其之四 陰謀の牢獄

 洛陽の住民が息を潜める夜がまたやってきた。

 蔡邕さいよう邸の騒動からまる一日が過ぎ、天には昨夜と同じような美しい満月が夜空を飾り、洛陽の城下を優美に照らしている。しかし、それを拝むことはできない。低い天井はむき出しの土でふさがれており、左右は頑丈な石壁で塞がれている。その中は息が詰まるようなよどんだ空気と希望の光さえ届かない暗闇で満たされており、薄気味悪い静寂が辺りを支配している――――。

 そんな中でひそひそと話す声があった。

「寒ぃな」

「……」

「寒すぎるぜ」

「……」

「酒がなきゃ、死んじまうぞ」

「……あるわけないでしょ。牢獄なんだから」

 狭く暗い地下牢。冷たい鉄格子てつごうしが否応なしにここが牢獄だと教えてくれる。

「まだ怒ってんのか?」

「当たり前ですよ。先生の塾を破門になったなんて、母に合わす顔がない」

 劉備りゅうびはそんな不満を垂れると、鼻の穴から垂れ落ちてきそうな鼻水をすすった。

 かび臭い空気が一緒に鼻孔に入ってきて、より一層気分が悪くなる。

 氷のように冷えた石壁からできるだけ離れて、湿ったむしろの上に座って体を丸め、劉備は膝の間に顔をうずめていた。そして、その筵を手でこすりながら、母の顔を思い起こした。この筵はひどく使い古されて、薄くり切れているようだ。だが、母が織る筵はもっとなめらかで、丈夫で、温かい。また鼻水を啜る。

「悪かったよ、玄徳げんとく。この公孫瓉こうそんさん、一生の不覚だ。このとおり」

 公孫瓚は弟が泣いているのかと勘違いして謝った。公孫瓉は劉備の向かいの監房に入れられていたが、暗闇のせいで兄弟子が本当に謝罪の態度をとっているのか劉備には分からなかった。二人は相変わらず、闇の中にいる。

「名前を呼ばないでください」

「なぁ、いい加減に機嫌直せよ。俺は将来、全国に名をとどろかす将軍になる。その時は必ずお前を引き立ててやるから」

「そうですか」

「ああ、任せとけ」

 どこまで能天気なのだろう。劉備はから返事で応えながら、兄弟子の無神経さが少しうらやましく思った。とはいえ、劉備はこの兄弟子とそれ以上会話をする気にはなれず、顔を膝に埋めたまま、その両耳に両膝を押し当てるようにして、それっきり口をつぐんだ。

「まずは鮮卑せんぴ相手に手柄を立てる。俺の武で、幽州に平和をもたらすんだ。それから……」

 静寂の地下牢に公孫瓚の声だけがむなしく響き、それだけが沈殿した冷気をわずかに温めて、淀んだ空気をかすかに環流させた。

 他にも囚人はいる。だが、口を開く者は皆無で、ここの囚人はどこか雰囲気が違う。まるで存在しないかのように息を殺している。いや、心が窒息ちっそくして声も出せないのだ。絶望ゆえに言葉を発する気力さえ残っていない者、全てをあきらめて生けるしかばねと化した者。それらがまるで死の臭いを漂わせるかのように重く、苦しく空気を淀ませている。もしかしたら、凍死したか自殺を図って本当に息絶えている者がいるのかもしれない。共通しているのは絶望に窒息しながら、ただ死の静寂の中にうつろな身をゆだねていることだ。ただし、それがここでの常態であって、劉備と公孫瓉が無知なだけである。この監獄の性質を知らないだけだ。無知ではあるが、無知も時には希望に変わる。

