ねらわれた七日町商店街

1

「……全く今時の親と来たら!」


 それは、猛暑と言ってよい、夏の日の夕方。

 7月頭から始まる地区予選を控え、応援体制を整えるための父母会が開催されていた。


 まだ夏の盛りには早いのに、日中にかなり温度が上がり、夕方になっても暑さは引かず、必然的に不快指数が高まってしまうであろう中で(一応クーラーはついていたが、効きが悪かった)。


 さっきからブツブツ文句聞かされて、宝木たからぎ幸恵さちえさんはますます不快感を強めていた。


「1年生の親は全員出席って、伝えて下さったのよね?」

「はい。お便りは出しました」

「あら、電話もして下さったんじゃないの?」

「一応は……ただ、連絡がつかないお宅もあって……」


 あーあ、何で学年代表なんてなっちゃったんだろう?


 心の中で嘆きつつ、幸恵さんは懸命に言葉を選んでいく。

 2年生は去年からSNSのグループを作って一斉送信して済ませたと聞いているが、まだ実際に行き会っていない1年生の親に連絡をするには、お便りか電話しか方法がない。ただ、電話番号も個人情報なので、まだ連絡網の形にはしていない。ゆえに、一軒一軒、幸恵さんが電話をかけたのである。


 っていうか、なんで私が怒鳴られなけりゃいけないんだろ?

 相手は別に上司でも先生でもない。

 子供が同じ部活に所属しているだけの、親同士である。


 ただ、あちらの息子は主将で、自分の息子は新入部員の1年生……おまけに父母会会長夫人である。

 つまり、会長は旦那さんなわけではあるが、実質会を取り仕切ってるのは彼女なわけで。

 なにせ、学校側に厳然たる影響力を持つ名門野球部の父母会である。


 公立高校とはいえ創立100年を超える文武両道の名門校、県立城北高校。

 卒業生には現市長をはじめ市会議員や県会議員、商工会議所のお偉方も多数いて、野球部の動向を見張って……もとい、見守っているのである。

 だから、父母会会長ともなれば、そんなお歴々との交流も深く……必然的に名士と呼ばれる者が代々選出されることが多い。

 代表と名がつくだけの、その実雑用係の1・2年の学年代表と違って、父母会会長は(たとえ実際にしきるのが母親であっても)男性が選出されるのが決まりというか慣例である。


 地元企業の社長さんで、市長さんとも同級生だったという彼女の旦那さんを、幸恵さんは見たことがない。

 父の会、というのがあって、普段多忙なため父母会活動に参加できない父親の交流会(というか結局飲み会)に参加させられた夫が言うには、なかなか気働きの出来る、腰の低い人物だということであるが。

(というか、そもそも父親は忙しいから交流会で飲み食いだけで、母親は暇だから散々こき使われる、という決めつけはひどい! 男女差別だ! と頭に来る幸恵さんなんだけど)


 一応専業主婦の幸恵さん、専業主婦だから、という理由で学年代表を押し付けられてしまったわけだけど、逆を言えば働いているお母さんが多いわけで。


 昔は平日の昼間開かれていた父母会も、今は夕方から夜に開かれるようになった。


 とはいえ、みんながみんな9時5時の定時の仕事じゃないから、息せき切ってギリギリに会議に出てくる人も結構いる。


「そう言えば、父の会にも来なかったそうじゃない。夫婦してどういう神経をしているの?その家は! いくら期待の選手だからと言って、親がそんな風じゃ、これからどうなることやら。家庭がしっかりしてなければ、何か問題を起こしかねないわ」


「……あの……」


 あまりと言えばあまりの言葉に、反論しようとした幸恵さん、ぎろりと睨まれて、二の句が継げなくなってしまう。

 その時。


「失礼します」


 がらり、と戸が開き、若い男性が顔をのぞかせる。


 先生だろうか?


