22 唐突の死。
あれから、いくつも髪型を変えた。
髪を二回ぐらい、いや三回だったかな、切っては短くした。
どうやら、この世界では失恋したら、髪を切る風習が根強いらしい。
元々、人間の女性は髪を切らないのだ。女は髪が命。それだ。
ルビーのような深紅の色にしたり、空のような水色にしたり。
でも結局は、黄金色が気に入ってて、ここ一年は保ったままだ。
黒く蠢くものが、森の木々をなぎ倒していく。
そして、街へと侵入した。
多くの黒いものが、破壊を始め、住人の悲鳴が上がる。
私は、住人達の救出は、弟子達に任せて黒いものを操る魔物に会いに行った。
「黒真珠」
私は、それの名を呼んだ。
いや、呼び名か。
「魔導師リリカ」
重々しい声を発するのは、巨大な黒い蜘蛛。
背には黒真珠を無数につけているから、そういう呼び名がついたらしい。
その大きさは、私の頭を一口で食べれそうなほど。
「邪魔をするな」
「そうはいかない。魔王シャンテの命で、侵略することは罪となる。死罪よ」
「ハッ! 魔王シャンテだと? そんな王に仕えてはおらん! 我こそが王だ!」
「今すぐ退きなさい。子ども達を殺されたくはないでしょう?」
黒いものは、蜘蛛の子だ。
黒い蜘蛛の子が、襲撃している。
「子どもではない、あれは我が兵士だ! 我が軍! 手始めにこの街を壊滅させる! お前を殺してな!! 魔導師リリカ!!!」
「……天才をつけてくれるかしら?」
ボォオオッと炎の球体が、蜘蛛の魔物である黒真珠の口から吐かれた。
私の魔法壁を、一枚壊す。
蜘蛛が火を吐くとは、おっかない。
まぁ、別に驚かないけれど。
「私は天才魔導師凜々花!」
杖を地面に叩きつけて、魔法陣を展開。
気温を急激に下げ、そして、無数の大きな氷柱を放つ。
黒真珠は対抗して、炎の柱で身を守る。
炎と氷の衝突で辺りは、蒸気で包まれた。
蜘蛛が這い回る音を耳にして、私は風を巻き起こし、蒸気を吹き飛ばす。
同時に、馬サイズの蜘蛛が三方向から飛びかかった。
毒牙を構えて。
くるっと杖を揺さぶって、風の刃で両断。
それから、密かに黒真珠の上に作った巨大な氷の刃を、振り下ろす。
ギロチンのように、巨大な蜘蛛の首を落とした。
「あなたの背中にある黒真珠、もらっておくわね。何かに使えそう」
返事はない。
金色の光が人の形を作っては消えていく。
中から、黒い狼の耳と尻尾を生やした青年が現れた。
「蜘蛛の子は片付けた」
「お疲れ様、スクリタ」
二十四歳になったスクリタ。三番目の弟子。
「私の方が早く片付けました、リリカ師匠」
風をまとって上から降ってきたのは、まだ少女の姿をしたセミロングの金髪のエルフ。
「アルテも、お疲れ様」
「はい、師匠」
にこっと笑うのは、アルテ。二番目の弟子。
「リリカ師匠」
グリフォンのような四足歩行で鳥の顔と翼を持つ守護獣エランに跨って空から降りてきた大きな少年。
十六歳になったエグジだ。一番弟子。
「まだアンジェリカの部隊が交戦中です。頭を持っていけば、退くはずですのでいいですか?」
「持ってていいわ、エグジ。終わらせてきて」
「はい、リリカ師匠」
エランが巨大な蜘蛛の頭を鷲掴みにすれば、再び空へと飛んだ。
「ちっ! いつまでクフリーラウス国の王はオレ達をこき使いやがる!?」
苛立って尻尾を振り回すスクリタを宥めるために頭を撫でてやった。
ぐるるっと唸りつつも、落ち着いてきたスクリタ。
今では私より背が高くて、ちょっと頭を撫で続けるのは疲れる。
「スクリタに賛成はしたくはないですが、同感です。師匠。魔物には魔物を。わたし達を武器として、いつでも使えると思わせてはいけません」
