15 終わらない輪廻



コンビニ店内に突っ込んだ車体のボンネットからは煙が上がっていた。


商品の散らばる店内から悲鳴を上げて逃げ出す人々、呆然と立ち尽くす店員たち。


商品棚と車体に挟まれ頭から血を流し、目を見開いたまま仰向けで床に倒れ込む男。

割れたフロントガラスの散らばるボンネットに乗り上げたまま口から血を流し、有り得ない方向へと腕の折れ曲がった女。


長距離トラックも仮眠に使用できるこの広いコンビニの駐車場で、助走を付け時速50キロで故意に店内へ突っ込んできた車に、この2人は為す術なく命を奪われたのだ。



「あーあ、可哀想になぁ。」



既に息絶えている男の元へ、殺人専門死神、コウが降り立った。



「久しいな。コウ。」



ほぼ即死状態の女の元へは、事故死専門死神のシンが舞い降りた。



「これはつまり...?運転手はこの男だけを殺したつもりが、他を巻き込んでしまった、というところだろうか。」


「そうらしいな。」



シンの推測にコウが相槌を打つ。


そしてコウは運転手の男をチラリと見ては言った。



「こりゃあ、アイツも来るぞ。」



シンも運転席に目をやると、運転手の中年の男は自らの首にカッターを充てているところだった。


目から涙が止めどなく流れ、カッターを持つ手はガタガタと震え、何処を見るでもない瞳はキョロキョロと泳いでいた。


そしてその刃がいよいよ表皮を破り一本の赤い線となった血液が滲み出した瞬間だった。



「死ぬんすかー?」



男の隣の助手席には、いつの間にか自殺専門死神、ガクが腕を組んで座っていた。



「んなっ....なんだあんた...。」



男は驚くあまり勢いよく手を付くとクラクションが鳴り響いた。



「あー、おっさんおっさん。まずパーキングに入れようぜ。ギア入ったまんまだぞ。」



見るとギアをドライブに入れたまま、震える右足は必死にブレーキを踏んでいる。


慌ててパーキングに入れ直すと、男は右足を離しやっと全身の力を抜いた。



「はいはい、よく出来ました。おっさん、俺は自殺専門死神だ。あんたの魂、俺が預かっちゃっていいかな?」


「は...はぁ?」



男はカッターの刃を充てたまま眉をしかめてガクを見ている。



「それからおっさん。頸動脈はな、そこじゃなくて、こっちだ。」



ガクは男の手首を持ち、そのカッターの刃を手前へズラしてやった。



「そこはただの筋なんだ。一思いには死ねねぇよ。」



突然現れ死神だと称し、正しい静脈の位置まで示してくるわけの分からない若者に戸惑う男は、興奮した様子で怒鳴り上げる。



「なっ..なんなんだよお前は!かかっ..勝手に入るな!この状況がっ...見て分からんのか!冷やかしにでも来たのかっ...コラぁ!」


「落ち着けよおっさん。とりま、周り見てみな。」



息を荒くした男は車外周辺をチラリと見るがまだ気付いていない。



「なん...なんだってんだっ...!」


「後ろ見てみな。あと、音も聞いてみな。なんか聞こえるか?」



男は首にカッターを充てたままリアガラス越しに国道を見た。



交通量の多いその国道では、今日も多くの車両が行き交うが、よく考えてみると、全てが止まっている。


信号でもないのに全ての車が停止している。


そして音、耳を澄ますが特に何も聞こえない。


そう、何も聞こえない。

何一つ聞こえない。


コンビニのBGMも、4車線ある大きな国道を行き交う車の音も、そもそもエンジンを切った覚えのないこの車のエンジン音も。



「俺が時間を止めたんだ。死神だって信じてくれたかぁ?」



周りの異常な状況に目を丸くして驚く男は、改めてガクを見た。



それは艶のあるストレートな黒髪で、シワやホコリ一つない黒いスーツ。

