既読無視

 アパレル店や飲食店などが集まった最大級のショッピングストリート。夕方の時間帯とあって人の往来が激しく、ぬいぐるみの入ったビニール袋を両手に持っていると、人を避けて歩く時にたまに当たる。

 俺の隣を歩く畑部は、片手にウサギのぬいぐるみが入ったビニール袋を持ち、空いている方の手を口元に添えた。


「先輩って、小糸先輩のことどうして好きになったんですか?」

「それは〜中一の体育祭だね……」

「え、先輩何でそこで黙っちゃうんですかっ」

「いや……理由はまじでしょうもないよ」


 友達に話したら「何だよそれ」と鼻で笑われたのを思い出した。でも俺は思うよ、人を好きになる理由なんて何でもいいんだ。

 だけども、畑部に言ったら笑われそうなんだよなぁ。


「しょうもないって、逆に凄く気になるんですけど」


 畑部は少し背を丸めて、下から覗き込むように見てきた。

 あまり引っ張りすぎてもハードルが上がりそうなので、俺は観念する。


「間違えて女子トイレ入った時に、蓮子と鉢合わせてさ、隣だよって優しく言ってくれた。そっからだな、気になり始めたのは……な、しょうもないでしょ」


 その後だった。部活対抗リレーでテニス部のユニフォームを着て出場していた蓮子を見たのは。俺だけじゃない、皆んなの注目を浴びながら走っていた。

 あの当時、蓮子は髪が長くてポニーテールにしていた。今のショートカットも好きだし、あの頃のポニーテールも好きだった。


「本当に間違えたんですか〜?」

「何だよその目は、俺がわざと間違えるわけないでしょ」

「でも〜普通女子トイレと男子トイレ間違えますか〜」


 畑部は愛らしく垂れた目をいつになく細めて、疑いの視線を送ってくる。


「マジだから! 体育館のトイレだよ、畑部も知ってるだろ」

「たしかにわかりづらいですけど〜」


 何か言いたそうな顔をしているけど、飲み込んだのか、唇を少し尖らせて前方を見つめた。

 体育館の外にあるトイレのマーク、それが非常にわかりにくい。というのも、男子トイレは丸の下に逆三角形がくっついていて、女子トイレは丸の下に三角形とややこしい。

 特にパッと見ただけでは区別がつかない。あの時の俺は、急な腹痛に焦っていたため、二分の一で開けた扉が女子トイレだったのだ。


「でも、叫ばれててもおかしくないのに、蓮子は優しかったなぁ」


 今の蓮子も優しいところはある。今日だって俺とデートしてくれるし、あんなことになってしまったけど……。


「そんなの、私だって叫びません」


 意地を張ってるような口調だった。


「そう? 叫びそうだけどな」

「先輩は私を怒らせたいんですか?」

「何でそうなるんだよ」

「言っておきますけど、前に綾瀬が女子トイレ入って来ましたからね! でも私、叫ばなかったですから!」


 綾瀬何やってんだよ。

 畑部はどこか誇らしげだったけど、何をそんなに意地になっているのか。


「その時どうしたの?」

「それはもちろん、水かけてやりました」


 綾瀬……女子トイレ入る方が悪いとは思うけど、災難だったな。


「じゃああの時、蓮子じゃなく畑部だったら水かけられてたってことか」

「私まだ小6です。それにさすがに先輩には水かけないです。綾瀬だからいいかなって」

「ほんと仲良いよな」

「仲良くないですよ! ただ家が近所で親同士が仲良いだけですー!」


 綾瀬のことになると畑部はなぜか否定するようなことを言う。仲良くないと言いながらも、綾瀬に絡みに行くのはいつも畑部の方だ。

 