「しょうがないでしょう? クフリーラウス国の新王が、魔物の出入りを禁じて魔王のシャンテも立ち入れなくなって、魔物の対処が出来ない」
「新王って、もう六年経ってますよ……師匠」
「六年経っても、新王は新王でしょう」
クフリーラウス国の心優しい王のクラウスの後継者は、息子だが、どうにも頭が固くて私も好かない。
魔物の出入りを禁じたはいいが、クフリーラウス国の中に住まう魔物はいる。
こうして襲い掛かる魔物も、そうではない魔物も。
魔物に対処することを義務づけた魔王シャンテまで締め出しているせいで、対応が遅れている。
魔王が足を踏み入れたことを知れば、きっとまた戦争になのだが、どうやら新王はそれを望んでいるらしい。
戦争を知らない小童め。あの戦争に参加もしなかったくせに、よくも……。
私は深く息を吐いて、自分のこめかみをこねくり回した。
「頭痛ですか!? リリカ師匠!」
「ちょっと頭が重いだけよ……クラウス元陛下もきっと同じでしょうね」
魔人の件で責任を持って退位したクラウス元陛下は、今でも国民を想っているいい人だ。
魔導師シュバンの弟子達はクラウス元陛下を追って、城の魔導師を辞めた。
今は魔法戦闘部隊を作って、魔物と戦っている。
多少、私も鍛えてあげたので、優秀な部隊だ。
でも私達が、こうして手伝いをしている。
戦友のため。心優しい元王のため。
罪のないクフリーラウス国の住人のため。
「嫌なら手伝わなくていいのよ、スク、アルテ」
「師匠を手伝わないなんてありえません!」
「アンタだけを戦わせるもんか!」
「はいはい、ありがとう」
二人の頭を、なでなでしておく。
襲われた街に行き、怪我人のために治癒魔法を施した。
全体回復魔法だ。
魔法陣の中に粉雪を降らせて、それに触れたものを癒すというもの。
「ありがとうございます! 天才魔導師リリカ様!」
「リリカ様!! ありがとうございます!」
感謝の言葉があちこちから上がるので、私は微笑んで手を振った。
「リリカ様の弟子達も、ありがとう!!」
「かっこよかった! スクリタ様!」
「美しいです! アルテ様!」
「一番弟子のエグジ様が一番素敵でした!!」
スクリタとアルテの名前も挙がったが、二人は聞こえないふりをする。
しかし、エグジの名が上がると、嫉妬の睨みを向けた。
エグジは、素知らぬふり。
「三人とも、私の自慢だよ」
にこりと私がそう言えば、今この場で喧嘩はしないようだ。
満足そうな顔をしている。
天才魔導師凜々花に、三人の弟子あり。
すっかり三人は、私の弟子として有名になった。
それも、そのはずだ。
あれから、十年も経った。
異世界転移してきて、十年が過ぎた。
他種族を滅ぼそうとした前の魔王を倒して、十年が過ぎた。
勇者光太郎くんと聖女神奈ちゃんを帰して、十年が過ぎた。
三人の弟子をとって、もうすぐ十年が過ぎる。
十年とは、流石に長い月日が経ったものだ。
我が家は相変わらず、神秘的な青白い壁や床や天井。
神殿を思わせる我が家に帰ってみれば、十八歳になったジェフが、黄金色のフェニックスのように巨大に成長したフィオフェニーとともに魔法訓練広間にいた。
「守護獣を中に入れるなって言ってんだろうが!! ジェフ王!」
「今日は、どこ行っていたんだい? リリカ」
「無視とはいい度胸だな!?」
「またクフリーラウス国の街の人を救って来たの」
「……またなんだね」
フィオフェニーを撫でつけながら、私は疲れた息を吐く。
「紅茶を淹れようか?」
すっかり大人びた美少年に成長したジェフは、優しく笑いかける。
