甘味伯爵 聖夜祭

かこ

十一月二十八日 はじまり 上

 冬の街は浮き足立っている。

 もう来月は師走だ。一年に一番、贅沢に過ごす日々はもうすぐそこにある。あんの家も和菓子屋ということもあって、年末年始は稼ぎ時。猫の手って使えるのかしら、と母がぼやくぐらいにはてんやわんやになる。

 だからこそ、杏は自分の問題で家族に迷惑をかけるのが忍びなくて、職員室の前まで来た。誰かが背後を駆けていく間も身動きできずに職員室の戸を見つめる。

 かーん、と缶蹴りの音が聞こえて、歓声がわいていた。

 やっと決心のついた杏は掌をぎゅっと握りしめ、戸を叩く。隙間から顔をのぞかせ、教頭先生に睨み付けられた。


「名前!」


 その一喝に杏は体をすくめた。震える唇を懸命に動かす。


「さ、三年、よ、よん、四組……す、すずみや、杏です」

「聞こえませんよ!」

「あらあら、鈴宮さん。私が呼んでたのに気付かなくてごめんなさい」


 教頭の声を遮るように、一人の女性教諭が杏に駆け寄ってくる。

 ほ、と杏は泣きそうな顔をゆるめた。背中を優しく押されて、教諭の席まで移動する。ちょうど教頭から見えない位置だ。


空木うつぎ先生」

「はい、何でしょう」


 新任の空木は昨年の男性教諭と違って、杏の言葉を辛抱強く待ってくれた。そのやわらかい雰囲気もあって、杏は相談しにくることが出来たのだ。


「はな、しを、聞いて、ほしくッて、来ま、した」


 うまく回らない口が恥ずかしくて憎くて情けなくなった。それでも、親身に接してくれる空木に伝えたくて、杏は言葉を選ぶ。

 はい、聞きますよ、と言ってくれる優しい声音に泣きそうになった。

 あわあわと動く口を大きく開く。

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