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 慌てて家に帰りついた瑛比古さんを、ハルが不安げな顔で出迎えた。


 普段「ただいま」と声をかけると、それを聞きつけたメイちゃんが「おかえりなしゃい!」と玄関に走りこんでくることは度々ある。


 それを追いかけるようにして、ナミやハルが後から顔を出すことはあっても、率先して出てくることは稀で……だからこそ、まるで待ち構えていたかのようにハルが出迎えたという事実に、瑛比古さんは不安を覚えた。


「キリ、どう?」

「まだ部屋にこもったまま。覗いてみたけど、ふて寝してる。寝ているわけじゃないみたいだけど」


 ハルとキリは同じ部屋をパーテーション代わりの本棚で区切って、簡易カーテンをつけて個々のスペースにしている。


 瑛比古さんの亡き両親が残してくれたこの一戸建ては、古いが総2階建て住宅の3LDKで、確保しようと思えば上2人に個室を与えることも可能だった。しかし、それぞれの部屋がやたら広く確保されていることと、部屋を仕切る本棚が新築当時に購入した昔風の重厚な——つまりめっちゃくちゃ重い上に、ぎっしり本が詰まっているため、わざわざレイアウトを変えるのも面倒、という理由で、そのまま二人で使っている。


 たっぷり詰まった蔵書の半分は、瑛比古さんの亡父・龍比古さんの遺品で、かなり古いものも含まれるが、本好きの瑛比古さんや美晴さんの薫陶を受けたハルにとっては、並べて見ているだけで落ち着くらしく、処分されることもないまま、現在に至る。


 そこまで本に興味がないキリは、祖父の本は瑛比古さんの書斎に移動し、空いたスペースに野球雑誌やスコアブックを並べている。


 そのため基本同室のハルは遠慮なくキリの様子をうかがうことができるわけであり……けれど、物理的な施錠はされていなくとも(と言うか、元々部屋に鍵はない)、キリからの精神的なシャットアウトはひしひしと感じており。



「ナミが、どうせキリは腹減らして帰ってくるからって、おやつに余分に作っておいた芋餅いももちも、いらないって」


 つぶしたジャガイモと片栗粉を混ぜて成型して焼いた「芋餅」は美晴さんが生前よく作ってくれたおやつで、ハルやキリの記憶を頼りにナミが復活させた土岐田家の大人気おやつである。


 とくに、甘辛いみたらし風のタレをかけた芋餅はキリのお気に入りで、作った端からつまみ食いするとナミに怒られたこともあるほどだ。


「キリの大好物じゃないか……こりゃ、重症だ……って、そう言えば、キリ、ケガしてなかったか?」

「ああ、右腕、擦り剥いていたけど。特に脹れたり出血してる様子はなかったよ。シャツにちょっと血がついていたんで、シミになる前に洗うからよこせって言ったけど、そのままこもっちゃって」


 さすがは看護師の卵らしく、チェックしていたらしい。


「でも、今日は部活、なかったはずだよね? ケガするようなこと、何かあった?」


 部活で小さな擦り傷をこしらえてくることはあったが、今日は模擬試験のため活動休止のはずである。慌てて帰宅した瑛比古さんの様子と合わせて疑問を感じていたハルは直球の質問を投げかけてきた。


「ああ。事故に遭ったらしい。というか、現場に居合わせて、轢かれそうになったクラスメートが転ぶの受け止めた、ってことだけど。念のためにって、担当の警察官が知らせてくれたんだよ」


 花代さんから聞いた内容を、かいつまんで説明する。


「まさか、腕、痛めたわけじゃないよね? 見た感じ大丈夫そうだったけど……本当に痛めたなら、早く受診しないと」

「その辺りは、さすがに自覚あるだろう? ちょっとしたケガでも、ちゃんと診てもらわないと、って、いつも自分でも言っているし」


 キリは大雑把なようでいて、身体メンテナンスにはきちんと気を遣う。


 軽くても違和感があれば、すぐにかかりつけの接骨院に行っている。

 リトルシニア時代のコーチの弟さんが開院している接骨院で、気軽に相談できるありがたい場所だ。


 なので異常を感じたのならば、部屋にこもるより先に受診するだろうし、本当に異常があれば接骨院から保護者の瑛比古さんにも連絡をしてくれるだろう。


「まあ、そうだよね。とにかく、ちょっと様子見てやってよ。……夕飯は、ナミが何か作るって言ってたから、今日は外食やめよう?」

「……だよな。やっぱり」


 子供たちより外食を楽しみにして、その上あきらめの悪い、大人げない父親に、ハルは苦笑いを浮かべつつ。


「……夏休みは、まだ始まったばかりだから、またの機会があるよ」


 一応、慰めの言葉を口にして、促すようにキリのいる2階の方向に視線を送った。






「キリ、入るぞ?」


 瑛比古さんはノックをして室内に入り、カーテンの外から声をかけるが、返答はない。


「入るぞ」


 もう一度声をかけて、瑛比古さんはカーテンをほんの少しめくり、中を見る。

 部屋の奥に頭を向けてベッドにうつぶせていたキリが、視線だけ送ってくる。


「……なに?」

「なに、じゃないだろ? 事故に遭ったって」

「ああ、連絡行ったんだ? 別に、何ともないよ」


 答えながら、キリは身を起こし、瑛比古さんに向き直る。

 ゆっくりだが、その動きからは痛みや不調は感じられない。ただし、その顔つきは、暗く精彩に欠けていた。


「何ともないって……そういう顔じゃないけどな。食欲もないなんて。ハルも心配していたぞ?」

「……そう」

「何か……別のことで、悩みでもあるのか?」

「……まあ」

「そっか。まあ、色々あるよな。父さんで良ければ、聞くけど……それともハルの方が、いいか?」


 年頃の少年には、親には相談しにくいこともあるかもしれないと、一応気を遣った瑛比古さんであった、が。


「……大兄だいにいには、言えない」

「……?」


 ますます表情を暗くするキリに、瑛比古さんの顔色も曇る。


「あのさ、俺、……好きな子ができたんだ」

「……あ、うん……」


 突然の息子の告白に、やや面食らいながら、瑛比古さんは生返事する。


 いや、そういう悩みは、やっぱり、ハルにするべきじゃ? という言葉は、何とか飲み込み。


 キリ以上に奥手のハルが、果たしてよい相談相手と言えるかはともかく、父親の自分よりは相談しやすい気もするが。


「でさ、その子が、言ったんだ」

「あ、ああ」



「自分の理想は、大兄だって」




 もはや、相づちも打てず、瑛比古さんは絶句するしかなかった。



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