 見覚えはない。


 まだ息子が入学して半年も経ってないから、知らない先生もいるかもしれない。


 でも。


 こんな先生がいたなら、噂ぐらい聞こえてきそうなものだ。


 そう。


 こんな、カッコイイ先生……。


 つい見とれてしまい、やっと我に返った幸恵さん。


 ふと周りを見れば、どのお母さん方も、突然現れた美形教師に見とれてしまっている。


 さっきまでブツブツ言っていた会長夫人も、例外なく。


「あの……」


 ハイバリトンの、深みのある声。


「「「はい?」」」


 異口同音に返答の声が重なり、一様に上ずっている。


「遅れてすみません。土岐田トキタ霧比古キリヒコの父ですが」


 え?


 ええ?


 えええぇぇぇっ!?




 会議が終わって家に帰ってくると、夫の幹夫さんが夕食を食べているところだった。


「あ、おかえり。先食べてるよ」

「ありがとう。あーあ、疲れちゃった」

「どうした?」

「それがね……」


 幸恵さんが、会議で起きた「美形教師と思いきや部員の父親だった件」をかいつまんで話す。



「若いことは若いのよ。まだ38歳だって! でも、どう見たって30代前半……20代だって通るかも」


「ってことは、20歳そこそこで父親か。ん? まてよ、名前、何て言った?」


「土岐田さんよ。ときた。土に岐阜の岐に、田んぼで」


「子供、何て言うんだ?」


「えっとね……まって、名簿見るから」


 ガサゴソと鞄の中から名簿を取り出す。


「え、と……キリヒコ、くんね。雨冠の霧に、比較の比に、古い……」


 言い終わらないうちに、幹夫さん、箸をおいて立ち上がる。


 ダッと、書斎に走って行き、息を切らせて戻ってくる。

 手には、卒業アルバム。


 再び椅子に腰かけ、食事そっちのけでページを繰り始める。


「何?」


「……あった!」


 そう言って、アルバムをひっくり返し、幸恵さんに見せる。


 指先で示された位置には……。


「あ、土岐田さん?! うそ! ほとんど変わってない! ……くはないか。でもやっぱり美少年……」


 それは、集合写真。


 学ランとセーラー服の団体が、真面目な顔をして映っている、よくある卒業写真。


 指先より小さな顔しか映っていないけど、ひと際目を引く、整った顔立ちの少年が映っている。


 ページをめくると、今度は個別の顔写真が載っている。


「……土岐田……えい? あき?」

「てる、だ」

「そう。瑛比古テルヒコさん、っていうのね」


 アップになれば、それなりに少年らしさはあるけれど、大人っぽい整った顔立ちは変わらない。


 18歳……今15歳の自分の息子が3年後にこんな風にカッコよくなるもんかしら?


 想像して、即座にムリだと判断する。


 親の欲目も出ないほど、素材が違いすぎる。

 でも。


「なんであなたがこんなもの持ってるの?」

「あのな、俺の仕事知ってるだろ?」

「当たり前じゃない。高校の……あ!」

「土岐田は、俺が城北高校にいた時、初めて担任を持って卒業させた生徒なんだよ」

「え……と、あなたが今46歳だから……そっか、8歳差だから26歳の頃だもんね」

「アイツには苦労させられたんだよ……城北始まって以来の事件だったから」

「え? 問題児だったの?」

「逆、逆。品行方正、文武両道を絵に描いたような生徒でさ、おまけにハンサムだろ? 校内はもとより、花染女子辺りの他校の女子生徒までラブレター持って待ち伏せするくらい、モテモテでさ。なのに本人はとんと浮いた話はないって言われてて。で、三年生になって担任になって半年もたたないうちに」


 ふう、と溜息をひとつ吐いて。


「……学校辞めて、結婚するって言いだしてさ」

「……それは……なかなかスゴイ事件デスね……」

「子供ができちゃった、ってね。ま、結婚するって言ってもアイツの誕生日の1月までは籍が入れられないし、相手も成人してたし、高校側も出来れば退学者出したくないし……ただ、城北は周りがうるさいだろ?」

