新婚旅行――8

 旅館を出た俺たちは、ぶらぶらと町を歩いていた。


 隣を見ると玲那と目が合う。


 玲那がふわりと微笑み、俺も笑みを返す。言葉を交わさずとも、心が通じ合っているような感覚。


 なんか、こういうのいいな。


 昔の歌に、『なんでもないようなことが幸せだったと思う』との歌詞が出てきた。はじめて聞いたときは、『そんなもんなのかなあ』と思うだけだったが、玲那と結婚したいまならばしっくりくる。


 特別なことはしていない。イチャついているわけでもない。ただふたりで町を歩いているだけ。


 なんでもないようなこと。なんでもないような時間。それでも、繋いだ手から伝わる温もりに、愛しいひとが隣にいることに、胸が満たされる感覚がする。


 もしかしたら、誰かを好きになるということは、なんでもないようなことで一喜一憂いっきいちゆうするようになることを指すのかもしれない。


 なんてことを考えていたら、『深窓の令嬢』モードの玲那が、進行方向にある小道を指さした。


「涼太さん。あの小道に入ってみませんか?」

「わかってるな、玲那。ああいう小道にこそ散歩のロマンが詰まってるんだ」


 俺はフッとキザったらしい笑みを浮かべる。


 散歩好きなら同意してくれると思うが、どこに繋がっているかわからない道を見つけたら、ついつい踏み入ってみたくなる。どこに繋がっているか確かめたくなるものなんだ。


 期待に胸を膨らませる俺を見て、玲那がクスクスと笑みを漏らした。


「子どもみたいですね、涼太さん」

「おっと、突然のディス」

「ディスってなんかいませんよ。女性が男性に言う『子どもみたい』は、『子どもみたいにイキイキしている』という意味の褒め言葉なんですから」


 ちょっとだけ不機嫌になる俺に、玲那が顔を近づけてくる。


 耳元で玲那がささやいた。


「子どもみたいなお兄ちゃんを見ると、わたしはキュンキュンしちゃうんです」


 その発言と甘ったるい声色に、俺の心臓が跳ね上がった。


 一瞬だけに戻った玲那が、再び『深窓の令嬢』の仮面を被る。


 口をパクパクと開閉させる俺に、玲那がニコニコと笑みを向けてきた。


「おや? どうしたんですか、涼太さん? 顔が真っ赤ですよ?」

「……わかってるくせに」


 俺にはそう返すのが精一杯だった。そんな俺の様子に、玲那がますます笑みを深める。


 玲那のそばにいると心臓がもたないなあ。本当、からかうのはほどほどにしてほしいもんだよ。


 とがめるような目をしてみても、玲那は涼しい顔をしている。


 はぁ、と溜息をつき、俺は玲那の手を引いて小道へと向かった。


「ほら、行くぞ」

「はい♪」


 俺がない口調をしているのは単なる照れ隠しだ。そのことがわかっているのだろう。玲那の目は猫みたいに細められていた。


 小道は住宅と住宅のあいだにあるもので、五〇メートルほど続いていた。


 小道を抜け――俺と玲那は言葉を失った。


 新緑の若葉をたたえた木々。


 白波を立てる清流。


 小道の先にあったのが、雄大な大自然だったからだ。


 爽やかな風が吹き、木々を揺らした。若葉がさやさやと葉擦れの音を立て、ざぁざぁとした清流の川音と混ざり合う。


 青と緑のパノラマ。大地と大河のコンチェルト。大自然の美しさに、俺と玲那は立ち尽くすことしかできなかった。


 しばし呆然として――玲那がポツリと呟く。


「……キレイですね」

「そうだな」

「こういうときは、『きみのほうがキレイだよ』と言うものですよ?」

「玲那は相変わらずだな」


 圧巻あっかんの景色の前でも玲那は平常運転のようだ。ほんの数秒前まで感動の面持おももちをしていたのに、いまはニヨニヨとあおるような表情で、いつものように俺をからかっている。


