第2話 お姉ちゃんが殺人を赦してくれました

―お姉ちゃんはどうやら、死なない体らしい。なんてことを一回で受け入れられるわけではなく、結局わたしの中であの日の事件は「真夏の昼間に見た悪夢」ということで落ち着いた。

 きっと暑かったから熱中症にでもなって、幻覚をみていたのだろう。お姉ちゃんも死んだ時のことを聞いても「え?」と言っているし、そうにちがいない。変な夢なのだ。

 そう思いながら、しばらくは平凡に過ごした。そして、私は中学生になった。

 ぶかぶかの制服が体になじむ前に、わたしはまた好きな人を作った。三年生の生徒会長のH君だ。すっとした鼻と色白の肌をもつ、眼鏡が似合う王子様のような美貌のH君のことを、わたしは日がな考えるようになった。小学生のころの淡い恋とは比べ物にならないくらい、強く、強く。

 胸の中が火事になって、甘いにおいを立てながらふわふわと燃えているようだった。ロマンチックな情景が頭のなかに浮かんでは消えていき、毎日が夢見心地だ。

H君とわたしは、漫画みたいな恋をできるだろうかと考えては、そんなわけないと絶望する。その繰り返しがつづいた。でも、H君と幸せになりたい思いをほんのちょっとでも現実にしたくて、林檎のにおいのコロンをつけて学校に行くようになった。

そんな甘酸っぱい日常は、ある日あっけなく崩れ去った。

お姉ちゃんが告白されたのだ。

その日、いつもより緊張した面持ちで、わたしたちの部屋に帰って来たお姉ちゃんは、きれいな白い封筒に入った手紙を持っていた。

「お姉ちゃん、なにそれ。手紙?」

そう聞くわたしから、お姉ちゃんは顔を真っ赤にして封筒を隠す。

「えーなに、見せてよ」

「ちょっと」

「何それ」

「わ、私はこういうのよくわからないから…」

頬を紅潮させて俯くお姉ちゃんをおしのけて、無理やり手のひらの封筒を奪う。見ると、封筒にはていねいな男の子の字で「とわこ様」と書かれていた。

「え、なにこれ、ラブレター?」

「う…うん」

「きゃ!すごい、誰から?」

「えっと…でも私、こういうの本当によくわからないから」

「そんなの関係ないよ、見せてよ」

笑いながら宛名を見ると、そこにはやっぱり男の子にしては綺麗な文字で、H君の名前が書いてあった。

「え」

思わず手紙を取り落とす。目の前がじんわりと暗くなっていき、手が震え、涙がこぼれていく。

「どうしたの?」

心配そうなお姉ちゃんの表情すら、涙でかすんでいる。

H君は、わたしのことなんか好きじゃなかったんだ。そんなこと、分かっていたけれど。でも、だからってこんなことしなくていいじゃん。H君って、お姉ちゃんのことが好きなんだ。わたしじゃなくて、お姉ちゃんが。そして、H君の目の中にはお姉ちゃんだけがいて、わたしなんてどこにもいないんだ…。

「泣いてるの、りんね。もしかしてりんねって、H君が」

「うるさいっ」

わたしはお姉ちゃんを突き飛ばす。ままならない現実にヒステリーをおこしたわたしは、お姉ちゃんにむかってぬいぐるみを投げつけた。そのまま泣き崩れる。

 嫉妬。

 これは嫉妬だ。生まれて初めて芽生えた感情が、わたしを支配する。どす黒い、赤黒い、にごった気持ちだ。そしてその気持ちは、マグマのように脳の中を支配し、わたしの理性の制御をうばう。

―ふと、その考えが浮かんだ。

 そうだ。お姉ちゃんを殺すんだ。

 あの日、お姉ちゃんをたしかに「殺した」日―お姉ちゃんが死んだ直前のできごとが、全部なかったことになった。お姉ちゃんがわたしに告白したことも、わたしがお姉ちゃんと恋バナをしたことも、ぜんぶ因果がねじ曲がってないことになった。

 つまり。

 お姉ちゃんを殺したら、出来事が書き変わるんじゃないだろうか?

 お姉ちゃんのことを、H君が好き…ってことも。

 思いついたら、あとは体が勝手に動いた。部屋のすみに置いてあったキャリーバックを開けて、子供用のゴルフクラブを引っ張り出す。そしてそのまま、お姉ちゃんに向かって思い切り振り上げた。

ごっ!がっ!がっ!

鈍器が肉を穿つ鈍い音が鳴る。お姉ちゃんの小さな悲鳴がきこえてくる。痛みのあまり大きな声なんて出せないんだろう。

 抉られた肌が、折れた骨が、舞う血液がわたしを責め苛む。なんで殺したんだ、って。でも、わたしはひるまない。どうせまたお姉ちゃんは生き返るのだ…なんて、そんな確信があったから。

 何度も何度もお姉ちゃんを殴りつけて、わたしは、ついに殺した。

お姉ちゃんはもう動かない。美しい顔も、膨らみかけた乳房も、長い脚ですら、わたしが徹底的に叩き潰したのだ。

 そしてそのまましばらく待つと、やっぱりサイダーのような音がした。甘い匂いの女の子の部屋の中で、お姉ちゃんの体が再生していく。しゅわしゅわ、しゅわしゅわ、体組織を泡立たせながら…。


 +


 生き返ったお姉ちゃんは、眠そうに目を擦ると、のびをした。そして、座った姿勢のまま、殺人の疲労で肩で息をしているわたしの頬に手を伸ばした。

「え」

突然のことに、困惑する。なにかを言う前に、お姉ちゃんが狐のように妖艶な顔で笑った。

「りんねさ、私のこと、殺したでしょ」

小学生のころ、勉強をサボっていたのを見られたときのような、いたずらっぽい笑顔。わたしは混乱した。お姉ちゃんは死んだ時のことを覚えていないんじゃないの?

 怒られる、と思い、わたしは肩を持ち上げ、きゅっと体を小さくする。殴られるかもしれない、いくら穏やかなお姉ちゃんでもさすがに怒るよね…?

 ぎゅっと目をつむる。お姉ちゃんの柑橘系のコロンの香りが、ふわっと香った。そして…。

 目を開けると、お姉ちゃんの胸が近くに見える。なに?

 抱きしめられていることに気付いたのは、数秒経ったあとだった。なんでお姉ちゃんがわたしを抱きしめているの?

 お姉ちゃんは、怒りもせずにただわたしを抱きしめ、やさしく撫でた。窓の外から大きな月がのぞいていて、お姉ちゃんはそんな大きな月を背後に置いて、ただわたしを撫で、笑いかけている。

 変な光景だった。

 魔女みたいな怪しくて甘い笑みを浮かべて、お姉ちゃんが言った。

「どうして私を殺したの?」

その言葉に、胸の中の一番脆くて繊細なところを突かれたような気がして、思わずわたしは泣き出した。しゃくり上げながら、罪を告白する。

「お姉ちゃん、ごめんなさい。お姉ちゃんが、わたしのすきな人に告白されてたの。それでわたし、おねえちゃんを殺したら現実が書き変わるって思って…」

奇想天外なことだったけれど、お姉ちゃんも身に覚えがあるのか、あっさりと信じてくれた。

「そっか」

そして、慈しむようにわたしを撫でる。

「その男の子には、私より、りんねが愛されるべきだって思うわ」

蜂蜜がとろけるような、甘いあまい声で囁く。

「きっと、そんな悲しい運命、もう書き変わったわね。だって、私、そんな子からラブレターをもらった記憶がなくなってるもの」

それが、わたしの二度目の殺人だった。

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