「いただくわ」と答えたけれど、弟子三人が騒ぎ出す。
「なんで国王がお茶を淹れるんだよ! 出てけよ!」
「わたしが淹れる!」
「おれが淹れる! 国王陛下、引っ込んでもらっていいですか?」
「リリカは僕に淹れて欲しいって言ったんだけど?」
騒がしい弟子三人。
成長したら少しは大人しくなると思ったのに、全然変わらない子達だ。
彼らをものともせず、ジェフはキッチンに向かおうとした。
「仲良くなさい」
「大丈夫だよ、リリカ」
キッチンへ行く扉を塞いで阻むアルテとスクリタに立ちはだかれても、ジェフは「大丈夫」なんて言う。
私はフィオフェニーの鼻を掌で何度か撫でた。
十年と言えば、明日がエグジと初めて会った日だ。
明日はエグジの好きなものを作って祝おうかしら。
今のうちに、エランに尋ねてみようと振り返ろうした時だ。
くらりと重たい頭が、揺さぶられるような眩暈が起きた。
杖でなんとか支える。
込み上がるものを感じた。耐え切れず、吐き出した。
これは――――血。
真っ赤な血が、私の左手を濡らした。
鮮やかな赤い血。
「師匠?」
誰かが、私を呼んだ。
「師匠!!」
私の身体は傾いて、床に倒れかけたが、フィオフェニーとエランが左右で支えてくれた。
「ごほっ! ごほごほっ!!」
私は、また血を吐く。
「リリカ! リリカ!!」
神秘的な青白い床が、真っ赤な血で塗れる。
それも身体中の血を全て吐き出すような勢いで、血を吐き出した。
遅れて私の身体を支えたジェフだったが、私は崩れ落ちる。
ジェフの右手も、真っ赤に染まていく。
その手が、ガクガクと震えていた。
「な、に、これ……?」
か細い声を出して、私は疑問を口にする。
でも、なんとなくわかっていた。
身体が、死んでいく。
内側から、どんどんと死んでいくのを、感じていた。
「リリカ師匠!? どういうことですか!? なんですか!?」
「治癒魔法をっ! 退いて!!」
「おい! 師匠!! しっかりしろ!!」
三人の弟子の声を聞くけれど、意識が遠退いていく。
ラメのような雨が降り注ぐ。
オーロラの輝きを見る。
星が降るような光景。
この世界に来た時に初めて見たもの。
「「「リリカ師匠!!」」」
三人の声に、意識が戻された。
私はベッドに横たわっている。私の部屋に運ばれたのか。
「師匠! 回復しないんです! な、なんで!? 治癒魔法が効かない!」
アルテが涙ながらに声を上げては、治癒魔法を行使する。
アルテの魔力が伝わるだけで、死にゆく身体は回復しない。
「どういうことなんだよ! 何が起きてる!? どうすりゃいい!?」
動揺の激しいスクリタも、声を荒げた。
「教えてください! リリカ師匠! あなたの身に、何が起きているんですかっ?」
私の血に濡れた手を握り締めて、涙を堪えたエグジが問う。
私は一度、目を閉じた。
「……わからない」
そう、か細い声だけが、部屋に響く。
「わからない!? そんなっ、そんなわけないだろう!? アンタは天才魔導師! わからないことがあるわけねぇだろ!!!」
スクリタが怒声を上げると、エグジが立ち上がり、胸ぐらを掴んだ。
「怒鳴るなっ! 師匠は弱ってんだぞ!」
「っ!」
エグジが握っていた手を、今度はジェフが握った。
「リリカ。あなたは、天才魔導師だ。必ず、方法を見付けられる。そうだよね? こんなところで、こんなにも早く逝くわけない。そうだろ?」
私の手を両手で握って、ジェフはそう笑いかける。
きっと大丈夫と期待していることはわかっていた。
「……ごめんなさい、ジェフ」
私は小さく顔を左右に振る。
