アイリス事務所黎明編

第31話 アイリス事務所、始動

 ようやく掃除が終わった――。


 いやぁ、自分の家でなくとも綺麗に片付くというのは気持ちの良いものだ。


 心機一転という気分になる。


 そんな気分のままに、本日は自己紹介を兼ねた作戦会議を行う事になったのだが……。


「この会議室、狭くね?」


「元々、こんなに人数が増えるとは思っていなかったんですよ。最初ですから、せいぜいが三、四人で開始する事を想定していて……」


 思った以上に人口密度の高い二階の会議室にケチをつけると、黒髪黒目のボブカットの女性が頭が痛いとばかりに片手で顔を覆う。


 彼女こそ、アイリス事務所プロダクションの所長であるアイリス女史だ。


 彼女の当初の計画では小ぢんまりとした感じでスタートする予定だったらしい。


「下のリビングを後で兼任の会議室に改装した方が良さそうだな。ウィルグレイ手伝ってくれ」


「何で俺が……と言いてぇが、確かに狭いからな。手伝ってやるよ」


 坊主頭の筋肉達磨が窮屈そうに身を縮こまらせて会議室の椅子に座っている姿は、単純に辛そうだからな。声を掛ければ乗ってくれると思っていたよ。


 そして、そんなウィルグレイに引っ付くようにして立っているのがニーナちゃんだ。


 ニーナちゃん用の椅子はちゃんと用意されているのだが、何故かウィルグレイにベッタリである。ウィルグレイは嫌がって引き剥がそうとしているようなのだが、すぐに引っ付いてくるのでもう諦めたらしい。根性ないな、ウィルグレイ!


「お、なんだ? 事務所でっかくするのか? 解体するなら私に任せるんだぞ! 冒険者時代は解体の依頼は得意だったからな!」


「絶対やめて……」


 意見を即却下された赤毛癖っ毛のツインテールの少女の名前はムン。これでもS級アイドルというアイドルの頂点の一角である。


 何の因果か、一流アイドル事務所から、この弱小アイドル事務所に電撃移籍してきたせいで、引き抜きの悪評を振り撒いている元凶なのだが、本人は至って気にしていないようだ。


 まぁ、苦労しているのはアイリス女史だしな。本人にとってはどうでも良いのだろう。


「ノアも、シャノンちゃんも手伝えることがあるなら手伝うですよ!」


「…………」


 そして、問題児のムン女史とは違って優等生な我が弟子……死んだ目のダークエルフであるノアちゃんと、貴族の娘でもある超絶美貌の持ち主、蒼髪のシャノンちゃんが合わせて頷く。


 メンバーとしては、これで全員。


 俺を合わせて全員で七人もいる。


 当初の予定の二倍近く居るのだ。


 会議室も手狭に感じることだろう。


「会議室の移動については、この会議が終わってから行いましょう。とりあえず、まだこの業界に入って日も浅い人も多いと思いますから、今のアイドル業界の情勢から教えておこうと思います」


 そういえば、アイドル業界の現状というのは知らなかったな。なんか桜花プロダクションとかいうのが、幅をきかせているんだっけ?


 逆に言うと、それぐらいしか知らないんだよなぁ……。


「現在、アイドル業界の中で最大手と呼ばれるのが、桜花プロダクションです。桜花プロはアイドル候補生を含めると三百人以上のアイドルを抱え、一流と呼ばれるA級以上のアイドルに至っては四割を抱えるという業界の顔的なアイドル事務所です。多分、皆さんも名前ぐらいは聞いたことがあると思いますが……」


「まぁな。アイドルには詳しくない俺様でも知ってるぐらいだ。この町にいる奴なら誰でも知ってるんじゃねぇか?」


 ウィルグレイが同調するが、俺ですらも知っているアイドル事務所なんだから、その著名度は確かだろう。


「そうですね。超有名なんです。当然のように設備も人員スタッフの数も超一流。基本的にこの事務所に睨まれると、にっちもさっちも行かなくなるので絶対にトラブルは避けて下さいね? 本当に。えぇ、本当に」


 そう言って、アイリス女史はムン女史にニッコリ。


 言われてる、言われてる。チクリと言われちゃってるよ、ムン女史。


 でも、ムン女史は華麗にスルー。


 メンタル強いな、おい。


「桜花は色んな所に金掛けてる超大規模な事務所だぞー。勿論、そこに所属する一流のアイドルも金を持ってるんだぞ! ムンもだな! えっへん! けど、二流のアイドルは待遇も金払いも悪いから、とにかく必死になって鍛えまくって待遇改善を狙っているんだぞ! だから、皆がライバルで競争意識が凄くて、ムンが剣術を教えてって頼んでも誰も教えてくれなかったんだぞ! だから、ムンはここに移籍してきたんだぞ! えっへん! えっへん!」


