十二月二十一日 おやすみ 参

「葵、鈴宮さんが来てくれたよ」


 元気な声と同時に障子が開けられ、空木はびくりと肩を震わせた。油を指し忘れた機械のように振り替えれば、眉をつり上げた母がいる。目をそらし、通信簿をつけていた判を置いた。


「仕事はしないっていう約束はどうしたんだい?」

「モウシマセン」


 娘の言葉に、そうだろうそうだろうと頷いた母は腰に手をあて、釘を刺す。


「この前、お馬鹿な誰かさんはちゃあんと病気が治ってないのに、仕事をしててぶっ倒れたからねぇ。この忙しい師走に面倒事を増やさないでちょうだい」

「ゴモットモデス」


 部屋の入り口に立つ杏は目を真ん丸にして、空木の姿を見ていた。悪さをして叱られている兄の姿が重なる。大人でも怒られるのだと杏は初めて知った。

 よし、と言いはなった母は杏に見張っててちょうだい、と申し付けて店の方へ消えていく。

 空木は気まずそうに上目使いで様子をうかがい、困ったように目を細めた。準備しておいた座布団をひいて、どうぞと促す。

 杏は文机に体の横を向けた空木と向かい合うようにして座った。


「鈴宮さん、この前はすみません。せっかく来てくれたのに、お相手できなくて」


 照れ隠しをするように空木が笑う。

 杏は髪が乱れるのも気にせずに首を振った。膝の上にのせた風呂敷が目に入り、ぴたりと動きを止める。何か言いたそうに軽く口を尖らして、風呂敷の結んだ部分を手遊びし始めた。

 何もせずに待ってもいいが、まずはもてなそうと空木が腰を上げる。


「何か、飲み物を準備しましょう。お茶でも大丈夫ですか」

「あ、あの」

「はい。何でしょう」


 慌てて顔を上げた杏に空木はゆっくりと返事をした。


「お、お湯がほしいです」

「……お湯ですね」

「ぁ……ち、ちがい、ままますっ。く、くず湯を、ももも持って、きた、ので、えっと」


 飲みませんか、と消え入りそうな声で提案された。

 合点のついた空木は火鉢の鉄瓶(鉄やかん)を指差す。


「これでいいなら、すぐに用意できますよ」


 杏は赤べこのように首を振った。

 部屋を出た空木は台所の棚から湯飲みを二つ取り、少し考えて注ぎ口のついた小鉢と匙を追加した。

 空木の持ち込んだ道具で、杏は早速作業に取りかかる。まず、湯飲みの一つに湯を注ぎ、少し置いた後、その湯をもう一つの湯飲みに移した。最後に小鉢に湯を移して、二つの湯飲みに持ってきたくず粉を入れる。ほどよく冷めた小鉢の湯を戻し、だまがなくなるまで混ぜた。白い液に熱湯を注ぎ入れ、とろみを確認してから砂糖と小豆粉を入れれば完成だ。


「上手ですね」

「混ぜるのは、得意です」


 空木の誉め言葉に杏は頬を染めて喜んだ。

 火傷をしないよう、よくよく息を吹き掛け一口飲んだ空木は、ほっと息をはく。ゆっくりと胃の腑に落ちていくくず湯が体をあたためてくれた。


「明日は元気に学校に行けそうです」


 空木のゆるんだ笑顔に、杏は満面の笑みで、楽しみですと答えた。



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