エピローグ 火花編「お兄ちゃん、大好き……」

「なあ火花ひばな。ちょっと話があるから、こっち来てくれるか?」


 桃本もももとさんと会って話をした、その日の夜。午後八時過ぎ。

 俺はそう、夕飯後の皿洗いを終えようとしている火花に話しかけた。

 すると火花は、最後の皿を水切りカゴの中に入れ、両手をタオルで拭いたのち、こちらにやって来る――ベッドに座っていた俺の、すぐ隣に腰かけた。


「はい、何ですか兄さん」

「……えっと、こっちに来て欲しいとは言ったけど、俺のすぐ隣にぴったり座って欲しいとは言ってねえんだけど?」

「用があるならさっさとお願いしますね?」


 俺の発言を無視してそう言う火花。……最近、こうしてわざとらしく俺と密着したり、俺の体に触ろうとすることが多くなったけど、これも彼女なりの『異性として意識してもらうための努力』なのかね……。


 俺は考えつつ、一つ深呼吸をする。

 兎崎とざきをフッたあの時から、この話を火花にする覚悟は決めていたけど、いざこうなってみるとやっぱ緊張してしまうな……。

 そう思った俺はまず、核心の部分に一歩ずつ近づくように、昔話を始めた。


「あのさ……俺って昔、当時付き合ってた彼女に浮気されて、死ぬほど凹んでた時期があったじゃん?」

「……はい。ありましたね、そういう時期。思い出すだけで、兄さんの元カノに対する怒りがふつふつと沸き上がってきますよ……」

「いや、あれはもう昔の話だから……そんな、いまのお前が怒んなくても……」


「別に、そんなには怒ってないですよ? いまでもたまに、兎崎さんの髪を掴んで引きずりまわして、『私の兄さんに二度と近づくな!』ってキレてる夢とか見ますけど、もう全然怒ってないです」


「全然怒ってないとはいったい」


 俺の妹が恐ろしい夢を見ていた。火花はほんと、兎崎のことが嫌い過ぎるだろ……。

 俺は内心でそう思いつつ、話題をもとの場所に戻して、続けた。


「つか、そうじゃなくて……俺が話したかったのは、あの時期のお前についてでさ……」

「あの時期の私、ですか?」

「ああ。去年の一月だから、もう一年以上前の話か……あん時、兎崎に浮気されて凹んでた俺を、お前は必死になって慰めてくれたよな?」

「はい、慰めました。でも、そんなの当然ですよ……あの時の兄さんは、性格ブスな元カノのせいで、気の毒なくらい落ち込んでましたから。そんな姿の兄さんを見たら、何か力になってあげたいって、私がそう思うのは当たり前じゃないですか」


「……ありがとな」


 何度言っても言い足りない言葉が、するりと口をついて出た。

 すると火花は、一瞬だけ黙りこくったのち、嬉しそうに微笑する。それはどこか、親に褒められて喜ぶ子供のような笑顔だった。


「私は別に、兄さんにそう言ってもらうために、兄さんを励ました訳じゃないですけどね。でも、それはそれとして――どういたしまして」

「ああ……そんでこれは、お前には言ってなかったこと、なんだけどさ……俺、あのすげえ辛い時期にお前に励まされたのが、ええと……めちゃくちゃ嬉しくてな? 俺を元気づけるみたいに、火花に抱き締められたあん時に……あの、なんつうか……」

「??? 兄さんらしくない歯切れの悪さですね。もっとスパっと言ってくださいよ」


 火花はそんな言葉と共に、可愛らしく小首を傾げる。それを受けて、俺はまた一つ深呼吸をした。くそ、恥ずかしい……自身の感情をさらけ出すっていうのは、どうしてこうも恥ずかしいんだろうか。

 俺と兎崎が付き合った時も、告白してくれたのは彼女の方で、自分からは言えなかった。好きな相手に思いを伝えることから、逃げてしまったのだ。


 でも、今度は逃げない……兎崎を選ばなかった以上、火花をちゃんと選んで、彼女の想いに報いるべきだと思うし、なにより――俺も好きだと、そう伝えたいから。

 俺は、大学二年生にもなってそんな、思春期真っ盛りの高校生みたいな理由で、自分の思いを火花に語ろうとしていた。


「じ、実は、俺……兎崎に浮気されて、落ち込んでる時期に――『私はずっと、兄さんのそばにいますから』ってお前に励まされた、あの時から……お前のことを、異性として意識し始めちまったんだよな……」