 業界最大手には、最大手なりの特殊な環境があるらしい。


 まぁ、そんな環境じゃ、頂点ムンをこれ以上強くしてたまるかと誰も戦う方法なんざ教えてくれんわな。というか――、


「桜花プロにもプロデューサーはいるだろう? そいつに剣術を習いたいって言っても動かなかったのか?」


「プロデューサーはムンのスケジュール管理が主な仕事で、訓練メニューとかは全てムン任せだったんだぞ! 聞いても自分でどうにかしてくれってスタイルだったんだぞ! だから、どうにかしたんだぞ!」


 そのせいで、アイリス女史に弟子入りか。


 アイリス女史も不運というか、持っているというか、なかなか楽しい事になっているじゃないか。


「なるほど。桜花プロに所属するアイドルたちが、いつも試合ライブで必死な理由が分かった気がします。自分の立場が掛かっているのだから、それは必死になろうというものですね。クロイツプロのアイドルとは違うという事ですか……」


「クロイツプロ?」


 俺が聞き返すと、アイリス女史は俺の目を見て頷く。


「業界のナンバーツーとなります。ここ五年で大きくなったアイドル事務所ですね。オーナーが元大商人とあって、損得勘定でアイドルを切り捨てたり、引き抜いたり……あまり良い噂を聞かない事務所です。そんな事務所だからか、所属するアイドルもどこかビジネスライクというか、戦っていてもあまり覇気を感じないんですよね」


「でも、実力はあるんだぞ! ムンも何だかんだ【竜化】をいつも使わされてるしな!」


 貪欲にガツガツいく桜花プロとは違って、クールでプロ意識の高いクロイツプロといったところかな?


 しかし、引き抜きとか切り捨てが激しいというのはどうなんだ? 所属しているアイドルたちも戦々恐々としているんじゃないかね。そんな環境で実力が出し切れるものなんだろうか……分からん。


「切り捨てとか……冒険者ギルドだけじゃねぇのかよ。そういうのはどうにも気に入らねぇな」


 意外と熱いこと言うね。ウィルグレイ君。


 だが、まぁ、俺も同意見だ。


 俺がアイリス女史に視線を向けると、彼女も無論だと言わんばかりに頷く。


「勿論、私のアイドル事務所では、クロイツプロのような損得勘定でアイドルを取捨選択するような経営方針を掲げるつもりはありません。そうですね、良い機会なので我が事務所のこれからの展望についてもお話ししておきましょう」 


 アイリス女史はひとつ息を吐き出すと、決意を込めた視線で全員を見渡す。


「この事務所をなるべく大きくしていく事は勿論ですが、私はなるべく所属アイドルたちの希望を叶えて、アイドルたちの魅力を引き出したいと考えています」


「アイドル本位っつーことか? そんなのドコもやってんじゃねーの?」


 ウィルグレイが投げやりに質問するが、アイリス女史は首を横に振る。


 違うらしい。


「アイドルをより美しく輝かせ、女性により多くの活躍の場を――というのは、アイドル業の創始者である勇者イチジョーの言葉ですが、現在の業界はアイドルを輝かせるというよりは、アイドルを使って金儲けをしようと企む者の方が多く……残念ながら、創始者の精神に則っていないのが現状です」


 聞けば、事務所の意向をアイドルに押し付けて、アイドルの戦闘スタイルを変えさせたり、こっちの方がウケるからとアイドルに変な着ぐるみを着せて戦わせたりと、興行としての色合いを強くしているらしい。


