第12話 成長と決意

「っ……!」

縁の切れる音がする。糸がちぎれるような微かな音だった。時枝の小さな悲鳴が鼓太郎の耳に届き、振り返る。


ドサッ…………


「と……時枝さん!!!!」

「時枝様っ!!」

 人が倒れる鈍い音の後に、カラン、と鋏が落ちる音が響く。鼓太郎と雪が見た時にはもう、切られた細い糸が消える寸前だった。それは消える間際に銀色に光る。

「う…そ……」


 時枝が、銀糸を切ってしまった。


 一瞬、時が止まったかのように世界が固まり、色が抜ける。よろけぬように鼓太郎は足に力を入れた。

「あれ……?」

 襲い掛かっていた悪縁はいつの間にか消えていた。無事に悪縁を断ち切った事実にすら気が付かず、時枝に体を向けたままで鼓太郎は目を揺らす。絶望がじわじわと広がり、心臓が重かった。

「早く運ばないと……あ」

 自らの足と杖を見て、また絶望する。時枝の身体を終焉の間に運ばないといけないことは冷静に思い出せたのに、それが今の自分にできないことは、現状を見るまで忘れていた。

「どうすれば……このままでは時枝さんが……」

 彼女はぐったりと横たわっている。しかしあと半日は息があるはずなのだ。されどわずか半日。今の自分の足で彼女を背負って間に合うだろうか。そう考える間、体を動かすことすらできない。

「鼓太郎様。その鋏で、こちらの糸を……切っていただけませんか?」

 絶望の中にいた鼓太郎に、声がかかる。雪が静かに、鼓太郎の目の前にある縁を指さした。それは他の縁より細く、たくさん見えるものの一つだ。鼓太郎は雪の考えを察して、真剣に彼を見る。視線が交わった。

「雪。この糸は何色をしている?」

「ぎん……銀色、です」

「この鋏でこれを切れば、君はどうなる」

「14つだけ歳をとります。ただそれだけです。早く、お願いします」

 自分よりずいぶん低い位置から真剣なまなざしを向け、雪はそう告げた。鼓太郎はごくりと喉を鳴らし、握った糸を確認する。……手が震えた。これを切れば、これまで鼓太郎が切った本数と雪の累数9本、そして彼の年齢が足され、雪は一気に22歳になる。今の8歳での生活を捨てることになる。すぐにテツの顔が浮かんだ。二人は、同じ年の友人を失うことになるのだ。絆は変わらぬとも、重ねた年齢は元に戻らないのだから。

 自分が怪我をしていなければ……このようなことにはならなかったはずなのに。

「すべてを自分の所為にするのではなく、事実を整理して、自分にできる正しいと思う行動を心がける」

 突然、雪が言う。よく聞けば、その言葉には聞き覚えがあった。

「ゆき……」

「それを積み重ねて自分を味方につければ、いずれ自分を奮い立たせてくれる」

 声はしっかりと芯を持っていた。雪は覚悟を決めているのだと、声と表情でそれが伝わった。自分より年下の子供が、自らの未知の変化を恐れずに構えている。

「これは鼓太郎様からいただいた、大切な教え。僕が奮い立つ時は、今こそです」

「!!」

 頭から大きな衝撃を受けた気分だった。自分の身体を駆け抜ける痺れが、衝撃の余韻を残している。やらなければいけない。そしてそれをできるのは、鼓太郎ただ一人だ。

 鼓太郎は頷き、薄水色の鋏をしっかりと握る。手はもう震えていなかった。

シャキンッ…

 鋏が交差し、切った銀糸が空に消える。それを目で追う途中で、目の前に大人が立っていることに気が付いた。

「ありがとうございます、鼓太郎様。時枝様をお運びしましょう」

 低くなった声。着物と髪は彼の成長に合わせて変化していた。鼓太郎よりも大人の姿になった雪は頼もしく、その美しさに圧倒された。

 綾瀬雪。その美しさは計り知れない。揺れる色素の薄い長髪が優美さを引き立てている。

 言い伝わっていた通り、いや、それ以上だ。

 雪は時枝をそっと抱き上げて、その場に落ちた鋏を鼓太郎に預けた。鼓太郎はそのあとを杖を突きながら追う。今の状態ならここから綾瀬の家に向かうのに数時間もかからないだろう。同じ速度を保って、二人は歩みを進めてく。

