十二月十九日  ようがし 中

 明くる日、杏は約束通り本条邸に足を踏み入れた。使いでもないのに訪れることは勇気がいるが、使い慣れている裏口から入るので表の門から入るよりは幾分か気が楽だ。勝手口の扉を開けて中を覗きこむ。

 白い帆布でできた前垂れエプロンをつけた克哉が腕まくりをしていた。目と目が合い、にっと口端を上げる。


「よく来たな、アン」


 いつもと違う出迎えにくすぐったい気持ちになる。扉との隙間を抜けた杏は克哉の隣に並んで、机の上を見た。

 大きなボウルには橙色の練り物が入っていた。なめらかなそれは、餡に似ているが、小豆色や白、ずんだ、茶豆と種類を知る杏でもわからないものだ。さつま芋や栗でもない。しかし、その鮮やかな色に確かに覚えがある。あれでもない、これでもないと考え、ふと克哉が昨日、抱えていたものを思い出した。


「……南瓜かぼちゃ?」

「そうだ。蒸したやつの皮を剥いて、すりつぶした」


 今から作る菓子に使うと付け加えた克哉は新しい鉢に牛酪バターと砂糖を入れて、玉葱のような細い金属がついた器具でかき混ぜ始めた。

 豆鉄砲を食らった鳩のように目を瞬かせた杏は克哉が持つ器具を見つめる。

 視線に気付いた克哉も動きを止め、自分の手元に目を移した。


「これが気になるのか?」


 と、克哉は器具を持ち上げた。

 杏が素直に頷くのを受けて、克哉は手に持つものを差し出す。

 杏は理解できぬまま、両手で受け取ってしまった。

 杏の手の内のものを指して、克哉は説明し始める。


「それはな、泡立て器ホイッパーと言うんだ。メレンゲ……だとわからないな。卵をかき混ぜたり、生地を混ぜ合わす時にとても役に立つ道具だ」


 やってみるか? と克哉は何の気なしに言ってのけた。

 杏はもう一度、泡立て器を見下ろした。混ぜるだけだから簡単だぞ、と横から追い打ちがかけられる。ぎこちない動作で、杏は混ぜ始めた。

 牛酪、砂糖の入った鉢に、卵、こした南瓜、ふるった小麦粉を足し合わせていく。回す重みがどんどん増すが、杏は一生懸命に混ぜ続けた。できた生地を型に流し入れ、窯で焼き上げれば完成だ。


「かぼちゃのケークだ。冬至も近いし、見舞いの品にはちょうどいいだろう」

「見舞いの品?」

「先生の土産にぴったりだろう?」

「……これ、しょうかのいい食べ物ですか?」


 杏の母は、風邪を引いたら、しょうかのいいものを食べなさいと粥やよく煮込んだうどんを出してくれる。目の前のケークは美味しそうに湯気をあげているが、腹にどしりときそうだ。

 杏の言葉は盲点だったらしく、克哉は笑顔のまま固まった。


 結局、かぼちゃのケークは二人で一切れずつ食べ、残りは台所女中達に配った。


 

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