「…………え?」


 目を真ん丸にして、そう聞き返してくる火花。

 それに対して俺は、そんな彼女のリアクションから目を逸らすように、アパートの窓の外を見た。残念ながら今夜は満月じゃなかったけど、雲一つない夜空に浮かぶ星々は、そこそこ綺麗に瞬いていた。


「たぶん、あの日がきっかけだった……俺にとって、ただの妹だった筈のお前が、そうじゃなくなり始めたのは――も、もちろん? 彼女に浮気されて別れた直後に、義理の妹を性的な目で見るなんて、兄貴として最低だって自覚はあったから……だから俺はお前から、一定の距離を取ろうとしたんだ。……もともとは一人暮らしをする予定なんかなかったのに、大学入学と同じタイミングで実家から離れたのは、そういう理由だよ。俺は、お前を女として意識しちまったから、お前とちゃんと距離を置くために、一人暮らしを始めたんだ」

「え、え、え……?」

「大学一年生の頃、盆や正月に実家に帰らなかったのも、同じ理由だな。俺は、お前と正しい兄妹に戻るために、しばらくお前の顔を見たくなかったんだ。――だっていうのに、俺が大学二年生になったタイミングで、お前の方から勝手に、俺のアパートに転がり込んできやがるんだもんな……勘弁してくれよ、ほんと。そんなことされたら、お前を女として意識せずにはいられないだろ……」

「う、嘘……に、兄さん……?」


「短いスカートを穿いて足を崩すな、ドキドキすっから。可愛い寝間着なんか買ってきてんじゃねよ、抱き締めたくなるだろ。……男と一緒に写ってる写真なんか見せんな、嫉妬するだろうが。つか、添い寝とかマジであり得ねえからな? 気になってる女の子にあんなんされて、寝れる訳ないだろ……」


「に、兄さん……!」


 潤んだ瞳でじっと俺を見つめながら、うわ言のように火花はそう呟いた。

 そんな彼女に対して、俺はできる限りの笑みを浮かべる。……燃えるように頬が熱い。口にした言葉が恥ずかし過ぎて死にたくなる。――でも、いま俺が火花に語った言葉は、めちゃくちゃ恥ずかしいからこそ、痛いくらいの本音だった。


「だから、まあ、なんだ……倫理的には割とNGだし、兄妹の在り方としても間違ってるんだろうけど……俺もお前のことが、女として好きだから――」


 俺はそこで言葉を切ると、体を彼女の方に向け、改めて火花を見つめる。

 それから、いまにも泣き出しそうな顔の妹を見て、どうにも嬉しい気分になってしまいつつ……俺は言うのだった。



「いつまでも別れないことを前提に、俺と付き合ってください」



「――――」


 俺がそう言った、次の瞬間――がばっ、と。

 俺の胸に飛び込むようにして、火花が抱きついてきた。


 俺の腰をきつく、火花の両腕が抱き締める。彼女は俺の胸に顔を埋めて「ううっ、兄さん……兄さん、兄さん……!」と声を漏らしながら、さめざめと泣いた。俺の寝間着のTシャツに、火花の涙が染み込んでいく。体と体が触れ合っている部分から彼女の体温が移ってきて、少しだけ熱かった。


 そうして俺は、抱きついてくる火花を、そっと抱き締め返す。

 それと同時、「うわああああ……!」と、より一層泣き始める火花。そんな彼女をあやすように、大好きな女の子の頭を撫でていると――俺の胸に顔を埋めたままの火花が、涙声で呟いた。


「こんなの、嘘みたい……」


「…………」

「お兄ちゃんに、抱き締めてもらえるなんて……私の気持ちを、こうして受け止めてもらえるなんて……夢なんじゃないですか、これ……こんなに幸せなことがあっていいんですか? というか、やばいです……いま私、嬉しいやら恥ずかしいやらで、胸の奥がドキドキし過ぎて、心臓がちぎれそうです……こうして抱き締め合ってるだけでも、兄さんがちゃんと私を愛してくれてるのが感じられて……本当にこれ、もらっていいんですか? こんなに愛してもらえて、いいんですか……?」