「ところでよぉ……あの部尉、本当に手を打ってくれてんのか?」

 しばらく続いた公孫瓚の独白が終わり、洛陽北部尉・曹操そうそうの話になって、劉備はようやく噤んでいた口を開いた。

「そういう約束です」

「おーい、聞いてるか? お前の隊長はちゃんとこっから出してくれんだろうな?」

 公孫瓚は必要以上に声を張り上げて、劉備ではなく奥の監房にいるはずの男に尋ねた。しかし、応答はない。

「聞こえてねぇのか? それとも、死んじまったのか? 生きてたら、返事しやがれ!」

「やめてください。どのみち待つしかできないんですから」

 公孫瓚の作り出す騒音に、たまらず劉備が苦言を呈す。

「でもよ、これ以上待ってたら、本当に凍死しちまうぞ」

「信じるしかないでしょう。それとも他に何か手があるんですか?」

「いや……」

「だったら、分かっていますね? その時を静かに待ちましょう」

「分かったよ」

 それっきり二人は黙り込んだ。ただ待つしかないのだ。そして、やるしかない。

 劉備と公孫瓉は〝黄門こうもん北寺獄ほくじごく〟という名の監獄につながれていた。そこは普通の監獄ではない。黄色は中央を表す色だ。

 つまり、黄門とは宮中にある黄色に塗られた門のことであり、その門をくぐることができる宦官の別称でもある。

 黄門を冠した役職は数多くあり、宦官たちはそれぞれ黄門の役職に就いた。

 例えば、あの〝蔡紙侯さいしこう〟こと蔡倫さいりんもかつては小黄門しょうこうもんのポストにあったように。

 また、漢代で〝〟と言えば、それは官庁のことを指した。

 洛陽には宮城が南北二つあり、北宮にあるのが北寺、つまり、黄門北寺獄とは宦官が管轄する宮中の特殊監獄である。通常、北寺獄は宮中内で起こった案件の容疑者を収監する。主な対象は宦官や宮女だ。しかし、それはもはや名目に過ぎず、近年は党人関係者の専用監獄のような状態になっていた。

 党錮とうこ事件で逮捕された党人たちの多くは高級官僚だった。普段、高級官僚の事件を扱うのは廷尉ていいという役所で、廷尉府の監獄に送られるのが道理だったが、一気に二百人以上もの官僚が逮捕されたために廷尉獄では収容しきれなくなった。そこで、その代替監獄として利用されたのが北寺獄であった。

 当時の廷尉が清流派の人物だったこともあり、重罪党人は濁流派の陰謀によって恣意しい的に北寺獄へ送り込まれて、誰も生きて出ることはなかったのである。

 以来、党人の審理は北寺獄で行われるのが慣例のようになっている。とは言っても、北寺獄に送り込まれた囚人たちにまともな聴取など行われない。宦官たちの邪悪な裁量により、証言と証拠が捏造ねつぞうされ、罪名がでっち上げられ、確実に有罪の判決を下されて、ここに入ったが最期、出る時には大抵死罪を背負って刑場に向かうことになる。だから、ここの囚人たちが自分たちの運命に絶望し、絶命までに残された時間の短さに絶句するのも当然の話なのだ。

 そんな陰謀と絶望の牢獄の中に劉備と公孫瓉はいるのである。夜間外出禁止令を破っただけの微罪の二人にはあまりにも不相応ふそうおうな場と言える。

 ……しばしの沈黙の時間が流れ、その謎はすぐに明かされる。

「誰か来たぞ」

 公孫瓚が声をひそめて言った。劉備が膝の間に埋めていた顔を上げた。

 不気味な静寂の中、ヒタヒタと石段を下りてくる誰かの足音でさえはっきりと聞こえた。その何者かが壁に松明たいまつを掲げたようだ。絶望の牢獄にうっすら明かりが灯った。

 その人物は二人が収監されている房の前で立ち止まり、何も発せず、かんぬきを抜いて二人の監房の扉を開いた。そして、さらに奥の房からもう一人を解放した。奥から解放されたのは沈惇ちんとんである。曹操の部下であった、あの夏侯惇かこうとんだ。過去の事件がばれて投獄されていたわけではない。

「お前たちのへまのせいで、十年ぶりにここへ足を運ぶことになったわ。手間をかけさせおって……」

 ずっと暗闇にいたせいで松明の明かりがやけにまぶしく、その声の主の顔をよく見ることはできなかった。が、その耳障みみざわりな高い声質こえしつで、嫌味を言うその男が宦官だと知れた。

