第25話 神崎沙綾の火曜日

 今日は梨花の愛娘の千奈津の誕生日パーティーをすると、沙綾は梨花の家にお呼ばれしていた。

 タイムカードを押し、定時に仕事が終わった沙綾がスマホに目をやると、つい今しがた昴からラインが届いていた。


【昴】今日は昨日よりは早く終わりそうなんだけど、夕飯でもどうかな?

【昴】少し待たせちゃうかもだけど、なるべく早く終わらせるから。なんならうちで待っててくれてもいいよ

【昴】付き合って一週間記念だし、一緒にいたいんだ


 一週間記念って何?

 世の中のカップルは、そんなに頻繁にお祝い事をしているんだろうか?


【沙綾】先約があるのですみません


 すぐに既読がついて着信がつく。バイブにしてあるので周りには気づかれてないが、沙綾はスマホを片手にオフィスから廊下に出た。


『沙綾ちゃん、ごめん、電話しちゃった』

「はい神崎です。いつもお世話になっております」


 いかにも仕事上の電話ですよ……と装っているが、庶務課でしかも雑用専門の沙綾に、仕事の電話がスマホにかかってくる筈がないことを沙綾は失念している。そして、誰も沙綾の私用の電話など興味はない。


『やだな、他人行儀だね』

「申し訳ございません」

『あ、ほら右側見て』

「はい? 」


 恐る恐る右側を見ると、廊下の端でスマホを耳に当てている昴がこちらに小さく手を振っていた。沙綾はわざと逆の方向に身体ごと向きをかえる。


「な、何で? 」

『鍵を渡した方がいいかなって思って来てみた』

「いや、今日は用事がありますので」

『そう、それな。本当に用事? もしかしてだけど、僕のこと避けたりしてない? 』

「いえ、ちいちゃんの誕生日なんでパーティーにお呼ばれしてるんです」

『ちいちゃん? 』

「……梨花姉ちゃんの一人娘です」

『あー、そっか。ならいいんだけど。じゃあ帰りは遅くなる? 』

「今日はお泊りです」

『そっか、遅くに帰るよりは安全だよね。じゃ、僕はもうちょい仕事してから帰るから』

「お疲れ様でした」


 スマホの着信を切ると、昴は小さく手を振ってからエレベーターの方へ向かっていった。

 梨花の家に行くと言ってもたいして反応しなかった昴を見て、梨花とのツーショット写真は何だったんだろうと首を捻る。あの後に流れた昴本命の彼女(沙綾にその自覚は薄いが)の噂、梨花の親戚であるという内容からして、昴が話したんだろうとは思うが。


 その時、エレベーターに乗った昴が梨花に連絡を取り、状況説明と共に沙綾にくれぐれも誤解のないようにフォローを頼んでいたことは、沙綾の全く知らない出来事だった。


 オフィスに戻り、帰り支度をして帰ろうとデスクから離れようとした時、同期の松尾まつお優香ゆうかが声をかけてきた。


「神崎、もう帰るの」

「定時……を過ぎましたので」


 沙綾は、この松尾という同期が苦手だった。見た目が華やかで、いかにも女を全面にアピールしているタイプに加え、仕事ができないのにあっちこっちに手を出して失敗し、知らないうちに沙綾の失敗に置き換えてたりするやっかいな同僚なのだ。


「相変わらず地味ね。ところで神崎ってさ、まさかと思うけど縁故採用じゃないわよね? 」


 バリバリの縁故採用です。

 最初は秘書課に採用されるところでした……しかも叔父の正の専属秘書に。なんの資格もないし、対人恐怖症で秘書はありえない、秘書課に配属されるくらいなら入社しないと言ったら、庶務課配属にするから入社しなさいと言われて、無面接でエントリーシートも履歴書も提出せずに採用されたのだ。多分、正が勝手に履歴書を作成して採用リストに潜り込ませたんだろう。正確には第一秘書の島津さんにやらせたんだろうけど。


