新婚夫婦のお約束――2

 夕食をとり、宿題をこなし、入浴を済ませた俺と玲那は、リビングのソファに座ってテレビの画面を眺めていた。


 相原家のテレビはスマートテレビで、動画配信サービスを利用できる。Am○zonプライムに登録しているので、たくさんの映画・ドラマが見放題だ。


 俺と玲那が観ているのは、三年前に公開された、海外のラブロマンス映画だ。なかなか泣けるストーリーで、映像・音楽ともに美しい。全世界で大ヒットしたそうだが、そうなるのもうなずける名作だった。


 ただ……過激なシーンが多すぎないか?


 しぶい顔をする俺の前で、主人公とヒロインがベッドで絡み合っている。当然のようにどちらも裸で、熱烈なキスを何度も何度もしていた。


 しかも、主人公とヒロインは兄妹らしい。非常に気まずい。どうしても俺たちの境遇と重ね、どうしても隣にいる義妹を意識してしまうから。


 ちなみに、この映画を選んだのは玲那だ。作為的さくいてきな匂いをとてもとても感じる。


 ちらりと横をうかがうと、黒水晶モリオンみたいな玲那の瞳とぶつかった。熱っぽい眼差しがこちらに向けられている。


 慌てて顔をテレビのほうへ戻す。それでも隣が気になって仕方がなかった。いまだに玲那の視線を感じるからだ。


 わざとだよな。誘ってるよな。俺の理性を削りにきてるよな。


 風呂上がりなので玲那の髪はしっとり濡れており、いつも以上にいい匂いが漂ってくる。パジャマ姿が庇護欲ひごよくをくすぐり、物欲しげな表情が獣欲じゅうよくをかき立てた。


 もはや映画の内容はこれっぽっちも頭に入らず、俺の意識は完全に玲那に向いていた。


 それでも俺はテレビ画面を見続ける。いな、睨み続ける。


 思い通りにはさせないからな、玲那! 俺は流されないからな!


 俺と玲那の無言の攻防は、それから一時間以上続いた。





 映画は先ほど終わり、時刻は午後一〇時過ぎ。早朝ランニングを習慣にしている俺たちは、ちょうど眠りにつく時間帯だ。


「耐えた……!」

「もーっ! お兄ちゃんは強情ごうじょうすぎます!」


 玲那の謀略ぼうりゃくと己の煩悩ぼんのうに打ち勝った俺は、階段を上りながら、映画『ショーシャンクの空に』のポスターみたいなポーズで勝利を噛みしめていた。後ろをついてくる玲那は、きっと膨れ面をしているだろう。


「俺が強情なんじゃない。お前が享楽的きょうらくてき過ぎるんだ」

「ひとを色情魔しきじょうまみたいに言わないでください! わたしが積極的になるのはお兄ちゃんだけです!」

「そっ、そういうとこだぞ、玲那!」


 なんだよ、『わたしが積極的になるのはお兄ちゃんだけです』って。そんな男心をくすぐるセリフ、頼むからやめてくれ。抑えてる欲望がき上がってくるだろ。


 火照ほてった顔を玲那に見られないよう注意しながら、階段を上り終えて二階の廊下を進み、俺は自室のドアノブをとった。


「おやすみ、玲那」

「おやすみなさいのチューがまだですよ、お兄ちゃん」

「だからやらないって!」


 唇を近づけてくる玲那の額を手で押さえ、俺はそっぽを向く。


 グイグイきすぎだろ。どんだけ攻撃力高いんだ、お前は。


「明日もランニングについてくるんだろ? バカやってないでさっさと寝るぞ」

「むぅ……仕方ないですね」


 不満そうにしながらも、玲那が唇を近づけるのをやめる。


 俺は胸を撫で下ろし、ドアノブを捻った。


「改めておやすみ、玲那」

「おやすみなさい、お兄ちゃん」


 ドアを開け、部屋に入り、ドアを閉める。


 俺の真横には玲那がいた。


「……なぜいる?」

「お兄ちゃんの後ろをついてきたからに決まってるじゃないですか」

「『どうやってついてきたか』じゃない! 『なにが目的でついてきたか』をいてるんだよ!」

「わたしたちは夫婦ですよ? しかも新婚です。一緒に寝ないでどうするんですか」

「本当に無茶苦茶だなあ、お前は!」


 頭をガシガシと掻きむしる。


 さっきの映画で相当理性を削られているんだ。ギリギリのところで我慢しているんだ。それなのに一緒に寝たら、俺は間違いなくあやまちを犯す。一線を越えてしまう。それだけは避けないといけない。


 落ち着け、俺! 頭を冷やせ! 平常心! 平常心!


