第4話   食材、怪しい画廊へ逃げる

 チェスの駒の形に刈り上げられた、深緑色のトピアリーが、森と庭を分け隔てる柵の代わりになっていました。私を片手にした美少年二人が向かった先は、ブラックチョコレート色の大きな玄関扉、ではなく、屋敷の裏にある勝手口でした。素朴な扉にはフックが付いており、馬さんの靴でおなじみの蹄鉄ていてつが下がっていました。本物ではなく、日常を飾る装飾品オブジェとして。西洋では古くから、魔除けや幸運をため込む象徴として、玄関に飾るそうです。


 蹄鉄を模したアクセサリーは、花嫁が身に着けると幸せになれる「サムシングフォー」の一つでもありますね。


 そんな扉を片足で蹴って開ける、ラズ君の上品さったら、この上ないですよ。さすがのロゼ君も真似しませんでしたけど、ラズ君の後ろに立っていたから彼の背中を蹴りたくなかっただけなのかもしれません。


 そんなわけで、彼らがバタバタと駆け込んだ先には、窓の明かりだけが差し込む、ちょっと薄暗くて四隅がはっきりしない、広いキッチンでした。壁に掛かったおたまやフライ返し、フライパン、火の消えたコンロの上には鍋とケトルのやかんが置かれています。アンティーク調の茶色い食器棚は三つも並び、ティーカップにソーサーに、大小そろった白いお皿たち、その他綺麗な食器がどっさり収納されています。


 私たち以外にも、人がいるのでしょうか? それにしては、とても静かなのですが。


「ラズ、茹でるのならば水が要りマス」


「え? ハハ、それぐらい俺でも知ってるよー」


「水瓶に溜めた分では足りマセン。小川から汲んでくる必要がアリマス」


「え? そんなに水がいるんだ。俺、料理とかやったことないから、味付けもよくわかんなくてさー。塩でいいかなー」


 ラズ君はへらへら笑いながら、からっぽのお鍋の中に私を放り込みました。カラーンと乾いた音が鳴りました。


「よっしゃ! それじゃ桶は俺が背負うから、さっそく行こうぜ!」


「ハイ」


 なんて底の深いお鍋でしょう……パスタを茹でる寸胴鍋です。とても這い上がれません。ミミックの大冒険・完、です。


 あわわ、なんですか!? 急にお鍋が傾きだしました。


「シー」


 コンロ台に転がった私に、静かにするよう人差し指で指示したのは、えっとー、ロゼ君? ですかね。初対面の双子を見分ける能力は私にはありません。


「ラズに変な物をしょくしてほしくアリマセン。どうか逃げてクダサイ」


 ああ、ラズ君のためですか。でしょうね、ロゼ君が無償で私を助けるメリットが無いですもんね。


「我々にはまだ、干し肉のストックがアリマスから大丈夫デス」


 なんのお肉が原材料なんでしょうかねー。ヒとかトなんですかねー。


「少しお分けシマショウ」


 ロゼ君がポケットから、かっさかさに乾いた魚の皮みたいな欠片を取り出し、私の口にポイと投げ込みました。


 美味い!! なんだこれめっちゃ美味い!!


「おーい、ロゼー?」


「あ、ハーイ、今行きマス」


 ロゼ君が走り去っていきました。助かった、のでしょうか? とにかく、まだ逃げられる時間が増えましたね、行きましょう!


 コンロ台は背が高くて、跳び下りるのが怖かったですが、全身を強打する覚悟でジャンプしたら、ころころ転がりながらも無傷で起き上がれました。丈夫なミミックに転生したのは、あながち間違ってはいないようです。


 どこかで鏡でもあれば、今の私の姿が見えるはず――って、今は外に逃げるのが先決です。何か食べたおかげでしょうか、足取りが軽いです。これなら逃げられそうですね。


 あの二人が元気に開閉していった扉が、綺麗に閉ざされているのが見えてきました。当然ながら、大きな扉です。しかも私側から引き開けなければなりません。ロゼ君、せめて開けっ放しで出かけていってくれませんか……。


 うーん、背伸びしたって取っ手には手が届きません。力いっぱい、ベシベシと叩いてみました。なんか、反動で少し隙間ができるとか、そういう都合の良いことが起きないかと思いまして。

 そして、恐ろしい結果が出ました! 私の腕力では、扉が、びくともしません! 揺れもしません。私の腕力、低すぎです!


 どどどどうしましょう、早く逃げないとラズ君に捕まって茹でられてしまいます。せっかくロゼ君が逃がしてくれたというのに、チャンスを棒に振らねばならないのでしょうか。


 う~ん……あ、そうです! なにもこの扉から脱出しなくても、屋敷の中を探索しながら外に出る方法を探せばいいのでは? 一つくらい、開く窓などがあるかもしれません。


 探しましょう、そうしましょう、だって、もう二人分の足音と笑い声が近づいていますもの。この近くに小川なんてありましたっけ? どうなっているのやら、この異空間は。



 とりま、扉を離れまして、薄暗い廊下をてちてちと走っていきました。窓が少ないうえに、カーテンが厚いんですよね。壁一列にずらっと飾った大小さまざまな油彩の、日光による劣化を防ぐためなんでしょうね。


