第3話 憧れ
朝の一幕の後、それからは特にいつもと変わりのない日常が進み、ついに放課後を迎えていた。
これから僕は待ちに待った生徒会だ。
大好きな先輩に会える時間。自然とテンションが上がってしまうのも仕方のない事だった。
「じゃ、また明日な小清水」
「うん、また明日ね葉山君」
放課後遊びに行くメンバーだろう。けっこうな数が帰らずに残っていたけれど、それは気にせず葉山君に挨拶をして立ち上がる。
大好きな先輩に会えると思うと足取りは軽い。
そのまま教室を出ようとした時、ふと視線を感じた。
チラリと視線を感じた方を振り向くと梓沢さんと目が合ってしまい、僕は急いで視線をそらして教室を出た。
たまに、今みたいに梓沢さんからの視線を感じる事がある。
嫌われている相手から見られているだなんて、自意識過剰過ぎると思われるかもしれないけれど、実際さっきみたいに目が合う事は今でも何度もある。
どうして梓沢さんが僕なんかを今でも気にしているのか。
それはたぶん、そうしなければいけない程に、僕の事が嫌いだからなのだろう。
そう考えるとさっきの視線の意味も分かる。
きっと梓沢さんは、本当に僕が来ないか心配していたのだろう。
そんなふうに警戒されるくらい、僕はあの日から梓沢さんに嫌われているんだ。
僕は行かないので安心してください。
そう心の中で唱えながら僕は生徒会室へ向かった。
「湊先輩!お疲れ様です!」
「和泉、お疲れ」
僕が生徒会室に入ると、すでに湊先輩は来ていて会議の準備をしているようだった。
昔から染めたところを見たことがない綺麗な黒髪。湊先輩はいつもポニーテールにしていて、先輩が動くたびに可愛らしく揺れるその様子は何度見ても微笑ましい。
眼鏡の奥に見える凛々しい瞳は綺麗で、いつ見ても僕は見惚れそうになってしまう。
湊先輩はとにかく綺麗で、そんな先輩が静かに笑いかけてくれるだけで、僕は元気が無限に湧き出してくるような気がした。
「いずみぃ、湊だけじゃなく私もいるんだけど?」
「あ、
恋は盲目とはよく言ったもので、僕の目には文字通り湊先輩しか入っていなかったみたいだ。
姫野先輩は生徒会の副会長、湊先輩とはタイプが違い、派手な感じの元気な女性だ。過去の出来事のせいで若干苦手意識はあるけれど、それを差し引いても明るくて面白い人だと思える程いい人だ。
「はいお疲れ、相変わらず湊しか見えてないなぁ。よ! 慕われてますね、会長?」
「うるさい姫野」
楽しそうに湊先輩に話しかける姫野先輩とそれをあしらう湊先輩。
それはよくあるいつもの光景で、僕はそんな二人を見るのも何となく好きだった。
「じゃあさっそく会議を始めるから、みんな用意して」
それから、メンバーが揃った後はいつも通りの湊先輩の掛け声で会議が始まった。
テキパキと進行する湊先輩と、適宜口を出して会議を円滑に進める姫野先輩はいつ見ても相性抜群で、今日もつつがなく会議は進み、特に問題もなく終了した。
毎回こうしてスムーズに進むのは、二人の力が本当に大きいと思う。
こういうカッコいいところを見せられる度に、僕は自分の気持ちが高まるのを自覚していた。
会議終了後。
みんなが帰り支度を始める中、湊先輩はまだ何かすることがあるのか書類を眺めていた。
「湊先輩帰らないんですか?」
「うん。まだ残してた仕事があって……和泉こそ帰らないの?」
「先輩が残るんなら僕も手伝いますよ!」
「え、いいの? なんかいつも手伝ってくれるけど、無理してない?」
「全然してません! むしろ先輩のお手伝いがしたいです!」
「そ、そっか、じゃあ頼もうかな」
「はい!」
僕は湊先輩に頼ってもらえることが最高に嬉しかった。
僕の都合のいい錯覚なのか、先輩もどこか嬉しそうに見える。もし本当にそうなら最高なんだけどあまり自信はない。
そうして湊先輩と準備をしていると、帰り際の姫野先輩が声をかけてきた。
