十一月二十九日 はじまり 中

「缶けりが、したいんです」


 ほぼひと息で言えただけで、杏は感動してしまった。いつもなら四回はつかえる所だが、何度も練習したおかげだ。

 缶けりですか、いいですねと空木は笑顔で相づちをうってくれる。そして、缶けりをすることが杏にとって、とても難しいことを理解していた。

 まず、恥ずかしくて声をかけれない。第二に声をかけられたとして、ちゃんと言えない。そして、運動が不得手なので、ちゃんと遊べるかどうかがわからない。

 最後は抜きにしても、皆の輪に入ることから始める必要がある。

 なかなか友達と言える存在ができない杏は、一人ではどうしようもできないと優しい空木に相談に来たのだ。皆が簡単にできることが自分にはできない。そんなことで忙しい家族の手を使いたくない。空木の手を借りることも申し訳なく思うが、たびたび皆と遊ばないのかと声をかけてくれた。きっと手伝ってくれると杏は勇気を振り絞ってここにいる。

 空木はなかなか次を踏み出せない杏に優しく訊ねる。


「理由を聞いてもいいですか」


 よかったら、ですけどと空木は付け加えた。

 理由。その二文字が杏の頭の中で立ち往生した。

 空木は困ったような笑顔で待っている。

 焦る杏は目の前の景色が回ってきたような心地さえしてきた。ちゃんと、説明しなければ、と手汗が出てくる。


「鈴宮さんの言葉で、ゆっくりとでいいですよ」


 小さな子供に言い聞かせるような口調は、一欠片も蔑みが含まれていない。

 杏はその言葉に背中を押してもらえた。

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