「……もちろん。俺の思いが少しでもお前に伝わってんなら、俺も嬉しいよ」


「うううっ、兄さん……大好きです……こうして、兄さんが私を愛してくれたからじゃありません。私はただ、私自身が育てた感情だけで、死ぬほど兄さんが大好きです……だから、そんな大好きな兄さんに愛してもらえて、死ぬほど嬉しいです……こんなに嬉しくていいのかわからないくらい、幸せです……」


「そっか……そんな風に言ってくれて、ありがとな……」

「お兄ちゃん、大好き……」


 そんな言葉と共に、より一層――ぎゅっ、と。俺の体を抱き締める火花。

 ……正直な話、俺は過去に一度、こうして好きな女の子と両想いになって――多大な幸せを手に入れたあとで、その倍くらい不幸な思いもしているので、いま俺の胸で嬉し泣きをしている彼女ほど、純粋には喜べなかったけど……でも。

 こんな風に、俺の大好きな火花が嬉し泣きしている姿を見て、俺は――それを見ることで自分も、すげえ幸せな気分になるのだった。


 それから火花はしばらくの間、俺の胸の中で泣き続けた。

 十数分ほど時間が経ち、ようやく泣き止んだ火花は、俺を抱き締めていた腕をほどくと、俺と顔を見合わせる。――泣きはらして赤くなった瞳。涙の跡が残る頬。そんな、いつもより少しブサイクな顔で、彼女は「えへへ……」と幸せそうにはにかむ。


 それは、俺がこれまで見てきた火花の表情の中で一番可愛らしい、微笑だった。


「それじゃあ、キスしてください」

「…………あのー、一応、キスとか? そういう恋人同士がするような行為は、お前が高校を卒業するまで待つべきなんかなあ、なんて思ったりもしてんだけど……」


「待てません。いましてください。――ほら早く。ちんたらしてないで。ここに、あなたの彼女の唇がありますよ?」


「か、彼女の唇って……いや、間違ってねえんだけどさ」


 自身の唇を人差し指でとんとんしながらパワーワードを発する火花に、俺はそうたじろいだ。……正直、これまでずっと妹として接してきた火花に、そうすんなり彼女モードに移行されると、戸惑いを覚えずにはいられねえんだけど?

 俺はそう思いつつも、一つ深呼吸をしたのち、火花の両肩に両手を置く。そしたら、俺の手が肩に触れた瞬間、びくっ、と。彼女の体が一瞬だけ震えた。


「ひっ……に、兄さん……? き、キス、してくれるんですね……?」

「何でそんな怯えたような顔してんだよ……やっぱやめとくか?」


「い、いえ、やりたいです! やりたいんですけど……ちょっと嬉し過ぎて、気持ちが追い付いていないというか、色んな感情が小爆発を繰り返してるというか……! より正確に言うなら、私の中にある乙女心が、思春期の女の子みたいにきゃーきゃー騒いでいるというのが正しいかもしれないですきゃー!」


「わかりやすくテンパってんなお前。……ふふっ、そんな緊張すんなって。兄貴に任せとけ」


 明らかにドギマギしている火花がどうにも可愛くて、それを見ているうちにリラックスできた俺はそう、彼女に告げた。

 それから「じゃあ、するぞ」と彼女に囁くと、火花は慌てて瞼をぎゅっと閉じ、「ど、どうぞ召し上がれ!」と意味のわからんことを口走る。それを受け、俺はまた少し笑ってしまいつつ……自身の唇を、彼女のそれへと近づけた。


 そうして俺は、顔を少しだけ横にずらしながら――ちゅ、と。

 唇と唇を軽く触れ合わせるだけのバードキスを、火花にした。


「「…………」」


 時間としては三秒ほど。それが終わるとすぐさま唇を離し、慌ててそっぽを向く俺。……キスなんか兎崎と何回もしたし、だから今更緊張するようなもんじゃないと思ってたけど、あれだな……好きな女とするキスはいつになっても緊張するし、ましてやその相手が火花となると、めちゃくちゃ照れるわこれ……!


