随分と助けられている。報告書を記すのは、じっくり調べてからにすると約束しよう」

 と自らの決意を固めるためもあってか、力強く言い切った。

「お願いしましたよ。さて、ズールイ。他に特記しておくべき点があれば、挙げておこうか。気付いたことを遠慮なく」

「それでは……実は気になったことがあります。ホァユウ師匠はこちらの殿方の着物にはまだ触れていませんよね?」

「そういえばそうだね。そんなことを言い出すからには、まずはさわってみてくれと?」

「はい」

 真っ直ぐな目で見上げてくるズールイは、こくこくとうなずいた。ホァユウは数歩移動して、オウ・カジャの遺体に掛けられた着物に手を置いた。ぺたぺたと何箇所かに触れてみて、小首を傾げる。

「――これは、なるほど、少し変と言えば変かな。いや、しかし、何とも言えないか」

「でも、こっちとは明らかに違います」

 ズールイはリィ・スーマの着物に触れながら声高に言った。そこへ、ト小理官がいささか辟易の体で割って入った。

「おまえさん方、分かるように言ってくれんか」

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