「宮中の西門は空けてある。誰の目にもとまらず、逃げられるであろう。すぐに去れ」

 その背の低い宦官は行け、とあごで示した。三人を解放しようというのである。

「待ってくれ。もう一人仲間がいる」

 公孫瓉がわざわざ声音こわねを変えて、宦官に告げた。

「聞いている。が、これでよい」

「どういう意味だ?」

「お前たちのような下っが知らぬのも無理はないが、もう一人には大事な役目が残っている」

 他の囚人らの耳を気にすることなく、その宦官はすらりと言った。何しろ、今ここに収監されている囚人は皆、すでに近日中の死刑が決まっているのだ。今さら謀議を聞かれたところで、何の心配がある? その口は永遠に塞がれるのだ。

「とにかく会わせてくれ。言伝ことづてがある」

 夏侯惇が機転をかせた。

「ちっ、へまをして捕まったくせに図々ずうずうしいやつらよ。付いてくるがよい」

 宦官は夏侯惇の言葉を別段疑うことなく、通路を戻ると石段を下へと向かった。

 湿った石壁。天井からは水滴がぽつぽつとしたたり落ちて、石畳いしだたみの床に水溜まりを作っている。暗黒の底。死と隣り合わせの空気が沈殿したそこは党人関係者が繋がれる絶望の牢獄最下層だ。

「ほれ、その奥よ」

 宦官がそでで鼻を押さえながら、暗黒の先を顎で示した。

 それを知らされた劉備が宦官の手から松明をかっぱらって、小走りで先頭を行った。通路の左右には監房がずらりと並んでいたが、他の囚人はすでに処分されてしまったのか、どの房も空っぽで、とぼしい明かりながら、劉備がそれを探し当てるのは簡単だった。

「今実行しようというのか? 聞いていた計画と若干違うが……まぁ、よかろう。余が立ち会おう」

 つかつかと近づいてきた宦官はまだ三人の正体を見破れずに、それを見届けようとする。その監房も鉄製のかんぬき施錠せじょうされていた。公孫瓉が無言でそれを引き抜く。閂を放り捨てた公孫瓉に松明を預けると、劉備は目的の人物が囚われる房内に入った。

朱伯厚しゅはくこう様ですか?」

 劉備は力なく壁にもたれるその人物に宦官にも聞こえないほどの小声で問うた。

 首と手足にかせをはめられ、拷問ごうもんを受けたらしい男の体は傷だらけあざだらけで、見るからに痛々しく、微動だにしない。ただうつろな目だけを少しだけ開いて、まばたきで「そうだ」と訴えた。ほとんど死人のようではあるが、まだ生きている。

「お助けに参りました」

 劉備がまた小声でささやいて、衰弱した朱震を助け起こした。そして、素早く枷の留め具を外す。劉備がせ細った朱震しゅしんを背負い出てきたところで、ようやく宦官は事態の異変に気付いた。

「おい、何をしている?」

「分かってんだろ。仲間を助けるんだよ」

「そいつは党人だ。お前たちの仲間はそっちではないぞ」

 そんなことは分かり切ったことだ。本当に助け出すべきはこちらの御仁ごじんなのだから。

「これでいいんだよ。黙ってろ」

 公孫瓉は手の松明を宦官の顔前に掲げて牽制けんせいした。宦官は肌を焦がすその熱に驚いて、思わず後ずさりした。そして、袖を顔に当てながら、無礼な賊徒たちをにらみつけた。

 どういう算段か。厳しい拷問にも口を割らない例の党人から情報を聞き出すために百鬼を用いる。そのために特殊能力を持つ百鬼の男を一人、この北寺獄に収監するということまでは聞いた。その直後、洛陽北部尉によって三人が捕縛されてしまったため、急遽その三人も北寺獄に引き受けた。それなのに、これはまるで裏切り行為ではないか。