 あえて松尾の問いに答えないでいると、松尾は勝手に「そんな訳ないわね」と、自分から聞いてきておいて自己完結させていた。


「営業の浅野さんの彼女が社長の親戚らしいのよね。で、前に浅野さんが営業事務の寧々にあんたのこと聞いたことがあるって言ってたから、一応聞いとこうかと思ったのよ。同じ神崎でも、社長やモデルのリンカとあんたじゃ、一滴の血の繋がりもないと思ったけどさ。やだ、くだらないこと聞いちゃったじゃない」


 けっこう繋がってます。叔父と従姉妹ですからね。


 松尾は時間を無駄にしたというように沙綾の肩を叩くと、挨拶もなくさっさと帰っていってしまった。

 毎回勝手なことを喋って、とりあえず沙綾のことを貶めて行くが、くだらないことだと思うなら話しかけないでほしい。

 沙綾はため息を吐きつつ、千奈津への誕生日プレゼントの入った紙袋を抱え直して会社を出た。


 電車に乗ること一駅、閑静な住宅街の一角に梨花の家はあった。庭付き一戸建て、維持管理が面倒くさそうであるが、そこはシッター兼家政夫の葉月がしっかり管理しつつご近所付き合いや町内会活動なども行っているから問題はない。インターフォンを押すと、千奈津が真っ先にドアを開けて沙綾に飛びついてきた。その後ろからエプロン姿の葉月もやってきた。


「ちいちゃん、お誕生日おめでとう。これ、誕生日プレゼントね」

「さーちゃん、来てくれて嬉しい! ね、これ見ていい? 」

「いいよー。向こうで開けてね。葉月さん、梨花姉ちゃんは? 」

「今日はもうお帰りです」

「はー君がね、沢山ご馳走作ってくれたんだよ」


 千奈津に手を引かれて家に上がると、ダイニングには確かに所狭しと美味しそうな食事が並んでいた。一番立派なのはテーブルの真ん中にある鶏の丸焼きだろうか。お腹の中に具を詰めて焼いてある葉月特製の鶏の丸焼きは、皮がパリッと飴色に焼かれていて、他では食べられない一品だ。特にお腹の中に詰めてある、人参と玉葱を炒めたものを千切ったパンと一緒に牛乳で捏ねたものは、鶏の味が染み込んで沙綾の一番の好物だった。

 他にも、サラダやカナッペ、鶏のガラで煮込んだスープに、巻き寿司などなど。サラダの盛りつけにしろ巻き寿司にしろ彩り豊かで、とてもゴツイ三十男の手作りには見えない。


 梨花もダイニングにやってきて、みんなで揃って千奈津の誕生祝いを始めた。甲斐甲斐しく食事を取り分ける葉月は、どう見てもこの家の主夫だ。


 大量にあった食事はあらかた食べ終わり、最後には葉月特製ケーキが出てきた。千奈津が最近はまっているアニメのキャラクターの絵が書いてあった。このブリブリの少女アニメのキャラクターの絵を葉月が黙々と書いている姿を想像して、あまりのミスマッチぶりに沙綾の頬も緩む。


 食後にはみんなでトランプやウノをして遊び、千奈津とお風呂に入って寝かしつけた。千奈津が爆睡しているのを確認し、沙綾は千奈津を起こさないように起き上がった。

 リビングに行くと、梨花は一人でワインを飲んでいた。葉月は後片付けをしているのだろう。


「梨花姉ちゃん、今日はご馳走さまでした」

「どういたしまして。沙綾も飲む?」

「私はいいや」


 梨花の真正面に座り、ツマミに置いてあるカマンベールチーズをつまむ。


「そういえば、私のせいで浅野さんの写真が流出して悪かったわね」

「……」

「なぁに、その顔。もしかしてヤキモチやいてる? 」


 ニヤニヤ笑う梨花から顔をそらすように俯く沙綾の横に梨花が移動してきた。


「バカね、彼は沙綾の話しかしなかったわよ。最初に会った時にさ、沙綾がいなくなってから少し話したじゃない? あの男、私に全くの無反応で、沙綾のこと好きっぽい態度とってたから、どれくらい本気か呼び出して試してみたの」


 試す……とは?