ワイシャツもネクタイも黒く、先の尖った革のドレスシューズも黒く艶めいている。


そしてその目は細く目尻の垂れた切れ長で、くっきりと刻まれた二重(ふたえ)線。

高く整った鼻筋に、少し厚みのある唇は仄かに口角を上げている。

それらのパーツが精密にバランス良く配置されたその顔は、男女問わず見惚れるほどであろう。


だがその微笑みはどことなく、悲しげにも見える。



「しに...がみだと...。」


「あぁそうだ。死にてぇやつの前に死神が現れて時間が止まってる、そこまで信じてくれたかよ。」



男は半信半疑ながらも、説明のつかない事実に肯定する相槌しか打つことができなかった。



「だ...だとして...俺の魂なんざ...勝手に持っていけばいいだろう...。

せっかく覚悟を決めたところだったってのに...邪魔しやがって...。」


「いやぁーそれに関してはごめんてー。」



顔をくしゃらせてニコリと笑う死神。



「俺が魂持っていくにはさ、生前の本人の許可がいるっつぅめんどくせぇシステムなわけよ。

そんで正確には、俺が欲しいのはその魂のエネルギーだ。」


「エネルギーだと...?」


「あぁ。あんたはあと何十年か生きられるエネルギーを残して死ぬんだ。

その無駄になったエネルギーは、あの世で転生を待つ魂たちに役立つ。

お前が死ねば、誰かが生まれるってわけだ。素晴らしいサイクルだろー?」



いよいよ死神だと信じざるを得なくなってきた男は、その筋の通った話へ致し方なく返答した。



「どうだっていいさ。欲しいなら勝手に持っていけ...。」


「っそ、サンキュー。」



ガクはそう言うと、車のダッシュボードの上へその長い足を組みながら乗せ、相変わらずその口元は微笑んでいる。


だがやはりどこか悲しげなその表情で、男へ本題を突きつけた。



「なぁおっさん。気は晴れたか?」



その一言に男はビクリと肩をすぼめた。



「娘の仇は打てたかよ。」


「っ!!なんで...それを...!」


「俺には自殺志願者の事なら何でも分かる。そこに転がってる男があんたの娘を殺したってこともな。」



そんなやり取りを店内から見守るシンとコウ。

女から魂を抜き取ると、シンが先に口を開いた。



「なぁ、コウよ。賭けぬか?ガクが奴を生かすのか死なすのか。」



男から魂を抜き取り立ち上がったコウは一呼吸置いて口を開いた。



「.......やめておく。」


「なんだ。珍しいな。今日の魂では予想も付かぬと言うのか?」



コウはいつも以上に眉間へ皺を寄せ答えた。



「いや...どっちであったって...気持ちの良いもんじゃあねぇからさ。」



シンがその言葉で不思議そうに顔を見上げる中、コウはガクを見つめた。



───ガク、お前ならどうする。

その男と同じ境地にあった、お前なら。



全てを見抜かれていると知った男は、逆にどこか安心したかのように落ち着いて話始めた。



「......そうさな....気ぃなんざ晴れるわけもねぇ...。こいつを殺したって...こいつの車に轢かれて死んだ娘の綾子は帰ってくるわけでもねぇ。

んなこたぁ....分かってんだ...。」


「あぁ。そうだな。」


「こいつぁ若けぇが大学病院院長の息子だ。罰金100万そこそこなんぞ捨てるように払ってさっさと出所しちまった。

それだけでも腑に落ちねぇってのによぉ...俺は聞いちまったんだ。出所したこいつが、そこの女とこのコンビニで話してた会話をよぉ...。」



──────


「ユウくんまぢ良かったぁーもう何年も会えないのかと思ったぁ。」


「お前を置いて俺がいなくなるわけねぇだろっ。お前に会えなくなるくらいなら100万くれぇくれてやるよ。まぁ手続きに時間かかった上に、謝罪文みてぇなのまで書かされてめんどかったけどなー。」


