第3話 お姉ちゃんが殺しちゃえば?と言いました

あの日、お姉ちゃんを殺した翌日。

予想通り、H君がお姉ちゃんに告白したという事実は書き換わっていた。H君はお姉ちゃんのことが好きですらなくなり、どうやら、誰のことも好きでないとうわさで聞いた。

チャンスだと思ったわたしは、思い切ってH君に告白をした。

そしたら、OKをもらえたものだから、飛び上がって喜んだ。わたしって、やっぱりお姉ちゃんに顔が似ているんだろうか。

H君と付き合えたことをお姉ちゃんに報告すると、自分のことのように喜んでくれた。

「そっか、よかったわね」

そして、私の頭を撫でる。

「りんねが幸せなのが私は一番うれしいわ。殺されたかいがあったってものね」

自分が殺されたくせに、そのことを喜んでいるお姉ちゃんのことはよくわからなかったし、正直不気味ですらあったけど、それでも、わたしのことを喜んでくれるお姉ちゃんのことがうれしかった。

それに、H君。

もうわたしのものなのだ!お姉ちゃんじゃなくて、わたしのH君。


うれしくて、踊りだしそうな気分だった。

スマホを見ると、HくんからLINEが届いている。うれしくなって、わたしはお姉ちゃんと一緒に返信を考える。

ありふれた、でもかけがえのない、幸せな時間。

わたしがゴルフクラブでお姉ちゃんを何度も叩きのめして殺したから訪れた、至福のとき。


―今思うと、これで終わりにしておけばよかったのかもしれない。

だけど、一度学習してしまうと、人間は楽な方に、より自分にとって良い方に、堕落してしまう。わたしだって人間だから、そうだ。

わたしは…。

このときから、人生でうまくいかないことがあると、そのたびにお姉ちゃんを殺して因果をリセットするようになったのだった。



次にお姉ちゃんを殺したのは、H君と別れたときだ。

H君とは結局、3か月ほど付き合った。

付き合い始めはとても楽しかった。毎日がふわふわして、夢のようだった。一緒にショッピングモールに行って、服を買ってもらった。H君のおうちはお金持ちで、お金は気にしなくていいから、とほしい服を買ってくれた。そのあと一緒にパフェを食べて、優しい顔で微笑んでくれた。王子様みたいだった。私は胸をどきどきさせながら、甘酸っぱい恋慕に焦がれていた。

…でも、徐々につまらなくなった。

時間というものは恐ろしい。時がたてばたつほど、H君の王子様のような儚さは色あせていき、面白みのない、干からびた男に感じられた。

H君との話は正直盛り上がらなくて、それがひどくつまらなかったし、そうした不服が心の中でどんどん大きく育っていき、気が付いたら手に負えなくなっていた。

H君の頬にできた赤いにきびのたった一つですら、ひどく憎らしくなり、汚らわしくなり、わたしはH君に触れられることすらいやになった。

別れよう、と言った。

H君はただ黙って頷いた。そうだね、別れよう。無表情だった。泣いて縋ってすらくれないことが悲しかった。ほんとうにつまらない男、と思った。

帰り道、すこし泣いた。

泣いた後、考えた。H君なんかと出会わなければよかった。H君がいる学校に行きたくない。H君、わたしのこと、忘れてくれないかな……。

「明日から、気まずい」

そうお姉ちゃんに話すと、お姉ちゃんはキツネのようなきりりとした目元をきゅうっと細めて笑った。

「そうねえ、学校は気まずいわねえ」

「うん…。H君がわたしのこと忘れてくれればいいのに」

「ね。じゃあ、H君に忘れさせましょう」

「どうすれば忘れてくれるの?」

わたしは不安げに目を潤ませて、お姉ちゃんを見た。お姉ちゃんは、名案を思い付いたかのように笑っていた。その「名案」がなんなのかわたしはうっすら察していたけど、それでも首をかしげてお姉ちゃんの答えを待った。