「貴様ら、血迷ったか? 詳しく説明せよ」

「俺たちも好きでやってんじゃねぇ。でもよ、こいつを連れてこいって言いつけなんだから、仕方ねぇだろ?」

「そんなことは聞いていない!」

「うるせぇな、もう黙ってろ!」

 公孫瓉は宦官との押し問答に飽き飽きして鉄拳をお見舞いした。宦官はその豪拳ごうけんをくらって、「ぎょえっ」という奇妙な悲鳴とともに暗闇の中へ姿を消した。どうやら通路を壁際まで飛ばされたらしい。かなり遠いところから痛みにもだえるうめき声が聞こえ、その後に一層高く張り上げた声でその正体を告げた。

「き、貴様ら……余は王甫おうほ様の右腕、趙忠ちょうちゅうであるぞ! そうと知っての狼藉ろうぜきか?」

 趙忠。張譲ちょうじょうと並び、濁流派の中核に位置する宦官として名前が聞こえる。

 王甫とは濁流派の首魁しゅかいとして宮中を支配している大宦官だ。

「そういうことか」

 夏侯惇は真相を得て、一人納得した。


 深夜。松明さえ必要ないほどの月明かりが注がれて、路地に集結して隊列を組んだ曹操の部隊の姿を浮かび上がらせる。曹操はちらりと満月を見上げた。

 思えば、陳逸ちんいつを救出する前夜もこうだった。それから一年――――。

 洛陽北部尉となった曹操は黄金の光の下、時が満ちるのを静かに待っていた。

 北部尉の管区には永安宮えいあんきゅうという宮殿と、先代の桓帝かんていが造園した広大な庭園・濯龍園たくりゅうえんがある。海に見立てた巨大な池と山に見立てた築山つきやまがあり、周囲には木々が植林されている。だが、そこを百鬼が襲撃するという考えは曹操の頭にはなかった。

 皇太后が住まう永安宮には十分な衛兵が配置されているし、濯龍園という帝立庭園は時々皇帝や王族が観覧を楽しむものの、お宝はない。蔡邕邸の襲撃に失敗したばかりの百鬼がすぐに他の豪邸を襲撃するとも考えにくい。今は兵を北宮の周囲に集め、通りを警邏けいらする。にわかに月が雲に隠れて月光を遮り、突風がこれから起こる事態を予言するように濯龍園の木々をざわめかせた。

 北宮内の監獄。監獄に繋がれる清流人。そこへ送り込んだ救助隊。今頃、月明かりも届かない暗い獄中で、曹操の仕組んだ作戦が展開中のはずだ。

『頼むぞ、元譲げんじょう

 曹操は信頼できる部下にその秘策を託した。夏侯惇は曹操のその密命を帯びて北寺獄に入っているのだ。

 百鬼の蔡邕邸襲撃を阻止したその日、曹操は洛陽東部尉の王吉おうきつが曹操たちが取り逃がした百鬼の一人を捕縛したとの報を受けた。

「――――まさか。あの俊敏な賊を王吉ごときが捕らえただと?」

 王吉は宦官・王甫の養子である。父の権勢の恩恵を受けて役職に就いているだけの小人だ。それが今まで一度も捕えられたことのない強盗団の一味を捕らえられるはずがない。そもそも曹操は王吉が百鬼をかくまっているのではないかと睨んでいたのだ。

 怪訝けげんに思った曹操は様子をうかがうために東部尉の詰め所を訪れて、わざと王吉の功績を称える演技をうった。そして、帰るなり、夏侯惇に告げた。

「――――とんだ猿芝居しばいよ」

「――――何かありましたか?」

「――――奴め、少々おだててやったら、調子に乗って武勇譚を語り出しおった。語れば語るほどほころびが出るのも知らずに……」

 曹操はそれを思い出しながら、笑いを堪えきれないようだった。

 曹操は自分の部隊が三人の百鬼を捕らえたことなど余計な話は一切せず、ただ少々大袈裟おおげさに王吉の功績を褒め、世辞を言って持ち上げてやったのだ。

 それに気分を良くしたのか、

「――――最後には捕縛した奴まで見せてくれたよ」

「――――どうでしたか?」

「――――あれは別人だな。顔は分からずとも、図体ずうたいが大きく、俊敏さを感じなかった。矢傷がなかったのが決定的だな」

 曹操たちが追った賊はあの夜、足に矢を受けた。曹操はそれを王吉に明かしていない。

「――――ということは、替え玉ですか?」

「――――そうらしい」

「――――何のために替え玉を?」

「――――さぁな。ただの褒賞狙いか。それとも、他に狙いがあるのか……」

 曹操が捕縛した百鬼の男に尋問していいかと王吉に聞くと、「それは北寺獄で行うことになっている」と、そんな答えが返ってきた。偽物の百鬼だから、王吉が曹操の要請をていよく断るのは分かっていたが、北寺獄という言葉は意外だった。