 まぁ、アイドル業自体が興行みせものの意味合いが強いので、それは良いんだろうが……。


 問題なのはアイドルの意思を完全に無視しているところだ。


 事務所の強引な路線変更で、一時的にはそれなりの結果が出たりして、事務所もファンも喜んだりするんだが……アイドル自身は思い悩む事が多くなるらしい。


 まぁ、理想と現実のギャップってことだよなぁ……。


 格好良く戦うアイドルを目指してきたのに、着ぐるみを着せられて戦わせられ続けたら、『何ぞコレ?』とはなるわな。


 俺は、アイドルは個人事業主で、事務所はアイドルのバックアップを請け負う程度の裏方組織だと思っていた。


 だが、実際のところ、その力関係は逆転しているらしく、事務所の意向に従ってアイドルは戦い、そして使い潰されるというのが現状らしい。


 アイリス女史は、その常識を変えたいらしいのだ。


「私はアイドルの自主性を重んじ、そのバックアップが出来る環境を整えたいと思ってアイドル事務所を立ち上げました。――かといって、決して放任主義というわけではなく、共に支え合い、もっと彼女たち自身が輝けるように力を尽くしていきたい。そして、最終的には私たちのようなアイドル事務所が、アイドル事務所としての標準スタンダードになるようにしたい! ……そう考えております」


「「おー」」


 分かっているのか、分かっていないのか、ムン女史とノアちゃんがパチパチと手を叩いている。


 シャノンちゃんもあんまり音は出ていないが、と手を叩いている。


 どうやら、彼女たちはアイリス女史の演説に何かしらの感銘を受けたらしい。


 だが、現実問題として難しい部分もあるだろう。


「言いたい事は分かるがよぉ。それって、ガキ共が魔術を使いたいって言い出したら教えなきゃいけねぇってことだろ? 正直、攻撃用の魔術なんざ使えねーから、教えられねぇぞ、俺は?」


「大丈夫ですよ。その為の私です。【千剣】の名はダテじゃありませんから」


 武芸百般に魔法もそこそこ嗜んでいるというアイリス女史。こういうのをマルチタレントと言うのかね?


 まぁ、元々多才であった為に、そういったアイドル事務所を設立しようと考えた部分もあるようだ。一人満足そうに笑みを浮かべている。


「何にせよ、私の体が動く内に伝授出来るものは伝授したいと思っています。勿論、希望者に限ってですが……。まぁ、もっとも師匠役としては、私なんかよりももっと他に適任者がいるかもしれませんが……」


 ん? こっちを見てる?


 ふっ、なるほどな。


「やるじゃないか。ウィルグレイ君……」


「いや、どう見てもお前見てただろうが! え、嘘、俺? みたいな顔してこっち二度見すんじゃねぇよ!」


 ふ、ちょっと勘違いしてしまったようだな。


「任せ給え! 料理から日曜大工まで俺に掛かれば何でもプロ級に仕込んでみせるさ!」


「流石、ししょーです!」


「いや、範囲狭くねーか……?」


 ウィルグレイが疑惑の視線を向けてくる。


 ちょ、ちょっと言い間違えただけだし!


 森の中に三年も引き籠もって、人と話をする機会が減ればこういう事もそれなりにあるでしょうよ!


 そして、ウィルグレイが疑惑の視線を向けてくるのを真似して、ニーナちゃんが頑張って俺に疑惑の視線を向けてくるの――……和むわぁ。


「まぁ、師匠云々というのは置いといてだな……。俺としては、業界の標準を目指す事の方が難しいと思うんだが? それって相当な結果を出さなければ、ひっくり返す事が出来ない奴じゃないのか?」


 そもそも現状でそれなりに回っている業界の常識を変えてやろうというのだ。


 それには業界の誰もが納得する結果を出し、その結果を実績として積み上げる事で証明し続ける必要があるだろう。


 今までのやり方でアイドルを育てていては、一生アイリス事務所に追いつけないし、敵わない……そう思わせるだけの圧倒的な結果と実績が必要だ。


 だが、そんな圧倒的な結果というものをどうやって示せば良いのか。


 アイドルに詳しくない俺には良く分からない事ではあった。


「そこは簡単ですよ」


 だが、アイリス女史に言わせると、それは簡単な事らしい。


「S級アイドルを全てウチの事務所で独占しちゃえば良いんです」


 ブーッとムン女史が飲み掛けの紅茶を噴き出す。


 一瞬でムン女史の目の前のテーブルが大惨事となるが、それを甲斐甲斐しくハンカチーフで拭くシャノンちゃんは優しい子だなぁと思う次第である。まる。


 というか――、


「S級アイドルって独占出来るものなのか?」


 ブーッと今度はアイリス女史が紅茶を噴き出し、惨事の後を片付けていたシャノンちゃんが哀れにも紅茶塗れになってしまう。


「…………」


 うん。その悲しそうな目でこっちを見つめないでくれ。


 俺の発言のタイミングが悪かった事は認めるから。


 【清潔クリーン】と【乾燥ドライ】掛けるから。


 だから、その悲しそうな目でこっちを見るのは止めよう? な?

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