「やだー、被害者の子、可哀想ー。」


「いや、知らねぇよ。あれが勝手に飛び出してきたんだ。女が夜道を1人で歩いてんのが悪ぃんだよ。」


「あ、ユウくんーゴムどれにすんのー?」


「ははっ、聞いてねぇのかよっ。まいーや、極薄なら何でもいー。」




─────


「こんなもん....黙ってろって方が無理だろうがよ...。俺は間違ってるのかもしんねぇ。女房が生きてりゃあきっと俺を止めただろうよ。

でもよぉ....だからって俺は...俺は一体どうすりゃ良かったってんだっ...。」



男は視界がすっかり遮られるほどの涙を溢れさせ、ハンドルにゴツンと額を叩きつけた。



「どうもしなけりゃ良かったんだ。」



左耳から流れ込んできたガクの言葉に、男は落胆した。



「何が分かるってんだよ。何者かも知れんあんたにこんな事...吐露した俺が馬鹿だったよ。もうさっさと死なせてくれ。」



ハンドルに額を付けて俯いまま男は呟くように言った。


ガクはそれでも続けた。



「そこのガキには何もする必要なんかなかったんだよ。あんたは他にもっとやるべき事がある。

こんなガキの為にその生涯無駄にするくれぇならさ、娘の代わりに娘が見たかった景色を見る、聴きたかった音楽を聴く、会いたかった人間と会う、好きな食いもんを供える、知りうる限りでいい、叶えてやったらいいじゃねぇか。

そしてそれは、今からでも遅くねんだよ。」



男は下を向いたままゆっくりと顔を上げた。



「佐々木 十蔵、お前には2つの選択肢が残されてる。

今すぐそのカッターで教えてやった頸動脈を掻っ切るか、罪を償い出所後は娘の為に生きるか。」



十蔵は膝の上で震える右手に持つカッターを見つめ悩み出した。

死ぬしかないと思い込んでいた人生、ここへ来て別の選択肢があった事に戸惑い始めていた。



「なぁおっさん、どっちが正しいとは言わねぇ。でもさ、死んだ人間の為に生きるなんて、....あの時の俺には思い付かなかった。

後悔してるわけじゃねぇけどさ、こんな選択肢があったなら、俺はもしかしてここにはいなかったのかもしんねぇな。」


「....?....あんた....。」



その言葉は十蔵を段々に、この死神にも同じような境地があったのではないかと想像させた。



「このクソみてぇなガキにだって家族はいる。息子を殺したと今度はその親があんたを怨み、殺しに来るかもしんねぇ。

復讐ってのはさ、終わらねんだよ。

この最悪な輪廻は。」



十蔵は涙の止まった目でガクを見上げた。



「ま、だから俺は俺で終わらせたいと思っちまって今に至る訳だが...んなことより、オッサン、決めな。あんたの人生だ。」



虚空を見つめて話していたガクが、突然自身へ振り向きそう突き付けてきた。



「人生....俺は....この人生をまだ...続けてもいいのか....。」


「.....終わっていい人間なんていねぇよ。どんなカスみてぇな野郎でもな。」


「........綾子....。」



十蔵が迷いながら娘の名前を呟くと、ガクは更に呟くように付け加えた。



「当たり前の事言うぞー。オッサン、

人生、一回しかねぇんだ。」



その言葉にハッとした十蔵は我に返った。



一方でコウは、指を鳴らそうと右手を上げた。



「行くぞ、シン。」


「...なんだ...これからだろうがよ。見届けないのかい。」


「...もう分かったろうが。」



コウはシンの肩に左手を置くと、右手はパチンと指を弾き、2人の死神の姿は消え去った。



「佐々木十蔵、死ぬんすか?娘の為に、生きるんすか?」



憎しみよりも、娘のやり残した事を可能な限り叶える。

どうせ残り短いこの命だ。

自分以外の人間に費やしてやったって、いいんじゃないか。


娘の為に、生きたっていいんじゃないか。



「.....生きます...。」



十蔵の呟きに、ガクは静かに笑みを零した。



「オッサン、俺がこの指を鳴らせば時が戻る。段々に俺と会った記憶は無くなっていくだろうよ。元気でやれよ、佐々木十蔵。」


「....あぁ....感謝するよ...。」




─────パチン....




警察が駆け付けた頃にはもう、死神の姿はなくなっていた。


店内中が大混乱となる中、手錠を掛けられた十蔵は車内の助手席を見つめた。


すでに死神の顔は覚えていない。

何を話したかも記憶から薄れかけている。


しかし、十蔵の心は晴れやかだった。


何故だか分からないが、晴れやかであった。






人間にはどうしようもない苦の瞬間がある。

金銭での失敗。

男女関係のモツレ。

自分以外の人間を傷つけた時、また殺した時。

そして、憎しみ。



それが自ら命を絶つ死へと発展してゆくなら、是非協力してやってほしい。

死神屋さんのガクさんに。

アナタの力で生を受ける魂たちに。



TO BE CONTINUED…


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