 気持ちを静めるために深呼吸していると、玲那が唇を尖らせた。


「わたしが無茶苦茶なのは認めます」

「認めるんかい」

「けど、お兄ちゃんはガードが固すぎじゃないですか? わたしたちは夫婦ですし、をしてもおかしくありません。むしろ、『少子化対策法』にのっとっていると思いませんか?」


 玲那の物言いに、俺はすぐには反論できなかった。


 玲那の言ってることは正しい。


 たしかに玲那は積極的すぎるけど、俺たちがをしてもなにも問題ない。違法じゃないしとがめられることもない。その過程で子どもができれば、少子化対策に貢献こうけんしたと喜ばれるだろう。


 はっきり言って、俺が奥手すぎるんだ。


 玲那の瞳が静かに俺を捉えている。ふざけた様子は一切なく、真剣な表情で俺の答えを待っている。


 ……打ち明けないわけにはいかなそうだなあ。


 深い深い溜息をつき、ばつの悪さに頬を掻きながら、俺は告白した。


「……自信がないんだよ」

「大丈夫です。わたしもはじめてですから」

「話の腰をシモに折るな! 『自信』ってのは、『夫として玲那を支える自信』のことだよ!」


 俺の告白が思いも寄らないものだったからか、玲那がキョトンとする。


「俺と玲那は結婚したけど、とてもじゃないが自立できてるとは言えない。生活費を父さんと母さんに頼ってるし、将来の見通しもついてないんだから」


 俺と玲那は夫婦だ。いずれ父さんと母さんの庇護を放れ、ふたりで生計せいけいを立てていかなくてはならない。


 だからこそ、俺はためらっているんだ。玲那を支えていけるかわからないから。まだまだ俺は弱いから。


「俺はいまだにトラウマを克服できずにいる。をして、玲那の未来をもらって、責任をとる自信が、いまはまだないんだよ」


 俺の情けない告白を、玲那は黙って聞いていた。文句も不満も口にせず、ただ俺を見つめながら。


 そう。俺には自信がない。能力もない。財力もない。


 ただの子どもだ。


 玲那と結婚したし、一生を捧げると誓ったが、それでもいまは、に過ぎないんだ。


 俺は弱い。


 けど、いつまでも弱いままでいるつもりはない。


「だから待っていてほしいんだ。ちゃんと玲那を支えられるようになるから。そのときは玲那の想いに応えるから。その……俺も、玲那とはしたいし」


 精一杯せいいっぱい宣誓せんせいに、玲那の頬にしゅがさした。


 慣れないことをした俺も、顔が熱くて仕方ない。


 互いに無言で見つめ合うことしばし、玲那が口を開いた。


「……わかりました」

「そうか……悪いな。お前には我慢をいるけど――」

「おやすみのチューをしましょう」

「全っ然、わかってないじゃねぇか!!」


 俺、勇気を振り絞って告白したんだぞ!? 宣誓したんだぞ!? だってのに、なに平然とキスを要求してんの!? ここは一歩引いてくれる場面じゃないですかねぇ!? 俺が不甲斐ふがいないのが悪いんだけどさ!!


 玲那の真っ直ぐな瞳から逃れるため、俺はそっぽを向く。


「だ、だからできないんだって! 俺も我慢してるんだって! 本当はしたいんだって! それなのにキスしたら、止まれなくなるかもしれないだろ!?」

「はい。わかってます」

「だったら――」


 いまは待ってくれ。と続けようとした俺に、玲那がスッと顔を近づけてきた。


「けど、待てません」


 頬に触れる柔らかい感触。


 なにが起きたのかわからず、俺は息を忘れる。


 呆然としたまま、俺は柔らかいものが触れた場所に手をやった。そんな俺を、玲那が潤んだ瞳で見つめている。


 ささやくほどの声量で玲那が言った。


「……あんな告白されたら、我慢できるわけないじゃないですか」


 恥じらいの表情が狂おしいほど愛おしい。


 玲那が自分の唇に指で触れ、逃げるように部屋から出ていった。


 パタン、とドアが閉められる。


 数秒ののち、俺はへなへなと崩れ落ちた。


 バクバクと心臓が鳴っている。全身が湯たんぽになったみたいに熱い。ギュギュギュギューッとかつてないほど胸がうずいている。


 間違いなくリンゴより赤くなっているだろう顔を両手で覆い、俺はポツリと一言。


「……反則だろ」





 翌日の早朝ランニングは中止になった。


 俺も玲那も、一睡いっすいもできなかったからだ。

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