 北寺獄は宦官が管轄する陰謀の監獄。そこに百鬼が収監される。

「――――唐氏の事件が関係しているのか?」

 過去を振り返る。曹操が洛陽北部尉に着任する直前、百鬼による司空・唐珍とうちん邸の襲撃事件があった。

 唐珍はあざな恵伯けいはく。従兄が唐衡とうこうという有力宦官で、一時代前に専横を極めた濁流派の首魁の一人であった。唐衡は十年前にすでに他界していたが、唐珍はその恩恵もあり、高官に昇っていたのである。ところが、唐珍は声の出なくなる奇病をわずらい、司空就任わずか一カ月で免官となった挙句、唐家は唐衡が蓄えた財産を奪われて、唐衡が築いた権勢を失った。

 私財を蓄え、権力を握ることに余念のなかった宦官たちにとって、これは対岸の火事ではなく、彼らが百鬼に対して強い警戒心を持ったのは言うまでもない。

 だからと言って、ただの強盗団である百鬼が宮中の事件を扱うはずの北寺獄に送られるのはおかしい。この場合は上司の洛陽令が管轄する洛陽獄に送られるのが普通である。いくら北寺獄が特殊な監獄だと言っても、どうにも妙なのだ。

 宦官が百鬼を直接尋問しようというのか?

「――――いよいよ臭うな」

 曹操の中に募る疑念。曹操は自らの詰め所に戻ると、捕らえてあった百鬼三人を脅して、いくつか詰問した後、翌朝を待ってから洛陽獄に連行した。

 時の洛陽令は周異しゅういという者で、百鬼捕縛の吉報にご満悦であった。

「――――我が子が生まれ、百鬼も捕らえた。実に良い気分だ」

 周異は廬江ろこうじょ県の人で、陳蕃ちんばんとともに清流派の重鎮だった周景しゅうけいの甥である。

 ちなみに周異はこの年に生まれた男児に〝〟と名付けている。

「――――東部尉が捕らえた百鬼が北寺獄に移送されるというのは、本当でしょうか?」

 曹操が気になっていたことを尋ねると、周異は頷きながら言った。

「――――黄門署から移送の通達が来ている。百鬼は北寺獄の方で取り調べるらしい」

 周異の口からも「北寺獄」という言葉が出、曹操の疑念は確信へと変わった。

 百鬼と宦官。これは繋がっている。そして、仙珠も……。

 まだ記憶に新しい。北部尉に就任した曹操は襲撃された唐珍邸を訪問し、自ら実況検分を行っている。唐珍本人は無事であったが、家人が何人も殺され、そのショックのせいか言葉を話せなくなるほどに意気消沈していた。

 曹操は唐珍に一つだけ尋ねた。唐珍邸に仙珠が存在したかどうか――――。

 唐珍は答えを記した帛書はくしょ(絹布に書された書簡)を曹操に示して見せた。

『――――かつて仙珠のもたらす天運によって唐氏が栄華を極めたのは間違いない。私が司空を仰せつかったのもその残照であろう。しかし、天運そのものはすでになく、唐家がこうして悲惨な命運に見舞われたのも、その証である。後裔は先人の積善不善せきぜんふぜんを引き受けねばならず、積不善の家には必ず余殃よおうあり、という。私がこうして辛苦を背負うことになったのも、その宿命である。君もくれぐれも胸に留め置くように』

