ふるさとに咲く花

一色まなる

ふるさとに咲く花

 これは、私がまだ娘だった頃。親戚が営んでいる地方のカフェーで女給をしていた時、旅人から聞いた物語です。

 旅人は、もう長いこと旅をしていて、身なりもだいぶくたびれていましたし、持っているキセルも傷んでいました。

 ―――― 面白い話を聞かせて。

 私は尋常小学校を出て、ずっとカフェーで働いていましたが、旅人は珍しかったのです。

 旅人は少し考えるそぶりをして、故郷に伝わるある桜の木の話をしてくれました。


 それは、まだ人々が暗闇を恐れ、人が疫病であっさりと死んで行く時でした。その村は小さいながらも、村人たちは助け合い暮らしていました。ある時、村一番の働き者の少年、三平が熱で倒れました。その日は村で一番大事な田植えの日でした。三平がいなければ、田植えがはかどらないことは目に見えていました。

(うぅ、こんな熱平気だと言うに。おっかぁは心配し過ぎなんじゃ)

 寝具にくるまっている三平の枕元に、誰かの気配がしました。三平は大方村の誰かが差し入れを持ってきたのだと思い、目を開けました。

「…………誰じゃ?」

「………」

 子どもが立っています。まだ節句の祝いも済ませていないような、男の子。丸々とした頬っぺたと、どんぐりのような目で三平を見下ろしていました。膝を抱えて三平の目をのぞき込んでいます。三平は村の子ども達のまとめ役でもありましたから、その子供が村の子どもでないことは一目で分かりました。

「田植えに行かないの?」

「見て分かるだろう、熱がある。皆にうつって、大事になったらいけんじゃろう」

「でも、お前がいないと困ると村の者達が言っていた」

(こいつ、大方キツネかタヌキか、妖怪じゃろう)

丸々とした頬や、どんぐりのような目玉はタヌキのようです。

「仕方ないじゃろう。なんだ、お前が代わりに行ってくれるのか?」

「うん」

 男の子はあっさりと頷きました。そして、次の瞬間には村の田んぼの方へと出かけて行ったそうです。

 程なくして、男の子は帰ってきました。

「手伝ってきた」

「わしの命を取りに来たんか?」

「ちがう。ここに居ていいかと、村の者達に聞いてきた。皆、いいと答えた」

 三平は、狐につままれたような顔をしました。


 それから数日もしないうちに、みなしごの男の子は子ども達の中に入り、時には大人たちのお手伝いをして過ごすようになりました。大人たちは不思議に思いながらも、真面目に働くみなしごを仲間だと言って温かく迎えました。この時代、みなしごなんてそこらにいたからです。

 三平も初めは変なものを見た顔をしていましたが、にぃやんと素直にしたって来るみなしごをかわいく思えました。

 みなしごに名前をつけよう、と庄屋さんが言っても、みなしごは首をふるばかりで名前をもらうことをかたくなに拒んでいました。なので、村人はそれぞれ勝手に呼びました。例えば、田植えの時期に来たから、こめ太郎、とか、わらべぇとか。みなしごは村人たちが気づいた時にそこにいて、気づいた時にはいずこへい無くなっていました。きっと、村の外にねぐらを作ったのだろう、と村人たちは思っていました。


 そんなある日の事です。みなしごが村人に言いました。

「明日から三日間酷い大雨が来る。村の中心にある川があふれるから、皆逃げてくれ」

「おいおい、こめ太郎。馬鹿言うでねぇ、こんなにおてんとうさまが元気なのに雨なんか降りっこないべ」

「そうだべ、第一この時期は雨なんか降らないって庄屋様が仰ってたぞ」

「あの山の峠に桜の木があるから、そこに行けば助かる」

 そう言って、みなしごは村の北側にある山を指さしました。不思議そうに見ている村人たちを尻目に、みなしごは北の山を目指して歩いて行きました。村人たちは首をかしげます。なぜなら北の山の峠に桜の木なんて生えてなかったはずですから。

