第28話

鷲尾はよろけながら男の前に立ちふさがり、津田を庇うように両手を大きく広げた。


「頼む!やめてくれ!その女殴ったのは俺なんだ!こいつじゃない!こいつは俺を庇ってあんなことを言っただけなんだ!」


鷲尾はバッとその場に土下座して男に謝る。


「そうか…お前か…覚悟決めよろ…俺の女に手を上げたらどうなるのか教えてやる…」


男は静かに穏やかな口調で淡々とそう言った。それを見ていた津田が


「鷲尾…君…何をそんな…何でこんな奴に土下座なんかしてんだよ!」


「いいから!いいからお前は黙っとけ!この男には逆らうな!」


「鷲尾君?」


津田は状況が呑み込めず、キョトンと立ち尽くす。


「立てよ」


男は鷲尾に言った。


鷲尾はゆっくり頭を上げて、そして立ち上がった。


ボコォー~~~~~!!!!!


いきなり男は鷲尾を殴り飛ばし、後ろに居た津田もろとも吹っ飛んだ。


男は手のひらを返したように穏やかな口調で


「鷲尾君…よくやったね!」


鷲尾に敬意の眼差しを向け静かにそう言った。そしてあずさと薫の方へ振り返り


「さ、帰ろうか。もう気は済んだだろ?」


と、まるで何事も無かったかのようにニコリと笑顔を見せた。


この何とも言えない殺伐とした空気は一変、天斗や薫、そしてあずさ達の緊張の糸がプツンと切れた。

この男が現れた時点で全てのかたはついていたのだ。


しかし、まだこの男の正体を知らないNのメンバー達が一斉に男を取り囲もうとする。


「ウラァ~~~~~!!!!!」


そう怒声を放ったのは鷲尾だった。


「お前達…いいから行かせてやれ!俺はこれ以上矢崎透との抗争を望まない…」


Nのメンバー達は矢崎透という名前を聞いて一斉に後退りした。


「お前ら死にたく無かったら絶対に手を出すなよ!」


Nのメンバー達が呆然と立ち尽くしている中を、透はあずさの肩を抱き悠々と歩いて行く。


それを間近で見ていた剛も、透の男気溢れる後ろ姿を見送っていた。


これが…男のケジメ…俺もいつか…あんなにカッコ良く薫のことを守ってやりてぇ!


そして中田達もその後ろ姿を見ながら


「フッ…一番良いところだけかっさらいやがって…お前はいつもカッコ付けすぎなんだよ!どうせ来るならもっと早く手を貸せよ!」


中田の呟きに林田兄弟も


「ねぇ…」


と、相づちを打ってボソッと呟いた。


中田は鷲尾の所へ行き、そして言った。


「鷲尾…お前にもしあの時迷いが生じなかったら、もっとキレのあるパンチ出してただろう…そしたら逆に俺がお前に負けてたかもな…蔵田の分は透のパンチでチャラにしといてやるよ!」


「中田…」


「効くだろ?あの男の拳は…ハンパなく重いだろうからよ」


バカヤロウ…一番効いたのは中田…お前に言われた言葉の方だろが…あまりにも辛くて立ち直れねぇよ…


中田率いるメンバーと、あずさのレディースチームは多少の怪我人も出たが、それほど大した被害を出すことなくこの抗争は終わりを迎える。



そして鷲尾の元にNのメンバーが集まり、メンバー全員が鷲尾を見下ろす形で囲んでいた。

副総長を務める木林という男が鷲尾の前に立ちはだかり


「鷲尾さん…あんたは最低の総長だ!皆の前で土下座なんかして…恥を知れ!」


木林は鷲尾を見下ろしながらそう言った。

鷲尾は何も言い返そうとはせずただうつ向いている。木林は更に続けた。


「俺の知ってる鷲尾は、どんな相手にも仲間の為に身体張って立ち向かっていたはずだ!弱くなったな…」


その言葉に他の仲間が何か言いかけたその時、木林は続けた。


「でも…今は俺達の知らない鷲尾さんに変わったんだよな?いや、生まれ変わったってやつか?」


「木林…」


鷲尾がそっと木林の方へ顔を上げたとき、木林が鷲尾に向かって手を差し伸べた。鷲尾は思わず目から涙が溢れだしそうになるのを袖で拭って木林の差し出した手を握り、そして木林は鷲尾を立たせた。


「総長!これからも俺達の舵取りを頼んだぜ!」


この言葉に鷲尾は涙を堪えきれなくなり、そして男泣きに号泣してしまった。Nのメンバー達は皆鷲尾の肩を叩いたり持ち上げたりして鷲尾の勇気ある行動を讃えた。

そこから鷲尾の新たな人生が始まったと言える。



中田、天斗達はその足で真っ直ぐ蔵田の見舞いに向かった。狭い病室に顔中傷だらけになった強面集団が所狭しと入れ替わり立ち替わり入って来て、他の一般の病人や見舞い客が廊下の一番端を小さくなりながらすり抜けていく。


