探偵は定食屋にいる

1

「もう、スゴかったよぉ! シャッターも車もボロボロペシャンコだしぃ!」

「えー、撮ったの? 見せて見せてー!」

「きゃー! スゴい! ホントにペシャンコだあ!」


 朝のHR前。

 クラスで一番の話題は、昨日、学校近くの七日町商店街で起きた事故についてだった。


 ニュースや今朝の新聞にも大きく取り上げられていたので、現場に通りかからなかった生徒も、ほとんど皆知っていた。

 放課時間を10分ほど回っていたので、帰宅部の生徒の中には、ちょうど出くわした者が何人もいた。


「えー、私も見たかったなあー。まっすぐ帰ればよかったぁ」


 ……罰当たりめ……。


 朝練の後、HRが始まるまでのわずかな時間も有効に使おうと、机に突っ伏して睡眠を取っていた霧比古は、顔を上げないまま、心の中で毒づいた。


 ……面白半分に騒ぐんじゃねえよ、全く。


 口に出せば、きゃーきゃー言われて、大事な睡眠時間を邪魔されると分かりきっているので、何とか我慢する。

 本当は、結構イラついていて、もう寝るどころじゃない精神状態だったんだけど。

 事故の話題に興味がないと言えば、嘘になる。


 何と言っても、霧比古……キリが、子供の頃から親しんできた商店街での事故だ。


 おまけに、弟のナミのガールフレンドが巻き込まれる寸前だったと聞かされて、胸を撫で下ろしたのは、つい昨夜の話だ。

 事故の原因やその後の様子は、正直気になる。


 しかし。


「ワゴン車って誰も乗ってなかったんでしょ? 怪我人いないなんて嘘みたーい」

「全国ニュースにはなってなかったねー。ま、結局車とお店が壊れただけだしね」

「ね、ね、テレビ局とか来てた? 映ってたりしてぇ」


 ……ムカ。

 ムカムカ。

「うる……」


「ウルサイわね!」


 堪忍袋の緒が切れて、叫びだしそうになったキリの言葉を奪うようにして、声を荒げたのは。


「岳内さん……」


 文武両道の呼び名が高い名門城北高校の中でも、特に成績優秀と評判の、岳内繭実まゆみだった。


「噂話は勝手にどうぞ。だけど話の内容には気を付けた方がいいんじゃないの?」

「な……」

 女子の一人が反論しようと口を開いたが、岳内女史の冷ややかな眼差しに飲まれて、二の句が継げない。

 それでも何か言おうと口をパクパクさせているが、他の数人の女子に宥められるように袖を引っ張られ、口をつぐんだ。


「……ごめんなさい。確かに配慮に欠けた内容だったわ。注意してくれてありがとう」


 代わりに応えたのは、クラスの女子のリーダー格である仲村なかむらつむぎ嬢であった。


 成績は岳内女史にやや及ばないものの、かなりの美少女で、先頃行われた文化祭でミス城北の1年生部門で1位に選ばれた。


(ちなみに男子の1位はキリ……と言いたいが、入学当初彼女がいたのと、野球に専念するため、結果的に別れてしまったことで女子の心証が悪くなってしまったらしく、3位だった。と言っても、文化祭当日は野球部の大会があったため、あとで友達から伝えられたことであるが。ハルが3年連続1位だったので、ちょっとプライドが傷ついたキリであったりする)


 つむぎ、という名に相応しく、和服の似合うしっとり美人で、文化祭の茶道部主催の茶会でお抹茶を立てていた着物姿に、校内外のファンが急増したとかしないとか。


 普段はもちろん洋服だが、基本的にシックな服装が多い。

 城北高校は文武両道・質実剛健の校風から私服でも目のやり場に困るようなド派手な服装の者はほとんどいない。その中でも地味とも言えるセレクトだが、大人びた顔立ちのつむぎが着ていると、その色白の美貌が引き立って、地味ではなくシック、となってしまう。


 そんな美少女が頭を下げている姿に、周囲の同情票は一気につむぎに集まった、が。

 しおらしく謝罪するつむぎ嬢の目が笑っていないのを見て、ちょっと背筋ヒヤヒヤのキリであった。


 こ、こえぇ……。


「別に私に謝罪してもらう必要はないと思いますけど。ただ余りにも聞き苦しい内容だったから忠告しただけよ」

 表情も変えず、さらりと言ってのける岳内女史の抑揚のない言葉を受けて、つむぎ嬢は顔を上げる。

「申し訳ないと思ったから。だって」

 満面の笑顔で、つむぎ嬢は続ける。

「お身内が巻き込まれそうになったんでしょ? お怪我がなくて本当によかったわ」

 無表情を装っていた岳内女史の瞳に明らかな動揺が走って、つむぎ嬢の顔に一瞬意地の悪い笑みが浮かんだ。


「え! そうなの?」

「岳内さん、ホント?!」


 再び女子が騒ぎだし、岳内女史は唇を噛み締めて視線をさ迷わせる。


「どこで聞いたか知らないけれど、プライバシーに関して軽々しく言うもんじゃないと思うな」


 割り込んできた声の主に向かって、数多の視線が注がれる。

 日頃から正論を楯にして反論の余地なくやり込められている優等生への、滅多にない反撃の機会……それを邪魔する援護射撃への非難が多分に籠められた眼差しを受けて、それでも毅然とした態度を崩さない男子生徒……キリに、女子生徒達は複雑な表情を見せる。


 憤懣やる方ない、と言う感情が見え見えの……ぶっちゃけ明らかに怒っている彼に、淡い想いを抱いている女子生徒は、少なくない。

 見ての通りのイケメンで、野球部のエース候補。野球に専念するために彼女と別れたことは、元カノ本人の前では一応ブーイングして見せてはいるが、本心ではそのストイックなところも素敵、なんて心密かに思っている女子も多く。正直、「彼女あり」時代よりも人気は上昇している。

 成績も中の上、運動部の男子は、部活引退後の追い上げでかなり成績を上げるというのも定説で、部活をしながら平均点以上の成績は、将来性も高い。

 

 そんなキリの苦言に、女性陣一同は気まずそうに目線を背け、チャイムが鳴ったのをよい潮に、無言でばらけて着席する。


「……ありがとう」


 キリにだけ届くように、岳内女史――繭実が囁き、ワンテンポ遅れて着席する。


 思いがけなく素直な謝意に、キリは内心驚いた。余計な口をはさんで、と機嫌を損ねるかも、と思っていたのだ。


 へそ曲がり、というわけではないが、他人の助けを借りることを良しとしない雰囲気を、いつも彼女から感じていたので。


 だから、意外だった。


 キリの席からは、斜め後ろの顔しか見えないが、まるで何事もなかったかのように机の上を整えている。


 こうして見ると、姿勢、綺麗だよな。

 

 シャンと背筋を伸ばし、教科書をめくっている姿からは、まだ授業前とは思えない真剣さが伝わる。

 

 キリが思わず見とれていると、その視線に気が付いたのか、繭実が振り向いた。

 視線が合って、慌ててキリは目を反らす。


 一瞬絡んだ眼差しは、いつも通り冷徹で、まるで叱られているようにキリは居すくめられらた。


 けれど。


 萎縮した気持ちと同時に、何だか胸の奥で妙な動悸が起きているのを、キリはうっすらと感じていた。

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