第8話 縦から横へ

ヘッドライトが沼の底に消え、ふたたびぼんやりとした半月のあかりだけがあたりを不気味に包み込む。ゆっくりゆっくり音がしないように進んでいたあたしたちに、修也たちを殺した何かの気配は感じられなかった。ひたすらゆっくり中腰で進む…

たった一つの小さなあかりを目指して。

「すまない、無理やり手を引いてきて。ケガは無いか?」

小さい声ながらも力強い声があたしの耳をかけぬけた。

わたしはただうなずくことしかできなかった。

「よかった。」

男はただそれだけつぶやくと再び足を進めた。足を動かし始めると、あたりの静けさがさらに増したように感じた。山の空気は冷たいが澄み渡っていた。

「あっ!」

声にならない声があたしから飛び出す。左足を滑らせ沼に向かって滑り落ちそうになったからだ。思わずあたしは男性の腕をつかんだ。

「うっ!」

あたしが無意識につかんだ男性の腕にはぼんやりながらも何かが刺さっているのが見えた。弓?? さっきの出来事の間に撃たれてしまったのだろうか。

「ごめんなさい。」

かすかな声でとっさに出た言葉だった。そして、車が沈んだ対岸に近い沼のほとりが騒がしくなった。1人・2人・・・3人・・・・4人。人影がぼんやり見えた。手には懐中電灯を持ち、4つの灯りはあたりを照らし始めた。そして、じっとしているあたしを一筋の光がとらえた。そして、静かな水面に響き渡る奇声。

「行くぞ。」

男性はあたしの腕を引きちぎるかのような力でひっぱり、走り始めた。のびきった草が足を取り、それを必死で振り払う。そして、息を切らしながら赤い光に近づくと光の正体がわかった。建物だ。それは小さなコンクリート製の建物だった。何かを管理するものだろうか。3m四方の小さな建物には小さな窓のような隙間と錆びついた金属製のドアが1つずつあるのが見えた。この窓から赤い光が見えていたのだ。あたしたちが建物までたどり着くと、迫ってくる懐中電灯が2つになっていた。いや、違った。沼の反対側からも2つの灯りが近づいてくる。

はさみうち…。男性が片手で錆びたドアを必死で開けようとしている。あたしもすぐに力をかした。ドアには鍵などかかっていないらしく鈍い音を立てて開く。わずかな隙間が空いたときあたしは男性に扉の中に押し込まれた。そして、あたしは男性の手を引っ張った。

「早く入って!」

ドアの隙間がさらに開き、男性も中に転がり込んだ。閉めなきゃ…あたしは全体重をドアにかけ、鈍い音とともにドアを閉めた。鍵かけなきゃ…暗がりの中、ドアのカギを手探りで探した。ただ、そこには鍵らしきものはついていなかった。建物の中には金属製の鉄格子のようなものがあり、機械らしきものがうっすら見える。無機物だけでできた建物に奇声がどんどん近づいてくる。冷たく湿った建物の中に、あたしの携帯のライトが灯った。ロープのようなものがむき出しになっているのが見える。ワイヤーだ。この建物の天井がやたらと高いのがわかった。小型の金属製のエレベーターが備え付けられていた。赤い光の横に上下だけ書かれたボタンが携帯のライトが照らした。あたしの指がそのボタンを押すと同時に、2つの轟音が山中に響き渡った。

不気味なモーター音とともに、ワイヤーが巻き上げられる。同時に鉄製のドアをガンガンと叩く金属音が響く。男性は必至でドアを体全体重で押さえている。

あたしの携帯の灯りの先には、ゆっくりと鈍く響く音と共に小さな金属のかごが上がってくるのが見えていた。不気味な色の金属板と音…。最後に使われたのはいつなのかもわからないような音で上がってくる。そして、あたしの前に3人も乗れないほどの小さな金属製のかごが停止した。見るからに不気味で暗い中でも湿っているのがわかったが、あたしはそれに乗っていた。

「ねえ、これに乗って!」

思わず男性に向かって叫んだ。

「先に!先に行け!」

男性が怒鳴るような声があたしを動かした。ボタンどこ??昇降ボタン…

携帯の灯りで必死にあたりを照らした。それはすぐに見つかった。冷たいエレベーターのふちにあったボタンをあたしは押す。グォォォン とまたさっきの轟音が響き渡りゆっくりと下降を始めた。

「早く!乗ってよ!」

あたしが男性にあかりを向けると、エレベーターは下降速度を速めた気がした。もう乗れない…。そう思うとこまで下降したとき、あたしの頭上に男性の飛びのる音が聞こえた。そっと見上げると男性がエレベーターの頭上の金属製の網に横たわっていた。あたしが男性の方に灯りを向けると、男性は少しだけほほえんだように見えた。道案内をしてくれた男性… お父さんはあたしが手を引かれ走る横で亡くなっていたのを思い出した。あたしたちの道案内さえしなければ…あたしたちがあの女性さえ送らなければ…修也が近道なんかしようって言わなければ…

ドンという音と共に、エレベーターは停止した。はるか上の方でまだ奇声が聞こえている。あたしはゆっくりとエレベーターを降りた。ただただまっすぐなコンクリート製のトンネルがわずかなあかりに照らされて続いているのが見えた。

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静寂のダム湖 ぽたん @dorianhipo

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