 積不善の家には必ず余殃あり――――悪徳を積み重ねた家の子孫には必ず災難が降りかかるという意味で、『易経』の言葉である。

 曹操の祖父・曹騰そうとうも四帝に仕えた大宦官ながら、毀誉褒貶きよほうへんの激しい人物であった。後裔の曹操は時にその恩恵にあずかりながら、同時に宦官の家の出自であることをなじられてきた。それでも、金や権力に狂ってはいないし、正義の心を失ってもいない。自らの言動でくだらないレッテルを吹き飛ばしてやろうと努めている。唐珍も曹操と似たような立場だったといえよう。

 仙珠を巡って清濁の争いが続いている。そして、百鬼の狙いも仙珠にあることはもはや疑いようもない。清濁抗争の間に百鬼が存在し、仙珠争奪に介在しているのだ。

 ふと、鋭敏な頭脳が働いて、瞬時にしてある策略がひらめいた。

『これを利用すれば、かえって好都合ではないか』

「――――百鬼の北寺獄移送の件、私がお引き受け致します」

「――――うむ。任せる」

 北寺獄に囚われているという朱震しゅしん救出計画のはかりごとが秘められた曹操の申し出を、周異は何ら気付くことなく容認した。

 朱震、あざな伯厚はくこう。蔡邕と同じえん陳留ちんりゅう郡の人で、初めて州の従事となった時、当時の最有力宦官・単超ぜんちょうの弟で済陰せいいん太守の単匡ぜんきょうの悪事を公然と告発した。

 濁流の威勢に全くはばかることのないその颯爽さっそうとした態度は庶民の間で〝悪を憎むこと風の如き朱伯厚〟と評判になった。陳蕃が濁流派の陰謀で殺害された当時、ちつ県令の職にあった朱震は官職を捨てて駆けつけた。そして、人目も気にもせず陳蕃のために慟哭どうこくすると、遺体を丁重ていちょうほうむった。

 一年前、曹操が陳蕃の遺児・陳逸を救出した後、陳逸の身柄は曹操の友人の張邈ちょうばくに預けられた。張邈は予州を出ると、陳蕃に心服するその忠清さと正義のためなら自己犠牲をもいとわない態度を見込んで、朱震に陳逸の隠匿いんとくを託したのだという。

 その後、朱震と陳逸はさらなる安逸の地を求めて北へ向かい、州の甘陵かんりょう国に隠れ住んだが、しばらくして捜査の網にかかってしまった。朱震は自らおとりとなって陳逸を逃がすことに成功したものの、自身は捕縛されて党人隠匿の罪で北寺獄へ送られ、拷問ごうもんの日々を送っていたのである。

 そのことを北部尉になった曹操に知らせてきたのは友人の厳恪げんかくこと張邈本人だった。張邈は朱震に対して責任を感じているのだろうが、

『――――やれやれ、厳恪め。またオレに面倒の種を食わせる気か……』

 また自分を頼ろうとしてきたところに、友人の弱さを感じて不愉快になった。

 確かに北部尉という官職上、囚人や牢獄とも縁はあるものの、特殊監獄である北寺獄は決して近くないのである。曹操は友の頼みを留保しながら、時を待った。

 状況は一年前とほぼ同じだ。拷問を加えているのは、つまり、何か重要な情報を聞き出そうという意図があるわけで、直ちに殺す意思がないことの証左でもあるのだが、朱震の体力気力がいつまで持つか分からない。決して時間の猶予があるわけではなく、かと言って、有効な手立てがあるわけでもなく、曹操も何もできないでいた。

 そんな時、今回の百鬼の事件が起こった。

 朱震救出のための糸口を欲していた曹操にとって、これは絶好のチャンス到来であった。天祐。いや、自らが引き寄せた天運というべきかもしれない。

 手口も一年前と同じだ。敵の味方を装って相手のふところに侵入する。そして、内側から切り崩す。

阿瞞あまん〟と呼ばれた子供時代のあだ名が示す通り、だまし合いでは自分は負けない。

 ただ、一年前とひとつ違うのは、洛陽北部尉の官職にある自分は今回は表立って動くことができないということである。それ故、信頼する部下の夏侯惇にその方策を授けた。

 捕らえた百鬼から聞き出した情報では、彼らは下っで、上からの指示で動いているだけだ。黒幕が誰なのか知らない代わりに、その顔も上に知られていない。

 向こうが替え玉なら、こちらも替え玉だ。だが、捕縛した百鬼は三人。替え玉はあと二人いる。できるだけ腕が立つ者。ちょうどいいことに二人いる。盧植ろしょくから身柄を預かった二人。曹操は百鬼が蔡邕邸を襲撃した際に見せた公孫瓉の武勇は使えるとふんだ。劉備は人数合わせだ。北部尉の詰め所に連行された劉備と公孫瓚に曹操が処分を告げた。