「…………」

「時枝様、いけません。終焉の間まではどうか安静に」

 時枝が何か言ったのだろうか。雪が何度かつぶやいていた。その声の儚さに触れる度、胸が締め付けられるような思いだった。



ーーー


 しばらくの間、雪も鼓太郎も無言でただ歩き続けた。一定の速度を崩さずに、着実と綾瀬家に近づいている。一度、綾瀬家に依頼で訪れた時に通った道をなぞり始めてからは、だいたいあとどのくらいで着けるのか鼓太郎にも見当がついてきていた。

「……!」

 突然、雪が立ち止まる。鼓太郎は少し下げがちになっていた目線をすぐに上げた。

「和合……!」

 そこには不敵な笑みを浮かべた和合那央真の姿があった。その表情と今ここに立ちはだかっているということから、彼にはこちらの状況が分かっているのかもしれない。

「どきなさい。急いでいるんです」

「素直にどいたら邪魔の意味がねぇだろぉ?」

 雪と那央真は睨み合う。時枝を抱えたまま、雪は大きく息を吐いた。鼓太郎はここが自分が足止めをと考えたが、今の自分の怪我の状態では、数秒しか役に立たないかもしれない。不甲斐なさに奥歯を噛みしめる。

「綾瀬時枝は間に合わない。この事実は変えてはならないんだ」

「何を、言っているんだ……?」

 次の瞬間、和合那央真が雪に突っ込んでくる。雪はそれをかわして距離をとった。軽やかに高く飛び、音を立てずに着地する。その身のこなしに反して、雪は険しい表情を浮かべている。

「鼓太郎様。少し無理を聞いていただけますか?」

 鼓太郎は雪を見る。何かを決意した目が、こちらに向いていた。鼓太郎はしっかりと頷く。

「時枝様をこの先の綾瀬の門までお運びいただきたいのです。……着きましたら、門につけられている緑色の鐘を鳴らしてください。それが、時枝様のことを知らせる合図になります。……ここは僕にお任せください。すぐに追います」

 雪の口ぶりから、時間を稼ぐつもりはなく、和合を完全に追い払う気であることを悟る。任せるしかないと思わせる、強い眼差しだった。

「……わかった。こちらへ」

 鼓太郎は時枝を背負い、ゆっくりと歩み始めた。後ろを振り返る余裕はない。曲がり角を曲がると雪と和合那央真の声は聞こえなくなった。

「……っ!」

 時枝の身体はだんだん軽くなる。急に年を取ったからか、それとも、命が消えて身体から抜けつつあるからか。

 綾瀬の家の門は先に見えている。あと少しなのだ。時枝に負担をかけずに早く移動しなければ。

 バキッ!!

「うわあっ……!」

 時枝が軽くなったとはいえ、二人分の体重で杖が折れる。短くなったがそれを支えにし、何とか門までたどり着いた。

 門をよく探すと、雪に言われた通り、古びた緑の鐘があった。下に垂れた黒ずむ紐を力を入れて揺らす。

 ゴーーーーン……ゴーーン……

 何かが地の底から唸るような音がした。すぐに血相を変えた着物姿の人々が駆け寄ってくる。雪の言う通り、時枝の身に起きたことを報せる鐘のようでみんなすべてを悟った顔をしていた。

 手早く鼓太郎から時枝を抱き上げて数人がかりで移動していく。

 以前訪れた時の使用人もおり、鼓太郎は自己紹介の必要もなく中に通された。

「雪は紡ぎ屋と応戦中です」

 それだけ告げればわかってもらえてようで、他は何も聞かれなかった。

 準備は整えられていった。

「こちらでお待ちください。準備はこちらで行いますので」

 儀式を行うという終焉の間は四畳ほどの蔵のような場所で、そこに敷かれた白色の布団に、時枝は横たえられた。時枝の枕元には祭壇のようなものがあり、9つの引き出しがついていた。それは3つだけ中途半端に開けられている。

