20 帰らない。



 我が家に帰ったあとは、すぐに寝落ちた。

 睡眠は大事だ。本当に。

 目覚めると、お腹には後ろからアルテの腕が巻き付いていて、腕の中にはエグジがいて、頭の上にはスクリタが丸まっていて、眠っていた。

 一緒に眠ったっけ? まぁいいけれど。

 私が起き上がれば、三人は飛び起きた。


「ししし、師匠!? 大丈夫ですか!?」

「もう痛くありませんか!?」

「大丈夫だろ、四時間は寝たし」


 血相をかいて、私を覗き込むのはアルテとエグジ。

 ふわあっと大欠伸をしたスクリタを、二人はギロリと睨みつけた。


「怪我はもう治ってるよ。痛みもなくなった。お腹空いたわね。食事をしましょう」

「リリカ様」


 エランが扉を押し退けて、部屋に入ってくる。


「あの、魔王シャンテが……キッチンで食事を作っております。止めた方がいいですか?」

「……ぶふっ!!」


 私は吹き出した。

 魔王が、キッチンで、食事を作っている。

 とても面白い話だ。


「もちろん私達の分よね? ……どんな料理かしら」


 笑いつつ、ベッドから降りた。


「魔物が何を作っているかは知りませんがっ、絶対に食べません!!」

「アルテ。食事を無駄にするのはよくないよ。……私達に作ってくれてるのなら、食べれるものよ、きっと」


 確信はないが、きっと人が食べれるものを作ってくれてくれているはず。

 アルテは拒否反応を示しているが、魔物嫌いな彼女だけではない。

 同じく魔物を好かないスクリタも、エグジも、げんなりした顔のまま私のあとをついてきた。

 キッチンに入れば、いい匂いが満ちている。


「リリカ様、起きましたか。食事が必要だと思い、勝手に作らせていただきました」

「オムレツ!? わぁ……キュンってした」

「……キュン、とは?」


 朝食にオムレツを作ってくれるようなイケメン。素敵すぎか。

 胸がキュンとしてしまい、押さえ込む。

 フライパンからオムレツをお皿に移しながら、首を傾げるシャンテ。


「神奈ちゃんに自慢したい……いただくわ」


 イケメン魔王にオムレツを作ってもらった。

 私はシャンテが引いてくれた椅子に座る。


「ありがとう、シャンテ。でもどうして料理が出来るの? 趣味だったの?」

「いえ、作れるように学びました。いつか、あなたと食事をする時に、振舞おうために」


 一口分掬ったスプーンを持ち上げて、口に運ぼうとしたが、ガシャーンとお皿の上に落としてしまう。


「……約束……忘れた」


 すっかり。

 三年前ぐらいに、シャンテと食事をする約束をしていたのに。

 三年も果たせず、忘れていた。


「いいのです、リリカ様。いつかの約束なのですから」

「今日行こうか? 魔王の城で夕食」

「いえ、魔人の件もあり、当分は城の魔物達は騒がしいです。食事している場合ではないかと」


 魔王城で食事は出来そうにないか。


「じゃあ……代わりに、ここで晩酌しましょう?」


 私は、ぱくっとシャンテが作ってくれたオムレツを食べた。

 まだとろりとしていたそれは、絶妙だ。

 反対したいのか、ギャーギャーッと弟子三人が騒ぎ出した。


「何よ、私だって、誰かとお酒を飲みたいわ」

「それならわたしが!」

「アルテは精霊のお酒を一滴飲むだけで酔い潰れるじゃない」


 アルテは飲み仲間にはならなかったのだ。

 この子、かなりお酒に弱い。


「うぐう!! 精霊様のお酒が強すぎるのです!!」

「多分、他のお酒でも一口で潰れるよ?」

「試しましょう!? こんな奴と二人きりにしません!!!」

「わかった、じゃあ三人で飲もう。食べないの?」


 三人にも用意してもらったオムレツを前にして、手をつけようとしない。

 じとっ、と見た。

 食べ物を粗末にしてはいけない。

 私の圧に負けたように、おずおずとオムレツを食べ始めた。

 よろしい。


「美味しいよ、シャンテ」

「ありがとうございます、リリカ様」

 