 色仕掛的なアレだろうか?


「あんた、あまり喋らないけど表情に出過ぎよ。ちなみに色仕掛とかじゃないからね。私のタイプ知ってるでしょ。あんなキラキラしたイケメンは苦手なの」


 それは知ってる。


 梨花はキラキライケメンと学生結婚して、その人があんまりに束縛が強くてストーカー気質の人だったから妊娠中にも関わらず離婚したのだった。それからもしばらくストーカーされ、心底イケメンが嫌いになった梨花は、元夫に襲われた時にたまたま居合わせて助けてくれた葉月と同居を始めた。いわゆる緊急避難としてだった。

 ただ、梨花の家事能力や育児能力が壊滅的過ぎて、いつしか葉月が家事・育児担当となった。葉月は嫌がることなく主夫業をこなしているが、実はイラストクリエイターという職業をきちんと持っており、その手の業界では有名人だったりする。

 梨花の好みはイケメンじゃなくて強面だけど優しい人。つまりは葉月その人なのであるが、いまだに二人は同居人の域を出ていなかった。


「浅野さんって、沙綾のことしか喋らないし、沙綾の写真見せたら蕩けるような顔して見てたわよ」

「……梨花姉ちゃん、何見せてるのよ」

「私のアルバムの中の沙綾コレクションよ。それで、浅野さんあんたのアパートのセキュリティについて心配してたわよ。私もずっと言ってるじゃない」

「うん、まぁ大丈夫だよ。私なんか襲う人いないし」

「バカね、男なんて穴さえあれば挿れたがる人種なの」

「梨花姉……下品」

「あんたは別にブサイクでもなんでもないのよ。ごく普通に可愛い女の子なんだから、危機意識はしっかりしとかないと、後で後悔しても遅いのよ」


 別に沙綾だって襲われたい訳ではない。それなりに気をつけてはいるつもりだが、そんなにあのアパートは駄目だろうか?一応1階は危ないから2階の部屋を探して住んだのだが。


「沙綾のアパート、もうすぐ更新じゃないの? 」

「そうだねぇ、あと半年はあるけど」

「なら、この際引っ越しなさいな」

「ええ? 」


 更新の時に更新料として家賃の1.5ヶ月分支払わないといけない。家賃を合わせると2.5ヶ月分の出費になる。最近は敷金礼金無しの物件もあるし、引っ越しするのも手かもしれない。何より、最近お隣さんの激しい閨事情で寝不足もいいところだ。このままでは、お隣さんの不幸早く別れろ!を願いかねない。


「あのね、私の知り合いでルームシェアの相手を探している人がいるの」

「ルームシェア……」


 他人と同居とか、沙綾には敷居が高過ぎる。


「その人、仕事が忙し過ぎてほとんど家には寝に帰るだけみたいなの。出張も多いみたいだし。共同の場所の掃除をしてくれるなら家賃は今の沙綾の支払ってる家賃の半額でいいって。しかも敷金礼金なし。更新料もなしよ。光熱費も家賃に込みだって」

「それって……」


 あまりに条件が良すぎないだろうか?

 でも、そうなれば昴にすぐにでも全額返金できるだろう。更新の為に貯めていた貯金を回せるだろうから。


「大丈夫、その人の為人ひととなりは私が保証するわ」

「……ちょっと考えさせて」

「了解。でもなるべく早くに返事ちょうだいね。じゃないと、他の人が決まっちゃうかもだから」

「うん、どれくらいに返事したらいい? 」

「今週か……来週までかな。その人、しばらく出張でいないみたいだから、事前に会ったりできないかもだけど、私の知り合いだから問題ないわね」

「え……そう? そうなのかな」

「じゃ、そういうこで。私はお風呂行ってくるわね。来週までよ。こんな良い案件ないんだからね。私は全面的にオススメだから」


 梨花はヒラヒラと手を振ってリビングから出て行った。


 確かに金銭的には魅力的な提案である。ただ知らない人間と同じ家に住む。それに耐えられるだろうか? それだけが気がかりだった。







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