「綾瀬に厳しいな」

「これくらい普通です。前に胸揉まれたんですから……」


 そう呟いた畑部の頬は少し赤くなっていた。


 畑部以外の女子と話すと緊張するって言ってたあの綾瀬がそんなことをするようには思えない。たまたま手が当たったとか、そんな感じだろう。


「まぁ、綾瀬も悪気があったわけじゃないだろうし」

「悪気というか、いきなり胸揉ませてくれって言われて」

「え、それって」

「別に綾瀬でしたし、服越しからだけだったんで、軽くいいよって言ったんですけど、思った以上にがっつり鷲掴みされました」


 畑部は胸の辺りを見つめた後、はにかむように笑った。

 ブラウスを隔てていてもよくわかる胸のサイズ。中学生にしては大きく、特にユニフォーム着ている時は蓮子同様に目立っていた。

 幼馴染ってそんな感じなのか。

 あんなに綾瀬には厳しいのに、胸は揉ませるんだな。

 もういっそのこと付き合えばいいのに。そんな言葉が出そうだった。


「あんまりそういうことさせたら、勘違いするやつが出てくるから気をつけなよ」

「ちょっと先輩、私が誰に対してもそんなことさせてると思ってません?」


 不満そうな顔で見つめてくる。


「さすがにそこまでは思ってないよ」

「言っておきますけど、綾瀬は幼馴染ですし、何とも思ってないですからね」


 何とも思ってないなら、なぜ胸なんか揉ませたんだろうという疑問が出てきたが、さらにムキになりそうなので黙っておく。


「話変わりますけど、先輩、小糸先輩とはどうなんですか」

「どうって言われてもなぁ……まぁ、上手くいってるよ」


 悲しいことに胸を張って言えなかった。上手くいっているというか、むしろ別れる確率の方が高い気がする。自分でそんなことを思ってるのが余計に寂しいし、複雑だ。


「小糸先輩って笑います? 私あんまり話したことないからわからないんですけど、笑ったとこ見たことないんですよね」

「それは、あるんじゃないの」


 笑ったところなんて俺も見たことはない。まともに会話もできてないのに、蓮子の笑顔なんて見られる気がしない。

 畑部はふ~んと鼻を鳴らして、それから少し歩く速度が落ちてきたかと思うと、立ち止まった。


「どうした?」

「あの、ちょっと足が疲れちゃいました」


 畑部は近くにある喫茶店に視線を向けた。本当に疲れているのか、足元は弱々しく内股になっていて、そんな畑部に上目遣いで見つめられた。


「寄ってくか」

「え、いいんですか〜?」

「いいよ、行こう」


 俺は畑部と喫茶店に入った。

 無愛想の蓮子を見てるからか、店員さんの笑顔が眩しく感じてしまう。

 円形のテーブル席に座り、少し喉が渇いていた俺はアイスコーヒーを、畑部は抹茶ラテを頼んだ。


 椅子の下にはぬいぐるみの入った大きいビニール袋が四つあって、たまに足先がぶつかる。


「あ〜明日から学校が始まっちゃいます〜」

「休みはあっという間だな」


 この土日、蓮子とデートできたのはいいけど、いい雰囲気になったことは一度もなく、距離が縮まった気もしない。


「先輩と小糸先輩って同じ高校に通ってるんですか?」

「いや、違うよ」

「じゃあ、あんまり会えないですよね」

「休みの日くらいかな」

 

 連絡は取り合ってるけど、返事は『うん』ばっかりで素っ気ないため、だいたい水曜日あたりで話題が尽きる。


「先輩は休みの日は小糸先輩とデートって感じですか」


 テーブルの上に両肘をついて、両手の平で頬を隠した畑部はからかうような声色で、目を細めて笑った。


「会える日はね」

「ラブラブですね~」

「からかってるやろ」

「からかってないですよ~」


 なんてことを話しながら喫茶店で小休憩を挟んだ後、俺は畑部を家まで送った。その帰り際だった。


「先輩の連絡先教えてください」

「いいけど、なんで?」

「そんなの決まってるじゃないですか、またクレーンゲームをやってもらうためですよ」

「あそこだけな」

「じゃあ次はいっぱい取ってもらいますからね」


 畑部はウサギのぬいぐるみを抱きしめたまま、上目遣いでそう言った。あざといなぁ、なんて思いながら畑部と別れた俺は、思い出したようにスマホを取り出してあのアカウントを開く。

 けど、ムカつくという呟きから更新はされていなかった。


『今日はいろいろごめん。良かったらまた一緒にご飯行かない? 蓮ちゃんの好きな焼き肉でも』


 と打った後、送るのを少し躊躇ったが、震える親指で送信ボタンを押した。

 既読はすぐについた。だが、それから2日が過ぎても、返信が返って来ることはなかった。

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