 私、美術品鑑賞は好きですよ。と言っても、図鑑などで観るだけですけど。もっと余裕があれば、じっくり眺めたいのですが。


 どこまで行っても、男の人がメインに描かれた人物画ばかりですね。ダークブロンドの前髪を、おでこが見えるくらい後ろに撫でつけて、寒色系のお召し物を着た、なんだか似たようなお顔立ちの男性の絵ばかりです。画風こそ様々ですが、どうにも、同じ男の人が描かれているみたいなんですよね。廊下が薄暗いので、はっきりと断言できませんが、でも、鼻筋や目の位置、金の瞳の色、髪の色や質感、肩幅、背の高さ、これらがだいたい同じに見えるんです。服装は、描かれた季節によって違いますが、この男性の一瞬一瞬の仕草が、同一のモデルさんを使っている気がしてなりません。


 絵のタイトルが彫られたキャプションボードが、額縁の下にありました。


『ピーコック』『この屋敷で最も愛された男』『木漏れ日の下』『昼下がりを見守る者』


 他にも、『猫を抱く』とか、『犬と椅子と男』とか。画家さんの生年月日と没年月日も小さく記されています……あれ? 制作期間が百年近く差がある画家さんがいますね。あ、こっちの画家さんはご存命のようで、没年がありません、けど、となりの画家さんより三百年ほどご年配のようです。


 同じモデルさんを使っているわけでは、ないのでしょうか?


 このお屋敷に招かれた画家さんは、同じ男性を描かねばならない宿題でも出されるんでしょうか……。


 ん? なんだか、視線を感じますね……やはり広いお屋敷には、お手伝いさんの何名かがいらっしゃるんでしょうね、見つかってしまったでしょうか。ど、どこに隠れましょう。


 ……足音も何も聞こえませんね。ああ、でも、遠くでラズ君が「いねー!」と騒いでいるのは聞こえるんですが、それに反応して駆けつけてくるお手伝いさんたちの気配は、ありません。


 ラズロゼ兄弟以外、誰もいないのでしょうか? こんな立派なお屋敷に、ぼろぼろの服を着た子供が二人だけだなんて……。


 ……お世話をしてくれる大人ばかりとは、限りません。けど、普通の家庭では、子供は愛されるものです。彼らの状況に、違和感を覚える私は、おかしくありません。


 芸術品の購入にお金をかけるのも自由でしょう、ですが、洋服くらい、食べ物くらい、買ってあげても良いのでは? イケメンの絵画を買い集めるくらい、お金があるんですから。


 あれ? この絵の男の人、こっちを向いてましたっけ? さっきは、絵の中の夕焼け空を眺めていたはずじゃ……でも今は、私を見下ろしていますよ?


 キャプションボードには、『窓から見上げる夕日』とあります。これは、モデルの視線が夕日を見ていないと不自然ですよね。


 屋敷の床と一体化しているほど背の低い私を、見下ろす構図で描かれているのは、おかしい気がします。


 まさか、絵が動いた……? って、そんなわけないですよね、これはきっと画家さんにしかわからない謎が含まれてるんでしょう。当時の時代背景も何もわからない私には、解釈のしようがありません。


 つい、芸術鑑賞に意識を奪われてしまいましたね。この長い廊下で足の速いラズ君と追いかけっこなんて、御免こうむります。早く駆け抜けませんと。


 私は薄暗く冷たい廊下を、一生懸命に走りました。そして異様な光景に、泣きそうになりました。

 ど、どうして絵の中の人物の視線が、ぜんぶ私のほうへ向いているんですか。自意識過剰とか気のせいとか、絶対にそんなんじゃありませんよ! どの男性も同じ顔で、廊下の床を眺めているんです!

 お屋敷の住人さんが、こういう構図の絵ばかりを集め始めたんでしょうか。下ばかり観察するイケメンの絵を!? どうせならまっすぐに皆様を見つめ返すほうが良くないですか!?


 ああ、とどめは胸像画! 私を目で追っています! 目玉が動いてますもん!


 怖ぁ!! 音楽室に貼ってあるベートーベンの印刷物とか、美術室の石膏が動くとか、学校の怪談で出てくるネタが、こんな所で実体化しています! 体験するとめちゃくちゃ怖いですね、共感してくれる人がいたら、少しは落ち着けるのでしょうが。


 とにかく、この視線から逃れませんと、怖くて悲鳴を上げてしまいそうです。廊下には遮蔽物がありませんから、隠れることもできません、後戻りはラズ君がいるからできませんし、もう前に進むしか道が残されていません。


 あ、廊下の突き当りに、両開きの扉が! しかも半開きで真ん中に隙間ができています!


 迷うことなくスライディングで入りました。背中で扉を閉めまして、ひとまず、ほっとしました。


 しかしそれも束の間の安息でした。顔を上げた私を待っていたのは、壁一面にびっしり飾られた、あの男性の絵だったのです。額縁がひしめき合っていました。その光景にも度肝を抜かれましたが、一番びっくりしたのは、見たこともないほど巨大な、色白銀髪美少女の絵! 壁のど真ん中に飾られています。


 女の子は肌の透けそうな薄地の白いワンピースをまとい、ロッキングチェアに座って、つまんない物を見るような、生意気そうな顔で肘をつき、私を見下ろしています。い、いったい、ここはなんの部屋なんでしょうか。同じ顔した男性の絵ばかりがある中に、たった一枚だけ、この美少女の絵があるんです。


「うふふ」


 え? 今、女の子の声が。誰かいるのですか!?


 大慌てで見回しましたが、誰も、いないようです……。隠れるための家具も一つもありません。


 あれ? 女の子がさっきよりジト目になって笑っていますよ。どうなってるんですか!? このお屋敷は、いったいなんなのですかー!?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る