「お、和泉は今日も湊のお手伝い?」
「はい!」
「嬉しそうにしちゃって、こんなに後輩に好かれて先輩冥利につきますねぇ、か・い・ちょ」
そう言って湊先輩の肩をポンポンと叩く姫野先輩。
そのまま何か返答を待っているようだったが、肝心の湊先輩は下を向いたまま何故か無言だった。
「湊? どうかした?」
「先輩?」
「……ぃ」
「え?」
聞き取れはしなかったけど湊先輩は確かに何か呟いた。
心配になって覗き込もうした瞬間、湊先輩が先に顔を上げた。
「姫野、今日なんか用事あるんじゃなかった?」
顔をあげた湊先輩はいつも通りの先輩だった。
「あっと、そうだった。今日は早く帰らないといけなかったんだ。じゃ二人ともまた明日」
「うん、また明日」
「あ、はい。また明日です」
生徒会室から出ていく姫野先輩を見送る。
さっき湊先輩が何を言っていたのか気になったけれど、いつも通り過ぎるその様子を見ていると、特に大切な事でもなかったのかもしれない。
「じゃあ、和泉はこっちをお願い」
「あ、はい! 任せてください!」
「いつもありがとうね和泉」
「そんな、僕が好きでやってることなんで全然」
そうして僕は先輩とふたりで作業を始めた。
作業中はお互いに無言になる。
お互いに黙々とするべきことを進めるのだ。
湊先輩は見た通りもともと自分からたくさん話をするような人ではないし、僕も作業中は先輩の邪魔をしないように気を付けている。
そんな無言で進む時間とは言え、好きな人と一緒にいることがきるこの時間は僕にとってとても幸せで尊い時間だった。
楽しい時間はすぐに過ぎていく。
もともと手際のいい先輩とふたりでやっていたからか、それなりに残していた仕事はすぐに終わった。
生徒会室にカギをかけ、先輩とふたりで昇降口に向かう。
あとは帰るだけなのだけれど、僕は今日一でドキドキしていた。
何故なら湊先輩と一緒に帰れるかもしれないからだ。
気恥ずかしさはあったけれど、それでも僕は勇気を出して誘ってみることにした。
「あの、湊先輩」
「どうかした和泉?」
「きょ、今日ってその、一緒に帰ってもいいですか?」
ちょっと声が裏返って語尾も強くなってしまった。かなり恥ずかしい。
いっぱいいっぱいになっている僕とは違い、先輩は辺りを見て何か考えているようだった。
まだそれほど遅くない時間。辺りには部活動をしている生徒や、帰ろうとしている生徒、まだそれなりの人が残っていた。
周りの人達を気にしている様子の先輩は、誰か探しているのだろうか。考えても分からないから、僕は先輩からの返事をじっと待つことにした。
「ごめん和泉、今日は用事あるから」
「あ、そう、ですか……」
思ったよりあっけなく断られてしまった。
なんというか一人で舞い上がっていただけに、一気に現実にひきもどされたような感覚だ。
でも仕方ない。先輩に用事があったなら、僕が誘うタイミングが悪かっただけだ。
「じゃ、ごめんね」
「いえ、いいんです! 気を付けて帰ってくださいね先輩」
湊先輩は振り向きざまに手を振って、そのまま僕の視界から消えて行った。
一緒に帰れなかったのは残念だけど、先輩とたくさん一緒にいることができたのは嬉しかった。
また明日、誘ってみよう。
これくらいでは諦めない。だって僕は先輩が好きだから。
もっと先輩と一緒に過ごして、いつか僕の覚悟が決まったら、絶対にこの気持ちを伝えたい。
恋は人を変えるというけど、本当にそうだと実感した。昔のままの僕なら、きっとこのまま落ち込んでいたに違いない。
けれど、今は違う。僕はもう湊先輩のおかげで変わる事ができた。
少し落ち込んだとしても、僕から見える世界は明るかった。
今見ているその景色が、明日もその先もずっと続いていくんだと、その時の僕はそう思って疑いもしていなかった。
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