第38話 訪れた何か①


 どのくらいドアを睨みつけていただろうか。


 ノックというには乱暴すぎる音が止んでから、相変わらず静寂が続いていた。


 時間が経つにつれて張り詰めていた空気が少しずつ緩んでくる。


 もう何もいないのかもしれない。


 そう考えると痛いくらいに入っていた身体の力が抜けて、僕は思わずその場に座り込んだ。


「……って…たのに、……は…よ」


 聞こえてくる呪いの呪文ような呟きは一真のものだ。


 一真はまだ身体を丸めて床に這いつくばっている。


 なるべく音を立てないように傍に駆け寄ってもその呟きは小さくてよく聞こえない。


「か、一真?」


 呼びかけてみても返答はない。


 一真は一点を見つめたまま僕の事なんて目に入っていないかのようだった。


 まるでおかしくなってしまったかのように一心不乱に何かを呟き続けている。その姿は流石に少し不気味だった。


「一真! しっかりして! もう大丈夫だから」


 大きな声で呼びかけて身体を揺さぶる。


「一真!」

「……あ、あぁ」


 やっと我に返ったの一真と目が合う。その瞳にはしっかりと僕の姿が捉えられていた。


「落ち着いて、もう大丈夫みたいだから」


 一真の目を見てゆっくりと伝える。


 荒い息をしながら目を見開いていた一真は、何度か頷いて状況を飲み込もうとしているように見えた。


 充分に落ち着いてくれるまでゆっくりと待つ。冷静になってもらわないとこの先何かがあった時に致命傷になりかねない。


「ほ、ほんとか? さっきの奴はもういないのか?」

「それは……」


 正直に言えば僕にも分からなかった。


 何も音がしないだけで、まだドアの向こう側に何かがいるかもしれない。


 僕が答えられないでいると、一真はまた震え出してしまった。一瞬で老けてしまったような顔も痛々しくて見ていられない。


「僕が確認してくるから、一真はここで待ってて」


 小声で伝えて立ち上がる。


 本当は玄関に近寄りたくもない。けれど一真の事を考えると僕が何とかしてあげなければと思った。


 大切な幼馴染のためだと自分に言い聞かせて、震える足を一歩ずつ慎重に踏み出す。僕は一真を何としても守りたかった。


 一歩玄関に近づくごとに挫けそうになる心を奮い立たせて前進する。


 そうして玄関まで辿り着くまでも、静寂は続いていた。


 モニターには相変わらず何も映っていない。


 外を確認するには玄関の覗き窓を見るしかない。


 そんな時に限って嫌な事を思い出してしまう。あれはたしか海外のドラマだった。覗き窓を見た瞬間、針のような物が飛び出してきて眼球を突きさされてしまうシーンがあった。


 ただでさえ怖いというのに、そんな事を思い出してしまっては余計に見るのが嫌になってしまう。


 僕は一度振り向いて一真を見た。


 震えている身体を小さくして、こちらに縋るような視線を向けてくる一真と目が合う。


 その瞬間には、僕は覚悟を決めた。


 一真のためにも二の足を踏んでいる場合でなない。


 一真に向かって頷き、決心が鈍らないうちに意を決して除き窓に目を近づけた――




「…………何もいない」


 外には何もいなかった。


 もちろん除き窓から見える範囲は限られている。ただその範囲を限界まで見渡しても変なも人影も、おかしな物体もなにも見えなかった。


 代わり映えのしない外の景色に若干拍子抜けする。


 そうして気を抜いた瞬間に、何かが勢いよく現れる……なんてこともなく。いつまで経っても何も起こらなかった。


 覗き込む体制に疲れてきて顔を離す。振り向くと一真が相変わらず僕を見ていた。ただ、その目には少しだけ希望のようなものが見え隠れしていた。


「ゆ、優人? もう、いないのか?」

「うん。何もいなかったよ」


そう答えてあげると、一真は不器用に笑ってくれた。




 ――ガタガタガタガタガタガタガタ!!


 その瞬間、今度は部屋の窓が勢いよく揺れ出した。


「うわぁあああああああああ!?」


 不意を突かれた一真がこちらに向かって逃げて来る。けれど、慌てすぎてしまったのか足がもつれて転び、顔面を床に打ち付けた。


「一真!? しっかりして!」

「ゆ、優人! なんとかしてくれ! 死にたくない! オレは死にたくないだよ!」


豪快に転んだことさえ気にする余裕もないのか、一真は泣きながら縋りついてくる。


 すぐになんとかしてあげたかったけれど、僕には縋りついてくる一真を抱きしめてあげることしか出来なかった。


 部屋の窓全体が激しく揺れ騒音が響く中、僕たちは抱き合ってただ祈る事しか出来ない。


 もう誰かが助けに来てくれる事はないと分かっていた。


 これだけの音が響いているのに、一向に誰も苦情を言いに来ないのは、神様とかいうふざけた存在が絡んでいるからなのだろう。


 僕はきつく目を閉じて、早く諦めろと心の中で何度も念じる事しかできなかった。

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