 わかりやすく顔が赤らんでしまったので、それが火花にバレないか少し不安になっていると、一方の火花は――しばし放心状態みたいな顔でぽけーっとしたのち、若干微妙な表情になって、こう言うのだった。


「……すっごいドキドキしました。大好きな兄さんにキスされて、だからすごいドキドキしたし、頭もぽわぽわしたんですけど……な、なんでしょう。兄さんのキスが手慣れていることに、とてもモヤモヤもしました……」

「…………」


 俺の頭の中で、小さな兎崎が「あーっはっはっは! ざまあみろ!」と笑っていた。やめろ、笑うな。つか俺の頭ん中から出ていきやがれ。

 そうして火花は、キスの余韻で赤らんだ顔のまま、俺にジト目を向ける。――わざとらしく不機嫌な表情。本気で怒ってはいないようだけど、どうやら俺に言いたいことがありそうな彼女は、不満げな声音で続けた。


「兄さんはこんなキスを、あの元カノにしていたんですね……」

「や、やめろ火花。そういう嫌な想像をすんな……い、いまはその、な? 俺達が彼氏彼女の関係になれた幸せに浸るべき場面であって、だからそんなつまんない嫉妬なんか、する必要――」


「うるせーです。だいたい、兄さんがいけないんじゃないですか。手慣れた感じでキスなんかしちゃって……もっと不慣れなキスの方が、兄さんの思いを真っすぐに感じられましたよ! 私のファーストキスを微妙な気持ちにさせないでください!」


「……どう返したらいいのかわかんねえけど、なんかごめんな……?」

「まあ? ちゃんとドキドキはできたし、兄さん好き好き大好きやばい好き、という感情にはなれたんで、別にいいですけど……」


 火花はそう言いつつ、何かを考え込むように俺の唇をじーっと見やる。

 それから、彼女はふいに、俺の両頬を両手で掴むと――「えいやっ」という掛け声と共に、ちゅっ、と。

 もう一度、無理くりやり直すように、俺の唇にキスをしてきた。


「んむっ!?」

「んっ……」


 再び感じる、柔らかな唇の感触。

 火花が顔を横にずらさなかったので、鼻と鼻が少し当たる。……その拙い口づけに、よくわからない愛しさを感じていると、今度は三秒も経たないうちに、火花の唇が俺から離れていった。

 すると、火花は――。


「…………しゃっ」


 手のひらで何度か自身の唇を触ったのち、先ほどよりも顔を真っ赤にして、そう言いながらガッツポーズをした。……そんな、わかりやすく嬉しそうな彼女を見た俺は、しどろもどろになりながら糾弾する。


「な、なななな――お、お前、なにしてんだよ! い、いきなりお兄ちゃんにキスとかすんな! ビックリするだろうが!」


「い、いえその、ファーストキスは嬉しいだけじゃなくて、微妙な気持ちにもなったので……純粋に嬉しいだけのキスがしたくて、つい……えへへ……」


「つ、ついって、お前なあ……せめて予告くらいはしろよ……」

「ふふっ、ごめんなさい。……それにしても、キスって案外、難しいものですね。私が顔をずらさなかったせいで、キスをする時に、お互いの鼻と鼻がぶつかっちゃいましたし。――ただ、これで大体のコツは掴んだので、次からは兄さんがとろけるようなキスをしてあげますね?」

「と、とろけるようなキスってお前……いやつか、お付き合いを始めた途端、兄妹でキスしすぎだろ俺達……お、俺、やだからな? 四六時中お前とキスしてるような、爛れた関係になるの……」


「私も、そんなのは愛情じゃなくて性欲の関係っぽいから、嫌ですけど……兄さんが元カノとしていたキスの感触を、早く忘れさせたいとは思っていますので」


「――――」

「たぶん兄さんはあの女と、これまでいっぱいキスしてきたんですよね? ……それに関してはちょっと嫉妬もしてしまいますけど、でも別にいいです。――私はこれから、あの女の何倍も、何十倍も兄さんとキスをして、兄さんの中に残っているであろう『あの女とのキス』を忘れさせてやりますから。兄さんを、私とじゃないと上手くキスできない男にしてやりますよ。覚悟してて下さいね。――ふふっ」


 そう言っていたずらっぽく笑う火花に、俺は少しばかり眩暈を覚える。

 そうか……俺が好きになって、好きと言った女の子は、こういう子だったのだ。

 こういう、少しばかり嫉妬心が強くて――だからこそ可愛い女の子だった。


 そうして、火花の可愛らしい、けれど可愛らしいだけじゃない笑顔を見ていたら、俺の中にわだかまっていた迷いや不安が、ゆっくりとほどけていく――。


 俺にとって妹のような、いとこの関係にある女の子と、俺は付き合ってしまった。

 それはきっと、世間一般から見たら、易々とは受け入れてもらえない状況かもしれない……当人たちは幸せでも、周りはどんな目で俺達を見る? 一部の人達からは、軽蔑の眼差しや心無い言葉を向けられてしまうんじゃないか?


