第29話 追い詰められて②


 急いで恵里香の家に向かうと、一人なのか恵里香が自ら出迎えてくれた。


 僕と同じく左腕に怪我をしたのだろう。処置が施されている腕は痛々しい。


「恵里香、それ……」

「うん、病院で縫ってもらったの」


 そう言って腕を見せてくれる恵里香。


 見ると一部ガーゼが貼ってあり、包帯はそれを固定しているみたいだった。大きさからみて、かなりの数縫ってある事は用意に想像出来た。


「昨日の夜、あの状況をどう説明すればいいのかな、ただ私が見ている前で包丁が勝手に動き出して……あり得ないよね普通なら。でも本当なの、びっくりして咄嗟に腕で庇ったら……こうなっちゃった」


 恵里香は困ったように笑っている。


 その笑顔は痛々しくて見てられなかった。


「恵里香、ごめん」

「優君が謝る事ないよ」

「でも、ごめん。皆を守るって決めてたのに」

「優君が沢山心配してくれてた事は知ってるよ。本当に嬉しかったの」

「けど、結局恵里香には怪我を……一真と神奈の時は傍にいれたのに」

「いいんだよ。私は怪我をしただけだから……翔也君みたいにはならなかった、から」


 最後の方は声が震えていた。顔を上げると、恵里香の目が潤んでいる。


「だ、大丈夫。うん、私は、だい、じょうぶ」

「恵里香、無理しないで」

「無理なんて、あ、あれ、おかしいね。泣くつもりなんて、なかった……のに」

「泣こうよ。感情を殺してたら、本当に壊れちゃうよ」

「ぅ、ぅう……怖かったよ」

「うん、そうだよね」

「優君、怖かったよぉ」

「恵里香、生きていてくれてありがとう」


 抱き着いてきた恵里香は声を殺して泣いている。


 僕は少しでも恵里香が落ち着けるように、ゆっくりと背中を撫でてあげる事しか出来なかった。そんなことしか出来ない自分が情けない。


 それでも恵里香の低い体温を直接感じて、生きていてくれた事に本当に感謝した。


 恵里香の言う通り、怪我で済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれない。


 一真や神奈の時は、もし直撃していたら確実に怪我だけでは済まなかったはずだった。


 恵里香も少しでも違う場所に怪我をしていたら危なかったかもしれない。それでも誰も傍にいない時に怪我で済んだのだのは、考えようによっては運がよかった。


 ただし問題はある。


 恵里香の話しが本当なら、一連の事件は単なる事故としてはかたずけられないということになるということ。


 翔也の件の真相は分からないけれど、一真の時も神奈の時も何かしらの偶然ともいえるような状況だった。


 けれど恵里香の話しが事実なら、それはもう何かしらのオカルト的な存在を認めなければならなくなってしまう。


 そして僕は恵里香を疑うつもりなんてない。


 つまり僕は神様とやらの存在を否定することが出来なくなった。




 その後、僕は一真と神奈を迎えに行って恵里香の家に再度集合した。


 空気は最悪。


 前までは幼馴染メンバーで集まった時に静まり返る事なんてなかった。それが今は誰も自分から話し出そうとはしない。


 皆疲れ切った表情をしていて、重苦しい空気を常に身体から発しているみたいに見える。


 僕は少し前までの楽しかった日々を思い浮かべていた。


 笑顔と話声で溢れていたあの日々とは何もかもが変わってしまっている。人数だって足りないし、残っている人も、皆別人みたいに人相が変わってしまった。


 実際に身の危険に合い、一度はそれを回避したとはいえ、恵里香が怪我をした事を知った一真と神奈は、最近はめっきり表情に乏しくなった顔を酷く歪めていた。


 怪我をした恵里香の衝撃はそれ以上だろう、今もどこか虚ろな瞳をしている。


 僕たちが限界を迎えているのは明らかだった。


「ねぇ、もう一度、行ってみない?」


 沈黙が支配する部屋に恵里香の声が小さく響く。


 恵里香は俯いたまま、一真と神奈も反応がなく、聞いているのかも分からない。


 再び、少しの沈黙がやってきて、どうしてかこの話を終わらせちゃいけないと思った僕は、恵里香に話しを聞いてみることにした。


「どこに?」

「……あの神社に」


 その恵里香の言葉には、さっきまで廃人のようになっていた二人も反応して顔を上げた。二人の表情には恐怖が張り付いている。


「絶対に嫌! あんな神社に行ったせいでこんな事になってるかもしれないのに、なんでまた行かなきゃいけないのよ!」

「オレも、行きたくない」


 ヒステリックに叫ぶ神奈と、ただ短く答える一真。


 二人の返答に恵里香はまだ俯いたままだ。


「恵里香、どうして神社に行きたいの?」


 話を進めてくれることを待っているかのような恵里香に、僕はまた疑問をぶつけてみた。


「あそこに行けば何か分かるかもしれないから」

「何か分かったところで何? 行けばアタシら助かるわけ?」

「分からないよ。けど、何も分からないままじゃ、助かる可能性もないんじゃない?」


 恵里香に見つめられた神奈は少し気まずそうにして口を閉じた。


 恵里香の言葉にもっともだと思ったのかもしれない。実際、僕もそう感じた。


 何も分からないままじゃ、本当にあの神社での出来事が関係しているのかどうかも分からない。


「行ってみようか」

「優人⁉ 本気?」

「うん。どうせ、他に出来ることもないし」

「けど、危ないかも」

「それはどこにいてもそうだよね。それに、もう皆限界だよ。このままじゃ壊れちゃう」

「そんな、こと……」


 最後まで言えない神奈は口を閉じた。


 壊れそうな自覚も、皆が壊れそうな認識も持っているからこそ、ないとは言い切れないのだろう。


 だからこそ、そうなってしまう前に何か出来ることはやるべきだと思った。


「皆はここで待っててよ」

「何言ってるの優人、まさか一人で行くつもりなの?」

「うん。大丈夫、僕は鬼だったから何もないと思う。危ないのは皆だから三人で固まって待ってて」


 力強く笑ったつもりだった。


 でも情けない性格はそうすぐには変わってくれない。立ち上がった僕の脚は隠せないほどに震えていた。


「怖いけどね。平気だよ」

「優君、私も行くよ」


 強がっていると恵里香が立ち上がった。


「いやダメだよ。恵里香は危ないかもしれないんだから」

「でも優君が危なくないっていうのも、現時点ではただの想像じゃない。一人になんてできないよ」

「え、恵里香……」


 つい感極まって目が潤む。


 僕は本当にいい幼馴染を持った。


「アタシは……アタシも行く! どこにいても結局は怖いし」


 吹っ切れたように神奈も立ち上がる。


 あとは一真だけ、僕としては、一番憔悴している一真には本当に無理はしないで欲しいと思っていたけれど、皆に続くように立ち上がってくれた。


「オ、オレも行くって! 置いてくなよな!」


 一人が怖かっただけかもしれないけれど、その声には少し力がこもっているように感じた。


 四人で頷きあう。


 何が起きるか分からない。


 それでも僕たちは神社に向かうことに決めた。

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