「――――盧先生の要求どおり、お前たちは罪に伏すことになる」

「――――勝手にしやがれ」

 酔いのめた公孫瓚は口を尖らせて言うと、横柄にも仰向あおむけに寝転んだ。

「――――実は協力してもらいたいことがある。その働き次第では、罪は免除してやる。それに、お前たちが盧先生の門下に復籍できるよう話を通してやってもいい」

「――――何をすればよいのですか?」

 曹操が持ち掛けた司法取引。盧植の私塾を破門されたことに沈んでいた劉備はこの言葉に飛び付いた。特に劉備にとって破門は切実な問題のようで、うなだれていた顔を上げ、積極的に曹操に対した。

「――――朱震というお方を助ければいいんですね?」

「――――そうだ。脱獄後は説明した通りに行動すればいい。全て手を打っておく」

 そこまで話が進んだところで、天を仰いでいた公孫瓚が勢いよく体を跳ね起こした。

「――――何だか面白そうじゃねぇか。でも、勝手に囚人を脱獄させるなんて、いいのかよ? また先生の怒りに火を注ぎそうだ」

 そうは言いつつも、公孫瓚も曹操の提案に乗り気なようだ。曹操の口元に笑みが浮かぶ。しかし、清流人・盧植の弟子とはいえ、朱震のことをあれこれ話すわけにはいかない。

 世間では、幽州人の男は武芸にきょうじ、男気があり、特に任侠にんきょう的気風が強いと言われる。そんな幽州人の熱い義侠心が深く冷たい幽寂ゆうじゃくの底に追い風を吹き込むかもしれない。曹操はこの二人の幽州人気質をくすぐってみた。

「――――詮索せんさくは無用だ。冤罪えんざいの男を助ける義行だと思えばいい。自分の失点は自分で取り返すのが男というものだ。『義を見て為さざるは勇なきなり』という。盧先生も認めてくださるだろう」

 武勇を重んじる若き幽州人の心に火を付けるのは、それで十分だった。

 劉備はすぐにそれが『論語』の一句だと分かった。仁義忠節を重んじる盧植が口を酸っぱくして言う文句。

「――――仁を施し、義を守ることは何より大切なことだと盧先生は言っていました。私はやります」

「――――それでこそ幽州の遊侠児だな」

「――――しょうがねぇ、俺もやってやる。それで破門はなかったことにできるんだな?」

「――――ああ、お前たちの義行は必ず盧先生に報告する。そこで私と智侯ちこう先生が請願すれば、間違いない」

 曹操は協力の見返りとして、二人の身の安全と門籍の回復を堂々と保障するのだった。と言っても、身の保証は口約束に過ぎず、事の運び次第ではどうなるか分からない。曹操に言わせれば、天運は自分で切り開くもの――――となるのだが……。

 とにかく、北寺獄の性格について全く無知な二人は曹操の提案を受けることにした。

 もともと盧植には破門の意思はなかった。言いつけを破ったいましめのために二人の身柄を曹操に託したに過ぎない。劉備と公孫瓚が勝手に破門されたと思っているだけだ。曹操にはそれが分かっていたが、ここは二人の勘違いを利用して協力を取り付けたということである。

 目的遂行のためには利用できるものは何でも利用する。そのためには、時には味方をあざむくことも許容される。それが曹操孟徳のやり方である。

 こうして、劉備と公孫瓚、それに夏侯惇の三人は曹操が捕らえた百鬼の替え玉として、宦官が待つ陰謀の北寺獄へ送られた。用意周到、準備万端にして今に至る。

 これは第二次清流人救出計画であり、曹操の対濁流戦第二ラウンドだ。

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