 しかし、みなしごが言う通り、その日の夜から雨が降り始めたのです。三平はおっかさんとおっとさんを連れて北の山を目指しました。他の村人たちも続々と北の山に集まりました。

「あった」

 三平は息をのみました。そこには見事な桜の若木と、朽ち果ててはいましたが村人たちが休めるお堂があったのです。お堂の中に入ると、途端に雨脚は強くなりました。ばりばり、と遠雷が聞こえてきました。小さな子ども達をかき集め、その背を撫でてやりながら、三平は思いました。

(あのみなしごの姿が見えない。ちゃんと隠れているだろうか)

 その日から三日間は、それぞれが持ち寄った食べ物を分け合って食べました。その間も、強い雨は続きます。

 ざぁ、ざぁ、ざぁと。

 昼も夜も分からないくらいの厚い雲が、巨大な生き物のように横たわっています。

 やっと雨が止んだ日、村人は村に戻ってきました。あの日、みなしごが言ったように、村はすべて水に沈んでいました。


「ふしぎな縁もあったものだ。さて、皆の衆。手分けをして村を戻そう」

水浸しになった村の広場で庄屋さんはみんなに言いました。

「まず男衆は家の壊れぐらいを調べておくれ。女衆は半分に分かれて飯のよういと赤子の面倒をお頼み申す。年寄りはわしとともにお役人への連絡を行おう」

庄屋さんの言葉にみんなは頷いて手分けをして片付け始めました。三平は年長者らしく、子ども達をまとめて村の片付けを手伝い始めました。村が片付くのに丸2日かかったそうです。


「にぃやん」

子ども達が疲れはてて眠りこけている中、あの声が聞こえました。

「お前! 米太郎か!」

「にぃやん、けがない?」

振り返ると、少し大きくなったみなしごが立っていました。でも、あのどんぐりのような目玉は相変わらずです。

「うん。お前のおかげで大雨でけがすることはなかったよ。それより、お前今までどこに行ってた?」

「にぃやん達の近く」

「ばかいうでねぇ。お前の姿形全く見えんかったぞ」

「そいでも、近くにおった」

(やっぱり、タヌキが化けてるに違いねぇ)

三平はそう思うことにしました。昔、旅のお坊様が教えてくれたおとぎ話のなかにそんなものがあったから。

それから、村がもとに戻るとみなしごはまた村の中にいるようになりました。一年が過ぎ、三年が過ぎ、三平はついに隣の村のお嬢さんを嫁に迎えることになりました。

「にぃやんもついに宿六か」

「こら、宿六とはなんだ」

みなしごはいつの間にか立派な青年になっていました。村の娘達はみなしごに懸想する事も珍しくありませんでした。でも、神出鬼没のみなしごに大人達は娘をやる気は無かったようです。

もう、青年になったのだからそろそろ名前を、と大人達は言いましたがみなしごはまだ首を縦には振りません。


そんなある日の事です。

いつもなら村のだれよりも働くみなしごがぼんやりと空を眺めている姿が見られるようになりました。藁を編んでいるときも、赤子のおしめを洗っているときも、ぼんやりと眺めているのです。野良作業している時にぼんやりとして、手や足を切ることもありました。

三平は心配して何度も話しかけましたが、それすら耳に届いていないようでした。

「………」

今日もまた川原でぼんやりしているみなしごに気づいたのは三平の嫁さんです。

(あれは、たしか。米ちゃんだっけ)

村に嫁いできて驚いた事のひとつです。タヌキが化けて人間の手伝いをしているなんて。

「もし、米ちゃん?」

「……」

「もし、もし? 米太郎さん?」

それでもみなしごは気づいていません。ふしぎに思ったお嫁さんは肩を軽く小突いてみました。すると、まるでこけしの様に頭から川面に突っ伏したではありませんか!