お姉ちゃんは言った。

「殺しちゃえばいいのよ」

「え?」

「……私を」

いたずらっぽい笑顔で、お姉ちゃんが笑う。

二人だけの子供部屋の真ん中で、おおきなぬいぐるみの山の中で、妖艶な笑顔のお姉ちゃんだけが浮き上がって見える。

「お姉ちゃんを、殺せば…」

わたしはおずおずと復唱する。

「そう、私を殺せば、H君はあなたのことを忘れる」

「でも…必ず忘れるとは限らないんじゃ」

「大丈夫。だって、あなたが私を殺した理由が『Hくんと付き合って別れたから』になるでしょう。それにまつわる事実が捻じ曲がるのだから、Hくんとりんねが付き合わなかったことになるか、Hくんがりんねを忘れるか、なにかはあるわよ」

「そう、かなぁ…」

わたしは怯えたように声を震わせながら、でも、着実にお姉ちゃんの細い首筋に手を伸ばす。

「そうよ」

お姉ちゃんも、私の手首をつかんでそっと自分の首にあてがう。

「じゃあ、お姉ちゃんを殺していいの?」

静かな部屋に、その声だけが響く。

なんだか、へんなきもち。これからわたし、お姉ちゃんを殺すのに。なんか、わたしとお姉ちゃん、共犯者みたい。

共犯者同士、首筋に手を当てたまま、穏やかな時間が流れる。やがて、お姉ちゃんは笑いながら言った。

「…もちろんよ」

金木犀の花が香るような、可憐であたたかな笑顔。

なんだ、H君よりお姉ちゃんのほうが、なんかすてき。甘いにおいがするし、髪はふわふわだし、とってもきれいだ。

こんなにきれいなお姉ちゃんを、今から、殺す。

いやなこと、気まずいこと、全部、H君に忘れてもらうために。

「…お姉ちゃん」

「ん」

慈愛に満ちた、女神みたいな顔でお姉ちゃんはわたしを見る。

「…じゃあ、今から殺すね」

「いいわよ」

わたしたちは、月明かりだけが差し込む暗い部屋のなか、そっと見つめ合う。ふわふわのぬいぐるみの山に、お姉ちゃんはゆっくり体を預ける。

ぬいぐるみの山がくずれて、お姉ちゃんが床に寝そべる形になった。

わたしは、ぬいぐるみをかきわけて、寝そべったお姉ちゃんに馬乗りになる。

そして、そのまま首の手に力を入れた。

「んっ…!」

ぎりぎり。ぎりぎり。

力をどんどん、強く、強く。呼吸を深くしながら、肩に力を入れて、首を絞める力も強くしていく。

「…!」

お姉ちゃんの指先が跳ねる。激しい苦しみのなか、お姉ちゃんの呼吸が浅くなる。

「はぁっ…っはあっ…!」

美しい表情がどんどんゆがんでいく。大きな切れ長の瞳が見開かれ、黒目が上を向く。お姉ちゃんの呼吸がどんどん断続的になる。わたしはそれに興奮する。おねえちゃんの口から透明な唾液がこぼれる。お姉ちゃんが痙攣する。

すこしずつ、すこしずつ…。お姉ちゃんの命が終わっていく。

何分間首を絞め続けただろう。びくっ!と一度痙攣して、それが最後だった。

お姉ちゃんは、絶命した。呼吸も脈も、完全に止まっている。お姉ちゃんの美しい顔も髪も乱れて、ただ、無様な死に顔をさらしている。

でも、そんな顔のお姉ちゃんも、不思議とかわいかった。

これできっと、H君にまつわる因果は捻じ曲がるだろう。あとは、お姉ちゃんの復活を待つだけだ。

わたしは、お姉ちゃんが目覚めたときのためにココアでも入れてこようと立ち上がった。子供部屋の扉をあけて、キッチンに歩いていく。

しゅわしゅわしゅわ…。

背中のほうから、お姉ちゃんが生き返る音が聞こえてきた。

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