「鼓太郎……いるのか」

「時枝さん……」

 弱弱しく聞こえた声に飛び跳ねたように反応する。

 皺皺になった時枝は乾いた笑いをこぼした。鼓太郎は背筋を伸ばし、顔が見えるように身を乗り出す。

「ああ……ヘマしたねぇ……。こんな時に。当主失格だ。未来を、守るべき当主が」

「そんなことないです、時枝さんはずっと、ずっと頑張ってきたじゃないですか。失敗が許されない張り詰めた環境で、何度も、正確に悪縁を断ち切ってきたじゃないですか」

「ありがとう、鼓太郎……優しい、子だ」

「雪から聞きました。塔矢さんって方が現役でいなくなって、時枝さんは苦労したって、相当努力したはずだって」

「大げさだ……当主として、できること……が、それだけだったから」

 鼓太郎は目から涙をこぼし、拳を握る。そんなこと、わかっていても成し遂げるのは難しいだろう。その苦労を考えて、さらに涙が溢れてくる。

「アンタに、雪、のことで、頼み、があるんだ……」

 雪、という名前に鼓太郎の心臓が大きく波打つ。雪は無事着くだろうか、この命の灯が消える前に、間に合うのかと焦りが募る。

「鼓太郎、ちゃんと、聞くんだ」

「はっ、はい!」

 しかし時枝の声に意識を呼び戻される。時枝は雪について頼みがあると言った。続きを鼓太郎は待つ。

「鼓太郎には、どのような雪も、……受け止められるよう、懐を大きく、っ持ってほしいんだ。心を、おおらかに、……ね」

 こくこくと鼓太郎はその言葉に頷いた。時枝は浅い息の中で言葉を続ける。

「鼓太郎らしさを、忘れてはいけないよ。ちゃあんと、南里、鼓太郎として、雪を支えてっやっておくれ……」

 言葉をかみ砕いていく。自分を見失わないで、自分をもって、雪を支える。おおらかな心で、どのような雪も受け止める。これから当主になる雪に支えが必要なのは鼓太郎も分かっていた。時枝の手を握り、彼女と目を合わせる。

「……はい。その頼み、必ず全うします」

 会話が途切れる前に終焉の間の扉が開く。数人分の足音が聞こえた。

「時枝様、雪様です」

 鼓太郎がばっと顔を上げると、汚れた着物を身にまとった雪が立っていた。無事だったかと鼓太郎は肩を撫でおろした。

 その顔は何かを悟ったように陰っている。時枝の呼吸が弱くなっていると枕元に座っていた綾瀬家の人が言い、離れていった。入れ替わりで雪が座る。

「時枝様。雪でございます」

「雪……よかった。まだ目が見えるよ……随分と、イイ男になったじゃないか……」

 そっと雪が時枝の頬に手を添えた。その手が一瞬震える。しかし表情を崩さず、雪は丁寧な口調で続けた。ただ大人になったからではなく、それは演技をするような所作で、いつもの雪ではないようだった。