「確かに」

「で、ひたすら頭下げてまわって。もともと真面目で優秀な生徒だから、何とか卒業させて欲しいって。そしたらアイツ、さらに滅茶苦茶なこと言いだして」

「めちゃくちゃ?」


「『別に僕は学校辞めても構わないんです。でも、僕のために一生懸命になって下さる先生に報いるために、僕も努力してみます』とかいって、校長に直談判に行ってさ……T大早慶クラスの大学に現役合格して見せます、って」

「……それって、可能な範囲だったの? 成績……」

「不可能ではない。けど、絶対、とは言えない、くらいだったはずなんだ……なのに」

「なのに?」

「まさか、受験結果が出るまで待っていたら卒業できてしまう、その手には乗らない、所詮子供の浅知恵だな、だったら次の模試でT大早慶のA判定出してみろ、って言われて」


「……だしちゃったのね」

「しかも、全国順位トップ30に入って。……今までどれだけ手を抜いてたんだよ、って。もう、校長も同窓会長も手のひら返してさ。それで、1月には入籍して、3月には卒業して。見事早慶はもちろん、T大合格して……入学辞退した」


「それは……確かに、条件は『合格』だものね」


「ああ、確かに! 推薦じゃないから、別に辞退したって構わないよ……しかも『経済的な事情で』と言われちゃえば、どうしようもないし。実害は、ないよ。早慶はともかく、T大合格は、それも一般入試では城北もほとんど合格者ないからな。校長には考え直すように説得しろとか言われるし。でも辞退は本人が手続しちゃえば止められないし。でも、あの1年間は、本当にキツかった! 初めての担任だからってわけじゃないはずだ」


「……大変だったのね」


「まあね。おかげでどんな問題児が来ても、アイツに比べたらカワイイって思えるようにはなったよ。ホントにひどい奴だった……今度父の会に来たらいたぶってやる」


 そう言いながら、静かにアルバムを閉じる幹夫さん。

 ひどいひどいって言いながら、スゴイ嬉しそう。


 きっと、大変だったけど、いい思い出なのね。


「そう言えば、何で今日、土岐田が来たんだ? 今日は母親が集まって話をするって言ってなかったか?」

「……そうなんだけど。奥さん、亡くなったんですって」

「!」

「一番上のお兄ちゃん……多分、その事件の時の子よね? ……は、成人したんだけど、まだ下に小学生と未就学の子がいて、その世話もあって、なかなか時間が取れなくて、申し訳ないって。でね、それを聞いた会長さん……の奥さんが」

「難癖つけたのか? 仕方ないだろ? 家庭の事情ってものが……」

「ううん、その反対。全面的に協力しますから、出られる時で構いませんよ、って。聞いたことがないくらい、高い声で、オホホホって笑って」


 目にハートが飛んでいた。あの人のあんな朗らかな顔、見たこともない。


 まあ、それを批判するお母さん方も、皆無だったんだけど。

 今思い出しても、ちょっとドキドキする。


 奥さん亡くして、残された子供達を男手一つで育てている、なんて境遇聞いただけで、ジーンときちゃう。

 おまけに、超を付けたいくらいの、イケメンだし。


 とりあえず、土岐田さんが会議に出てくれる時は怒鳴られなくて済みそう。

 頼むから、なるべく顔だけ出してくれないかなあ。

 ……会議に行く楽しみが増えたなんて、絶対夫と息子には言わないようにしなくちゃ。


 うふふふふ……。


 心の中でこっそりほくそ笑んでしまう、幸恵さん。

 SNSの1年生グループ招待以外に、ちゃっかりメールアドレスに携帯電話番号も交換したし。


 そのくらいの役得と楽しみがなくちゃね、うふ。

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