そして中田がベッドに横になっている蔵田に声をかけた。


「蔵田…身体はどうだ?」


「中田さん…ありがとうございます。昨日よりはだいぶ…」


「そうか…皆お前のこと心配して来たよ。早く戻ってこいよ!」


蔵田の表情は少し暗い。それを心配して中田が


「どした?何か心配事でもあるのか?」


「いえ…別に…」


「ほんとか?なんか様子がおかしいぞ?」


蔵田は笑顔をつくろって首を振った。


「そうか…あまり顔色良く無さそうだし、今日の所はこれで引き上げるか…」


中田はそう言ってメンバー全員に一通り蔵田に挨拶させてから帰らせた。

そして中田一人病室に残って蔵田と二人きりになった。


「なぁ、お前何か隠してるだろ?どうした?言ってくれよ…」


蔵田はしばらくうつ向いて黙っている。そして意を決して話し出した。


「中田さん…これは皆には内緒にしてもらえますか?」



翌日、剛は天斗を学校の屋上に呼び出した。


「何だよ用って」


天斗はぶっきらぼうな態度で剛に言った。剛は立ったままいきなり頭を下げて天斗に


「頼む!俺に稽古を付けてくれ!俺もお前みたいに強くなりたいんだ!前にお前に言われた通り、薫には守ってやれるだけの奴が必要だと思う!薫は無鉄砲だし、どこにでも首を突っ込みたがるから、それだけ危険も伴うし、俺はずっと薫の側に居たいんだよ!」


剛の切実な想いは天斗には痛いほどわかる。わかっていてもまだ天斗には剛に対して複雑な思いがしこりのように残っている。


「悪いけど…他を当たってくれねぇか?俺は人に稽古なんか付ける柄じゃないし…」


天斗にはまだ素直に剛と仲良く接するだけの器量が無かった。他の誰でも無く自分から薫を奪った恋敵を受け入れるほど、精神的に成長していなかったのだ。しかし、心のどこかでは剛と仲間として共に行動したいという願望も眠っている。それは天斗本人にも気付かぬ心の奥にある願望なのだ。


「あの時お前言ったよな…男だったら死ぬ気で薫を守れって。守れないんだったら薫の横に居る資格はないって。俺は薫を守る力が欲しいんだよ!」


「透さんに頼めよ…俺は力になれねぇよ…」


「もう透さんには頼んだよ…けど…強くなりたいんなら黒崎のことをようく観察しろって…そうやって笑ってはぐらかされたよ…」


「じゃあ薫に頼んだらどうだ?」


「それじゃ意味が無いんだよ!薫の知らないところで特訓して、それでいつの日かあいつの窮地を救ってやりたいんだ…薫は今の俺を…必要としてねぇんだ…今回の抗争で助けを求めたのはお前の方だった…今の俺じゃ、薫にとって頼りにならない弱い男でしか無いんだ…男としてこれ程情けないことはないよ…お前ならわかるだろ?」


「………」


「透さんが言ってた。お前も最初から強かったわけじゃ無いって…じゃあ強くなりたかった動機は何だよ?繋がりを失いたく無かったからだろ?今の俺も薫との繋がりを失いたく無いんだよ!」


「………」


「そうか…ここまで頼んでもダメか…わかった…お前ならわかってくれると思ってたんだが…時間取らせて悪かったな…」


そう言って剛はくるりときびすを返して立ち去ろうとしたその時、天斗が後ろから声をかけた。


「明日…朝9時にバッティングセンターまで来い…子供の遊びじゃねぇ…俺の特訓は…恐怖心との闘いだ。先ずは自分の中の恐怖心に打ち勝たなきゃいざっていうときに何も出来ねぇ。どんな時でもどんな相手でも立ち向かえる度胸と自信を付けることが一番肝要なんだ!遅れるなよ…」


天斗はそう言って振り返り去って行った。


武田…お前だってほんとは俺にだけは頼みたくは無かっただろうに…そんなプライドを捨ててまで強くなりたいんだろ…もし俺が逆の立場だったら同じことが出来たのかなぁ…



翌日の朝9時


剛は天斗の指定したバッティングセンターに到着した。


バシュッ!


カァーン!


バシュッ!


ドォーン!


既に誰かがバッティングの練習をしている音が聞こえる。剛は場内へ入り、辺りを見回して天斗の姿を探す。しかし天斗の姿は無く、ヤンキー風の若者が3人バットを持って構えているだけだった。


なんだよあいつ、遅刻するな!とか言っといて自分が遅れてんじゃねぇかよ…


と、思っていたらいきなり後ろから天斗が声をかけてきた。


「お?ちゃんと時間守って来たじゃねぇか」


剛は振り返り


「来たじゃねぇか…じゃねえよ!遅刻するな!とか言っといてお前が遅刻するんじゃねぇよ!」


「まぁ、細かいこと気にするな!ビッグになりてぇんだろ?」


剛は腑に落ちないところだが、この男に何を言ったところで時間の無駄だと思い直しこのやり取りを止めた。


「で?ここでいったい何の特訓をするって?」


天斗は少し黙って、そして話し出した。


「なぁ、武田…この特訓はお前が想像してる以上に危険を伴う。正直お勧めは出来ない…けど、この特訓を無事クリアすることが出来たなら…お前は格段に強くなれるだろう」


「何だよ随分と勿体ぶって。早く特訓の方法教えてくれよ!」


「それはだな…あの飛んでくるボールを刹那のタイミングでギリギリかわすんだ…それも、目の前スレスレまで引っ張ってかわさなきゃ何の意味も持たない。どうだ?やってみるか?」


剛はゴクリと生唾を呑み込んだ。


「お前ら…そんな危ない遊びを…」


「あ?遊び?そんな甘い感覚でこなせるほど簡単じゃねぇぞ!もし打ち所が悪ければ大怪我なんかじゃ済まないこともあり得る。やるか逃げるかは今ここで決めろ!途中下車は許さない」


剛が覚悟決めるには少し時間がかかった。


恐怖心との闘い…恐怖心を克服しないと、いざって時に何も出来ない…覚悟…俺は…薫を守る力を手に入れたい…


「わかった…やるよ…俺はどうしても強くならなきゃいけない…」


あいつに…必要とされる為に…

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