イルカショー

 軽快な音楽が流れ、ステージ上に女性のトレーナーが笑顔で手を振りながら登場した。

 そして、女性トレーナーが澄み渡った空に大きく手を挙げと、巨大なプールから3匹のイルカが勢いよく跳び上がった。太陽の影になって、肉付きの良い体を器用にくねらせる。

 バシャン!

 3匹のイルカは、背面を水中に打ちつけて潜っていく。観客席の最前に座っていた俺と蓮子に、大きく立ち昇った水しぶきが容赦なく降りかかる。


 前もってトレーナーさんからカッパを渡されていなかったら、少しだけ前髪が濡れた程度では済まされなかっただろう。

 ふと隣を見ると、手に持ったスマホと服の袖を盛大に濡らした蓮子がいた。正確にはイルカの水しぶきで濡らされたのだが。

 恐らく、水中から跳び上がったところを撮ろうとしてスマホと腕を前へ出したせいで、カッパがずれたんだ。


 蓮子はイルカが好きだ。


 彼女から直接聞いたわけではないけど、スマホの待ち受けがたまたま見えたことがあった。ボールを加えたイルカの写真だった。加えて、一度家に遊びに行った時には、ベッドの上には主役と言わんばかりにイルカのぬいぐるみが、手のひらサイズのものから等身大サイズのものまでたくさん寝そべっていた。

 それに今日も、蓮子の耳にはイルカの形をした銀色のピアスがぶら下がっている。


 これでイルカが好きじゃないなんて、そんなことはあり得ないだろう。

 だから俺はここに蓮子を連れて来たかった。きっと喜んでくれるはず……そう思っていたから。


 俺はポケットからハンカチを取り出して、びしょびしょに濡れた蓮子の腕を拭く。服越しからでも伝わるほどに腕がぷにぷにしてて、触り心地がいい。イルカが濡らしてくれなければ、今日一日こうして触ることはなかっただろう。

 グッジョブ! イルカ! と内心で感謝していると、蓮子の手が突然俺のハンカチを掴んだ。


「自分でやるから」

「あ、そ、そう……?」


 今日初めて蓮子が俺のことを見てくれたんだけど、目を細めて、少し睨んでいるように見えるのは気のせいだろうか。


『私、あんまり好きとかないから、それでもいいなら』


 その言葉通りに、蓮子は俺のことをほんの少しも好きじゃない。ただ告白されたから、そこに愛がなくても付き合うことはできるし。

 そんな蓮子に好かれてるイルカが羨ましい。


 一通りのショーが終わり、トレーナーさんが一礼すると、3匹のイルカがキュイキュイと鳴きながら巨大なプールから跳び出し、何度目かの大きな水しぶきを上げて水中へと潜っていく。そしてそれが、またも写真を撮ろうと前のめりになった、無防備な蓮子に襲いかかる。

 俺は予め脱いでいた透明なカッパを、蓮子の前に持って行き、イルカたちが上げた水しぶきから防いでみせる。

 何度かショーの最中に蓮子が同じようにびしょ濡れになっていたから、イルカが跳び上がった瞬間にこうなることは容易に想像できた。だから、水しぶきから蓮子を守るのに全力を注げたのだ。

 まぁ、俺はダイレクトに浴びてしまったのだが。今日が晴れていてよかった。シャツが少し濡れたくらいだし、この陽の強さならすぐに乾くだろう。


 それよりも、カッパが邪魔をしてイルカが跳び上がった写真が上手く撮れなかったみたいで、蓮子はちょっぴり拗ねた顔をしてスマホを弄り始めた。

 少しは濡れた俺を心配してくれても……。

 やっぱり、蓮子は俺よりもイルカの方が大切みたいだ。


 水族館を出ると、眩しく輝いた夕陽が照らしてきて思わず目を細めた。

 俺は、売店でこっそり買っていたイルカのぬいぐるみを蓮子に渡す。

 俺の腕くらいの大きさのぬいぐるみ。無邪気に口を開けて笑っているやつで、店のポップに期間限定だと書いてあった。恐らくだけど、蓮子は持っていないはず。


「これ、イルカ好きでしょ」


 きっと喜んでくれる。そう思って内心うきうきだった。

 だけど……。


「あ、そう」


 蓮子はイルカのぬいぐるみを一瞥すると、片手でそれを受け取るだけ。


「同じの持ってるけど」


 ぼそりと、俺に聞こえるようにそう言って、すぐに口元をムスッとする。


「あ、そ、そうだよね~」


 期間限定だから持ってないと勘違いしていた。

 まぁでも、受け取ってくれたからいいかな。



 帰りの電車は、時間帯的に混むと思っていたけど、それほど乗客はいなくて席もちらほらと空いていた。

 座席に座ってから、俺がプレゼントしたイルカのぬいぐるみを抱え、ずっとスマホを弄っていた蓮子は、気がつくといつの間にか眠っていた。

 窓から差し込む夕陽は少し強く、彼女の頬を明るく照らすが、起きる素振りすらなないほどにぐっすりと夢の中にいるようで、気持ちよさそうな寝息を立てている。


 結局、俺は蓮子と一度も手を繋げなかった。

 何度か見計らってみたけど、右手にはいつもスマホで、空いている左手の方は短パンのポケットに隠れて出てくることすらなかった。

 感覚的にデートというよりも、1人で遊びに来た感じ。

 いくら話を振ってみても、空返事でそっけないため会話が続かない。

 気持ちよさそうに眠る蓮子を見ていると、何で俺なんかと付き合ってるんだろうって、そんなことを考えてしまう。


 俺は蓮子のことが大好きだ。

 でも正直、ここ最近のことだ。別れた方がいいんじゃないかと、考えることが多くなった気がする。

 別れたくはないんだけど、蓮子に本当に好きな人ができるかもしれないし……。


 残酷にも、時間は容赦なく進んでいく。

 俺がこうして考えている間にも、目的の駅に到着してしまう。


 

 


 

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