 そんな玲那を見ていると、ふつふつと対抗心が湧き上がってきた。


 ……やられっぱなしでいるのも悔しいよな。


 玲那が浴衣姿を披露したとき、俺はつい本音で褒めてしまった。そのことが影響して開き直ったのかもしれない。いつもなら言えないセリフが、スルリと俺の口から出てきた。


「比べるまでもないだろ。もちろん、玲那が一番キレイだぞ」

「ふぇ?」


 歯が浮くようなセリフだったが、効果はてきめんだったらしい。玲那のニヨニヨ笑いが引っ込んで、代わりに恥じらいの表情が出てきた。


 二重まぶたの目がまん丸に見開かれ、頬は熟した桃のように上気し、唇はモニョモニョと波打っている。非常にレアな表情だ。


 玲那は視線を右往左往させて、道の先から歩いてくるひとりの女性に目を留めた。


「りょ、涼太さん、写真を撮ってもらいませんか? せっかくの素晴らしい景色ですし!」


 玲那が急に話題を変える。明らかな照れ隠しだ。


 慌てる玲那が愛らしすぎて、ついついイタズラ心が刺激される。


「たしかにいい景色だしな。可愛いらしい俺の奥さんと一緒に撮ってもらおう」

「にゃっ!? か、からかわないでください!」

「いつも俺をからかっている玲那が言えることじゃないだろ」


 俺がニヤリと口端を上げると、玲那は「むぅ……っ!」と唇を尖らせた。俺の言うことが正論過ぎて、反論できない。それが悔しいようだ。


 慌てる姿も、照れる姿も、ねる姿も愛おしい。こういう姿が見られるなら、もっともっとからかいたいと思ってしまう。


 ああ、そうか。玲那はいつもこんな気持ちなのか。どうして玲那がことあるごとに俺をからかってくるのか、わかった気がする。


 好きだから、愛おしいから、ついついからかってしまうんだ。


 俺が玲那の心境を理解するなか、玲那は頬を膨らませて俺を睨んでいた。


 が、いくら睨んでも敵わないと思ったのか、玲那はぷいっと顔を背け、歩いてくる女性に写真撮影を頼みにいった。


 玲那の頼みを聞いた女性は快諾かいだくし、渡されたスマホを受け取る。


 俺と玲那は、背後に木々と清流がくる位置に立った。


「いいですか? 撮りますよー?」


 女性がスマホを構える。


 と、玲那が俺の腕を抱くようにして体を寄せてきた。


 ひかえめながらもたしかにある胸の感触と、キンモクセイに似た甘い匂いに、俺の体温が急上昇する。


 カシャリ


 そのタイミングでシャッターが切られた。


 写真に収められた俺は、さぞかし赤い顔をしていることだろう。


 玲那の不意打ちに、俺は頬をピクピクさせる。


「や、やりやがったな、玲那」

「ふふんっ、さっきのお返しです」


 玲那はニンマリと口元にを描いていた。『ドッキリ大成功!』みたいな表情だ。


 俺たちのやり取りを眺め、写真を撮ってくれた女性がクスクスと笑みを漏らす。


「お二人はカップルですか?」

「いえ、夫婦です」


 俺に仕返しできて上機嫌なのか、玲那が弾んだ声で女性に答えた。


 女性が「あら!」と目を見張る。


「お若いご夫婦ですね!」

「『少子化対策法』が施行された日に、わたしから猛アプローチしまして」

「あらあら。こんな美人さんに惚れ込まれるなんて、旦那さんは幸せ者ですね」


 女性が温かい目を向けてきた。


 玲那も笑顔で俺を見上げる。しとやかな顔をしているが、玲那の目はからかいの色を帯びていた。


(そうですよねー。お兄ちゃんは幸せ者ですよねー。自分のことが大大大大大好きな奥さんがいるんですもんねー)


 俺にしか聞こえない声量で、玲那がおちょくってくる。


 ほほーう? やられたらやり返すってか? そっちがそのつもりなら、徹底抗戦てっていこうせんと行こうじゃないか。


 仕返しされて悔しい思いをしていた俺は、玲那の肩を抱き寄せた。


「はぇ?」と玲那がみょうな鳴き声を上げるなか、俺は女性にニッコリと笑ってみせる。


「はい。彼女は俺に尽くしてくれるし、愛してくれるし、寄り添ってくれます。きっと俺は世界一の幸せ者でしょうね」

「~~~~~~~~っ!!」


 声にならない叫びを上げて、玲那が悶絶もんぜつした。


 瞬間湯沸かし器みたいな勢いで、玲那の顔が赤く染まる。漫画やアニメなら、頭から湯気が上っていたことだろう。


 真っ赤になった顔を両手で覆い、玲那がプルプルと羞恥しゅうちに震える。


「や、やってくれるじゃないですか」

「いつまでも負けっぱなしでいると思うなよ?」


 指の隙間から恨みがましい目を向けてくる玲那に、俺は口端をつり上げてみせた。


「アツアツですねー。甘々ですねー。無性むしょうにブラックコーヒーが欲しくなりましたよー」


 写真を撮ってくれた女性が、「あははは」と乾いた笑いを漏らした。

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