 その夜。


 一度帰ったシャンテが再び来たので、私の部屋のソファーで並んで飲むことになった。

 果物のジュースで割った精霊のお酒のカクテルをアルテに飲ませてみれば、気持ちよさそうに私の膝の上で眠り始める。

 やっぱり、お酒に激弱すぎるこの子。

 金の髪を撫でながら、私は少しずつ精霊のお酒を飲む。

 蜂蜜のようなとろりとした甘いお酒。身体の中に、熱く広がっていく。


「精霊の酒……初めてですが、美味しいですね」

「んー最高だよねー。んふふ」


 私はニコニコしているけれど、初めて精霊のお酒を飲んだシャンテは、普段通りだ。

 無表情に近い顔のまま、飲み進める。

「この干し肉、美味しい」と、もぐもぐ食べた。


「……リリカ様」

「この干し肉が欲しい? ごめん、これで最後」

「いえ、干し肉のことではないです。訊ねたいことがあります」


 膝の上にコップを置いて、シャンテは真剣な瞳を向けてくる。

 青の中に赤がある瞳で、じっと見てくる。


「異世界に帰らないのですか?」


 私は背凭れに頬杖をついて、一杯目を飲み干した。

 シャンテは、注いでくれる。


「異世界に帰るために、弟子をとったはずです。しかし、魔人との戦いを見て思いました……あの弟子達には……」

「無理だね」


 魔人と弟子達の戦いを見て、無理だと思ったのだろう。


「”まだ”ではなく、はっきりと断言なさるのですね……彼らにはあなたを異世界に帰すことは出来ないと。そういうことですね?」


 シャンテのコップが空になったから、今度は私が注いであげた。


「新しい弟子を探しましょうか?」

「必要ないって言ったでしょう? シャンテ。また拾ってきたら、感電させてやる」


 ニッと言っては、私は一口、お酒を流し込んだ。


「私の弟子達は、才能があるよ。天才魔導師の私ほどではないだけの話」

「……では、諦めたのですか?」


 シャンテは、問う。


「この世界で、一生を過ごす覚悟を決めたのですか?」


 曖昧に笑ってしまった。


「こんな気まぐれな女が、一生の覚悟をすると思う?」


 二杯目を飲み干す。

 シャンテも真似た。


「一つ言えるのは、こんな未熟な弟子達を置いて、異世界には帰らないってことね。それは確実」


 頬を赤らめた顔で眠っているアルテの髪をもう一度撫でる。


「あなたのせいよ、シャンテ。弟子が出来て帰りづらくなった」

「……申し訳ありません。そんなつもりは……」

「冗談よ」


 シャンテの鼻先を、ツンッとつついた。


「そんな意図は、ありませんでした……」

「冗談だってば」


 シャンテの顔が近付く。

 近いなぁー。


「……どうか、許してください」

「いや、だから」

「喜んでしまう、この私を……」


 近い。

 息が吹きかかるほど。


「リリカ様……」


 ほうっと、うっとりしたような表情。

 本当に近いな。

 イケメン。眼福。


「シャンテはいつまで様付けするの?」

「いつまでも、あなたは私の王ですから……」


 すりっと頬擦りされた。

 くすぐったさで、笑ってしまった。


「あなたの王? もう、何を言っているのよ。シャンテ。酔ってる?」


 私を命の恩人として慕っているとは思っていたけれど、これでは心酔だ。

 うっとりした眼差し。ほーと吐かれる熱い息。

 厚い唇に、自分の唇を重ねてしまいそうになった。

 しかし、ストン、と私の胸にシャンテの顔が落ちる。


「……シャンテ?」


 頭を両手で持って、上げてみたが、眠っていた。


「ええー。皆弱すぎだろ……」


 それとも、私が精霊のお酒を飲み慣れすぎているせいなのか。

 シャンテの青白い顔は、赤くはならないみたいだが、熱くなっていた。

 顔の皮が厚いわね……。

 しょうがないので、私は三杯目を飲み干す。

 そして、アルテを宙に浮かせて、ソファにシャンテを寝かせる。

 アルテを部屋のベッドに寝かせに行く。

 自分の部屋に戻ってから、ベッドにダイブしようとしたけれど、シャンテがいることを思い出す。


「シャンテ」

「……リリカ、さま……」


 頬を撫でてやるとその手を掴まれた。

 指を絡めて、ぎゅっと握られる。

 大きな手が、私の手をすっぽりと包み込んでしまった。

 本当に大きな手。

 そんな手をそっと退かして、私はこのまま寝かせてあげることにした。

 私のローブをかけてやり、私は私のベッドにダイブして、今日はぐっすり寝てやると決める。

 意識を手放す直前に、空いている寝室があることを思い出した。そこに寝かせてあげればよかった。

 でも、もう起き上がる気はなくなってしまって、まぁいいかと私は夢に旅立つ。

 ほろ酔いの眠りは、心地いい。

 この上なく。



 夢を見た。

 三年前。

 光太郎くんと神奈ちゃんを帰したあの日。

 最後に交わした挨拶。

 またね、なんて言葉を返してしまった。

 神奈ちゃんはきっと何かを方法を見付けて帰ってくると信じてくれていたのに、やっぱりそれを裏切ってしまうんだ。

 ごめんね。また会えそうにないよ。

 本当に、ごめん。

 ねぇ、光太郎くん。神奈ちゃんには告白した?

 ねぇ、神奈ちゃん。光太郎くんに例の漫画は貸せた?