その言葉が、絶望を与えることはわかっていたけれど、でも言わなくちゃ。
「お別れを言わなくちゃ」
「っ!!」
ジェフは耐えきれずに涙を溢しては、私の手を放した。
そして背を向けて、頭を抱える。
「言わない! 嫌だ!! あなたをっ、こんなにも早く見送るなんて!!」
「十年前と変わらないね……ジェフ」
異世界へ帰ると言った時。
十年前も、そう拒絶した。
私は力なく、笑ってしまう。
「私の身体……死んでいってる……」
「そんなっ、なんでっ!」
「アルテ、わかるでしょう? 私の魔力を」
「あっ……」
魔力が、弱っている。
自分でわかっているんだ。
じわじわと蝕むように、失われている。
もう左手を握ったアルテは言葉を失う。
「……原因は、なんですか?」
この声は……。
「シャンテ?」
「はい、リリカ様」
シャンテは私の右手を取る。大きな手。
間違いなく、シャンテだ。
「何故、魔力が徐々に弱っているのですか? 何故、身体が死に逝くのですか?」
「わからない……でも、死ぬわ、きっと……」
「……」
シャンテが、ギュッときつく手を握り締めてきた。
「なんでだよっ! なんで!? 毒なのかっ、呪いのかっ、魔法なのかっ!? それすらもわからねぇのか!? 人間の寿命にしちゃまだ早いだろう!? だってまだ! まだっ!! 早いだろう!!?」
スクリタを見た。涙をポロポロと溢した。
「十年も経ってねーよ!! 弟子入りして、まだ十年経ってないのに!! まだ学ばなくちゃいけないことがあるんだよ!! まだっ! まだっ!! っ一緒にいてーのに!!!」
泣き崩れる。
滅多に泣かないスクリタ。
「ごめんね……ごめん……」
私は、静かに息を吐いた。
苦しんだ。でも、きっと、この子達の方が痛むのだろう。
悲しくて、苦しくて、怖いに決まっている。
「もう逝く私を許して……ごめんなさい」
「謝らないでくださいっ! リリカ師匠!」
シャンテを押し退けて、エグジが再び私の右手を握った。
「お願いします、師匠。どうか、諦めないでください。おれ達が、おれ達がいるじゃないですか。弟子のおれ達がいるんですよ。天才魔術師リリカ師匠の弟子なんですから、だから、だからっ」
祈るように、エグジは両手で握り締める。
「あなたを救わせてくださいっ」
「お願いします、リリカ師匠」
「死ぬなんて言うなっ」
きっと私よりも、つらいはずだ。
悲しくて、苦しくて、怖いに決まっている。
「許して……エグジ。アルテ。スク」
一瞬、息が止まった。
呼吸の仕方を忘れてしまったかのよう。
「あなた達を残して、ごめんなさい……」
ゆっくりと息を吐いた。
「シャンテ……ジェフ……」
「そばにいます、リリカ様」
「……別れは、言わないよ。君を救う。絶対に」
後悔していることを思い出した。
「またねって言っちゃったんだ」
私は目を閉じる。
いやだめだ。ちゃんと見なくちゃ。
最期ならば、皆の顔を見ていないと。
「光太郎くんと神奈ちゃんに、またねって言われて……またねってつい言っちゃった……」
涙が頬を伝う。
込み上がってしまった涙で、見えそうになかった。
「嘘ついちゃった……。だから、最期も……言わない……。本当に、ごめ、ん……ね……――」
萎むように、魔力が消える。
身体の機能が、失われていく。
力が抜けて、また呼吸が止まる。
本当に、死んでいく。
こんなにも早く死に逝く私を、どうか許して。
私の友。
そして、私の可愛い弟子達。
おやすみ。そして、さようなら。
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