「!?」

あわてているお嫁さんを尻目に、犬のように頭を振ったみなしごはようやっとお嫁さんに気づいたようでした。

「にぃやんの嫁さんだ」

「うちの人も気にしとりましたよ。どうしたんです? あたしのようなよそ者にいいたくないやもしれませんけど」

「いんや、よそ者でねぇよ。そっだら、おいの方がよそ者だ」

「はぁ。あ、手拭い使いますか?」

お嫁さんは頭に巻いている手拭いに手を掛けると、みなしごは首を振りました。

「考え事をしとりました」

「考え事?」

みなしごに悩みなどあるのでしょうか、とお嫁さんが思案するとみなしごが言いましたが。

「みなとおい、どちらが枯れ木になるのが良いか考えてた」

「え?」

みなしごが言ったことはあまりにも抽象的で、お嫁さんは首をかしげるばかりです。でも、みなしごの表情が真剣で怖く思えました。


その年はカンカン照りが続き、稲が全く育ちませんでした。庄屋さんがお役人と年貢米の交渉をしてくれて、何とか払えましたがそれでもみなが食べられる量はありませんでした。

「おっとう、お腹空いたよぅ」

「お腹いっぱい食べたいよぅ」

三平の子ども達がすがってきても、さすがの三平にもどうしようもありませんでした。どうにかして、食べられる物を探さなければ。三平だっていまにも倒れそうでしたが、家族のため外に出ました。

(食べられれば、何だっていい。子ども達に腹一杯食べさせてやりたい)

山に入り、三平は歩き続けました。時分も困っているのだから、村のみんな全員が困っている。めぼしい食物が手に入るわけがありません。

 途方に暮れ、切り株に腰かけた三平の肩を叩くものがいます。

「こめ……米太郎?」

 ちょいちょいと子どものように三平の肩を突っついたみなしごは、いつの間にか三平と変わらない年頃になっていました。けれど、昔のようなどんぐり目玉は閉じられていました。目を閉じたみなしごはほっとした表情になりました。

「お前、どこに行っていたんだよ。庄屋様もみんな気にしていたんだぞ」

「………」

 みなしごは少し困ったように笑い、そして三平にあるものを握らせました。

「これ、木の実、か?」

 赤くまん丸い、南天のみのようですがとても柔らかい木の実でした。

「………」

 みなしごは三平の言葉にうなずいて、もう一個渡しました。

「お前、どうして喋らない?」

「………」

 ふるふると、首を振ります。そして、北の方角を指さします。そう、ずっと前に大雨が来た際、みなしごが言った方角です。

「また、行けっていうのか?」

 こくり、とみなしごがうなずくと、その瞬間突風が吹きました。はっと目を開けると、みなしごの姿はありませんでした。


「これはすごい、これを食べれば皆が救われる」

 三平に連れられた庄屋さんは涙を流し、桜の木の前にひざまずきました。三平も子ども達に木の実を渡しました。村人たちは、桜の木の実や葉を食べました。村人がどんなに食べても、桜の木から身が消えることはありませんでした。木の実は、次の実りまでありました。けれども、全てを食べつくした後、桜の木は枯れました。


 ――――― そして、あのみなしごが現れることはありませんでした。


 村人たちはあのみなしごはきっと、山の神様のお使いの桜の木で、自分達を生かしてくれたのだと考えました。庄屋さんの提案で、村人たちのお金を集めて小さな祠を桜の木の近くに作ることになりました。あのみなしごに感謝をつたえるために。


「素敵なお話ですね」

 そうでしょう、と旅人は笑います。

「あのみなしごは村人の事が好きだったのでしょうね。なんせ、誰もみなしごをよそ者扱いしなかったのだから」

 その桜の木を見てみたいと私が申しますと、旅人は急に顔を真っ赤にしました。まるでお酒を呑んだかのように。

「これからどちらに向かわれるのですか?」

 旅人は私の質問に、真っ赤な顔のまま笑いました。そして、いいます。


「ふるさとに帰ります」

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ふるさとに咲く花 一色まなる @manaru_hitosiki

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