 そっちの世界では、会えただろうか。

 仲良くしているかな。

 私を待ってくれているのかな。

 寂しいよ。

 でもね、ここの世界で、弟子が出来たんだ。

 三人もね。

 友だちも、いるんだ。

 まだ若い王子とか、イケメン魔王とか。

 ほぼ毎日会いに来てくれるんだよ。

 世界で一人ぼっちだと、思えた。

 でも、もうそんなことないよ。

 帰れないけれど、大丈夫。

 きっと、大丈夫。

 なんて言っても、私は――――天才魔術師だもん。




 翌朝、天才魔導師は弟子三人に怒られていた。


「魔王を自分の部屋に泊めるなんて!! 魔王ですよ!? 魔物なんですよ!?」

「魔物以前にオスだぞ!? ふざけんな!! もっと危機感持て!!」

「……」


 アルテは魔物なのに部屋に泊めたことをカンカンに怒り、スクリタはオスと言うか異性に対しての危機感がないと怒っている。

 でも、エグジだけは黙っていた。怒っている様子だけれど。


「んー……私のことを心配して怒ってくれているのはわかるけれど、私は大人よ? もしも、シャンテと男と女の関係を深めたとしても」

「聞きたくありません!!!」

「私達が合意の上でそうなったのなら」

「認めねぇぞ!!!」

「……友だちなので、そうはなりません。安心なさい」


 こう言えば、満足だろうか。

 もしものことが起きたとしても、大人なのだ。

 認めたくないと言われてもなぁ……。


「……おう?」


 エグジは、私のお腹に抱き付いてきた。

 きっと、取られたくないのだろう。

 独占欲ってやつかしら。


「もう、子どもね。あなた達」


 当分、恋人とか作れないかもしれない。

 いや、欲しいとか考えてないけれど。


「大丈夫、私はあなた達だけの師匠よ。さぁ、今日からみっちりと鍛え直すわ。覚悟はいいかしら?」


 にんまり、と私は悪戯に笑いかける。


「はい、師匠! 二度とあなたに怪我を負わせません!!」

「足手まといにはなりたくありません!」

「オレは強くなる!!」


 三人は気合十分のようだ。

 よろしい。


 私から学んでいるのは、何も弟子達だけではない。

 ジェフにも、攻撃魔法も防壁魔法を教えてあげた。

 時間があれば、会いに来ては、お喋りをしたり、見守っていたりしてくれたのだ。

 そんなジェフから、父親のリクルートゥ陛下のことを相談された。

 病を患ってしまい、そこから日に日に弱っている気がする、と。

 医者ではないけれど、私は戦友のためにも、友のためにも、診るついでに見舞いに行った。

 元気な日もあれば、風邪のような症状が酷い時もあり、寝込むこともあるそうだ。

 医者の言う通り、身体の中が老化により弱っている。

 ならば、身体の中の臓器を若返らせて強くすればいいのではないか。

 そう思って、少し研究をして、薬を作った。

 結果。リクルートゥ陛下の元気な日が増えた。

 ジェフは喜んで感謝してくれたのだが。

 しかし、一時しのぎだった。

 一年後、医者の診断で、もう持たないと告げられたのだ。

 私とジェフは、ベッドに横たわるリクルートゥ陛下に呼ばれた。

 二度目だ。この世界に来て、こうやって見送るのは……。


「ありがとうございます、リリカ様。あなたのおかげで、ここまで生きながらえました」

「お礼を言われるほどのことではありません」

「いいえ、あなたのおかげで、息子との時間を増やせました。心から感謝しております」


 死を間近にして、リクルートゥ陛下は息子のジェフとの時間を増やし、過ごしたという。

 国王陛下として、一人の父親として。


「しかし、満足はしておりません……まだ幼い息子を残すなんて……心残りです」

「リクルートゥ陛下……」

「父上……」


 ジェフはギュッと父親の左手を握り締めた。


「私が逝けば、ジェフは幼き王となります。賢くとも、まだ未熟な息子に、務まるか……不安は拭えません」

「ええ、そうですね。しかし、不安を覚えることはありません」


 私はきっぱりと言い退ける。


「何故なら、この天才魔導師凜々花が、良き友人として、支えになり力となりましょう」


 また長く伸びた髪をふぁさーっと靡かせて決めポーズ。

 優しく目を細めて、リクルートゥ陛下は微笑んだ。


「それはそれは……心強いです」


 安堵の息を、深く吐いた。


「はい、父上。心配なさらないでください。僕は……あなたの後継ぎとして立派な王となります。良き友であるリリカ様がついているのです、天才魔術師リリカ様が」

「不安は、拭えましたか?」


 弱々しくも、リクルートゥ陛下は嬉しそうに笑う。


「ええ、ええ……不安は拭えました。ありがとう、我が息子ジェフ……ありがとうございます、天才魔術師リリカ様……」


 私もリクルートゥ陛下のしわのある手を取り、握り締めた。


「おやすみなさい、私の戦友リクルートゥ陛下」

「っ。おやすみなさい、父上……僕の父上」


 それがお別れの言葉となる。

 リクルートゥ陛下を看取った。

 静かに旅立った父にしがみ付き、泣いたジェフのそばに私はずっといた。

 私も涙を流したけれど、ジェフが感じている悲しみは計り知れない。

 きっとそれは取り除くことは出来ないだろう。

 けれど、でも。

 何か紛らわすようなもがあれば……。

 そうして、私は思いつく。



 

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