 火花と両想いになることに関して、そういう不安は確かにあったけど……そんなのは関係ない。そういう逆風を承知の上で、それでも俺は、彼女に思いを伝えたかったんだから。

 それは、俺がずっと抱えている、とある価値観にも言えることで――確かに。



 いつか傷つくのだから、恋なんてしない方がいいのに。

 ――それでも俺は、火花のことが好きだった。



 だからつまるところ、俺はただの考え無しってだけかもしれないけど……でも、本気で恋をした奴っていうのはこんな風に、考え無しになってしまうものなのかもしれない。

 理屈はいらない。理性など効かない。

 俺はただ、彼女を好きになった結果、あらゆる問題を棚上げにしてでも、彼女を選び取らずにはいられなかった。……それは、決して正しい行いとは呼べないかもしれないけど、火花と両想いになれたいま――選んでよかったと。


 誰に批判されようと、俺だけは迷いなくそう思える、そんな決断だった。


「……たぶん、これからが大変だけど、構わないよな?」

「はい。兄さんと一緒なら、どんな障害だってないのと同じですよ」


 少し唐突だった俺の質問に、火花は考える間もなくそう答えた。

 ……いつか、火花と付き合い始めた今日のことを後悔する日が、俺か、彼女――もしくはその両方に訪れるかもしれない。


『したよ、浮気。だって、あんたが構ってくんないのがいけないんじゃん』


 一度、両想いになったあとで、酷く辛い思いをした俺だから。――火花とこのまま、幸せであり続けられるなんて、そんな楽観視をできる筈もない。

 だけど、だからこそ……この幸せに永遠はないとわかっている俺だからこそ、今度はそれを理解したうえで、できる限りの努力を積み重ねようと思う。


 大好きな彼女を、元カノにしないために。


 たったいまゴールしたのではなく、隣にいる彼女とようやくスタートラインに立った俺はそう決意して、大好きな人の笑顔を――火花が浮かべる笑みを、見つめるのだった。


「それじゃあ、まず最初の障害として、兄さんの両親――叔父さん達に、私達が正式に付き合ったことを報告しに行きましょうか」

「…………それは別に、内緒にしときゃいいんじゃね?」

「なに言ってるですか兄さん。そこら辺はちゃんと、ケジメとして挨拶しておかないとですよ。私としても、これまで色々とお世話になった叔母さんには、兄さんと私が付き合えた結果、兄さんとしたキスがどれだけ気持ちよかったか、できる限り詳細に伝えたいですしね」

「俺の実母になんてこと報告しようとしてんだお前は……たぶんだけどそれ、母さんが一番、どんな感情で聞いたらいいのかわかんねえ情報だからな?」


「そして、それが終わったら、折を見て私のお父さんにも報告しましょう。……兄さんにあの、全国の女子の憧れである――『娘さんを僕に下さい!』を言ってもらえる日が来るなんて、感無量です……いまからワクワクが止まりませんね、兄さん!」


「一方の俺はドキドキが止まらねえよ」


 こうして少し話し合っただけでも、俺達の前には障害しか立ちはだかっていなかった。……おいおい、マジかよ。これから俺、実の両親に勘当された挙句、火花の父親(叔父さん)にボコボコにされるんじゃねえか?


 俺がそんな不安を抱えていたら、隣に座る火花が楽しそうに「ふふっ」と笑った。それにつられて俺も「あははっ」と笑う。――大好きな人が笑ったから、という甘くてくだらない理由で、意味のない笑い声に包まれる、狭いアパート。こんな風に彼女と笑い合えているいまが、たまらなく幸せだった。


「これから彼女として、末永くよろしくお願いしますね、兄さん」

「ああ、よろしくな」


 こうして俺と火花は今日、晴れて男女のお付き合いをすることとなった。

 ……この先、どんな暗闇が俺達の前に待っているのか、それはわからない。

 でも、どんな暗闇の中でも、俺達は手を繋いでいようと思う。この手を放さずに、どこまでも二人で歩いていこう。


 大好きだったあの子と行けなかった、あのトンネルの向こうへ。

 俺は今度こそ、その先にある光を目指して、火花の手を取るのだった。

                                     了

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義妹と同居を始めたら、何故か元カノがかまってくる 川田戯曲 @novel99

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