「また……必ず会いましょう。あなたと同じ時を生きることを、心待ちに……しております」

「……見栄を張るな、雪。アンタは背伸びをしなくていいんだ。そのままでいいって、いつも言っているだろう」

「っ……」

 雪が息をのむ。それを見た他の綾瀬家の人は全員、終焉の間から出ていった。三人だけの時間をとってくれたらしい。

「ときえ、さま……。っぼく、は……」

「……いいのさ。雪と、っ鼓太郎なら、何とか……出来るよ」

 時枝は二人を見て笑っていた。いつもの、普段通りの時枝の姿だった。

「時枝様、……ありがとうございましたっ…あなたはっ、ずっと、大好きな僕の師匠様ですっ……。ほんとうに、……本当に……っ」

 大粒の涙が雪の目から落ちて、布団に吸い込まれていく。

 時枝はか細い息を吐きながら、笑顔で頷いた。呼吸はゆっくりとペースを落としていく。そしてそう経たないうちに、長い長い眠りへと、彼女は落ちていった。

「…………」

「っ……」

 涙が止まらない。いつか来ることだとは思って覚悟も決めていたはずなのに。その声も、表情も、もう戻らないと知って、心が苦しかった。

「失礼いたします」

「これより、準備を始めます」

「よろしくお願いします」

「……?」

 雪が涙を振り払い、周りの綾瀬家の人にお礼を言った。何が起こっているのか把握しきれていない鼓太郎に説明をしていく。

「時枝様が再び生まれ変わられるための準備です。これからそのための儀式をして、葬儀に移ります」

「そっか……何か手伝えることはないかな」

「大丈夫です。儀式の準備は等身の近い血縁者が行う決まりですので。おそらく美鈴様が中心となってご準備されていることでしょう」

 鼓太郎はやっとここで美鈴の存在を意識する。時枝が終焉の間に運ばれてから美鈴はここに来ていない。血のつながった従姉妹の死に目に会わなかったのだ。

「美鈴さんは、時枝さんを看取らなくてよかったのかな」

「……次代も近い存在として生まれるために、血縁者は最期に寄り添わず、儀式の準備を行います。別れを敢えて告げないことでつながりを保つという風習です」

「そうか……。風習とはいえ、生きている間に会えないのは寂しい、だろうね……」

「ええ。通常は慌ただしくて次期当主も会えないことが多かったようです。僕は恵まれていました。時枝様と話ができましたから」

 横たわる時枝に布がかぶせられ、それを遠目に見ながら僕らは慌ただしい音に呑まれていった。

―――

 カラン、カラン……

 何かがぶつかり合うような不思議な音がする。体を白い布で覆われた人たちが舞い、時枝の枕元で何かを唱える者がいる。生まれ変わりの儀式は想像よりもずっと神聖なものだった。

 時枝の手に握らされていた金色に桃色がのった鋏がそっと抜き取られ、祭壇の開かれた引き出しの一つに納められる。その鋏が入れられて引き出しはしっかりと閉じられた。中途半端に開かれた引き出しは残り二つとなった。

 それから儀式は滞りなく執り行われていき、やがて布を被った人々は終焉の間からいなくなった。入れ替わりで黒い着物に身を包んだ人が大勢入ってくる。その中には美鈴さんもいた。

「…………」

 これから葬儀が執り行われるのだと分かる。葬儀のための場所に移動し、それもすぐに始まっていく。

 慌ただしいままにやるべきことが淡々と過ぎていった。鼓太郎は、世話になった時枝の式の時間をこのように呆然と過ごしてよいものかと思うが、特別何かを成せるとも思えなかった。ただ経過する時間を過ごすだけにとどまってしまう。

 忘れないように、一度だけ時枝の言葉を思い出した。

”鼓太郎には、どのような雪も、……受け止められるよう、懐を大きく、っ持ってほしいんだ。心を、おおらかに、……ね”

”鼓太郎らしさを、忘れてはいけないよ。ちゃあんと、南里、鼓太郎として、雪を支えてっやっておくれ……”

 胸に手を当てた。……大丈夫。自分には出来ることだと言い聞かせる。当主となる雪には多くの壁があるだろう。それをどう扱うかの選択を、一緒に考えて協力しようと改めて思った。

 考えている間に葬儀も終わる。終わりと共にみんな慌ただしく会場から捌けていった。葬儀の後は飲み明かすものと思っていたが、何をするのだろうかと鼓太郎は辺りを見渡した。

「雪。この後はどうするんだ?」

「新当主の就任式に移行します。次の当主を立てて綾瀬が途切れないようにしなければなりませんので」

「そうなのか……その、雪が新当主になるんだよな?」

「はい。就任式はそこまで長くはかかりませんので、この場でお待ちください。僕は着替えがありますので、席を外しますね」

「わかった」

 雪がいなくなり、鼓太郎は今の今まで葬儀が行われていた蔵に目をやる。まだ時枝の身体がその場にあると考えると、目を向けずにはいられなかった。その場に残った綾瀬家の人たちも鼓太郎と同じように蔵を見ていた。

「……――」

 すると、遠くから歓声が聞こえた。鼓太郎は驚いてそちらに目をやる。そこには綺麗な着物に身を包んだ雪の姿があった。先ほどまで汚れた着物だったのもあるが、対比なしでもその綺麗さに圧倒された。

 就任式は宣言などなくすでに始まっていたようで、神社の祠のような祭壇の前に、白い着物を着た人が数名立っていた。彼らの手には杯や札などが握られている。

「雪様か……」

「雪様……大人の姿になられて……」

「本当に美しいな……」

 ざわざわとした声には目もくれずに雪は祭壇の前で両膝をついた。美しい所作で下げられた頭に冠のようなものがかぶせられる。

「皆様。新当主となりました。綾瀬雪でございます。綾瀬の継続をここに、お約束いたします」

 簡単なあいさつの後に綾瀬家の人々から歓声が上がった。拍手の中、就任式はお開きとなる。

「ただいま戻りました」

「おかえりなさい。すごく立派だったよ」

「ありがとうございます」

 雪は先ほどの就任式で身にまとっていた着物のまま、こちらに近づいてきた。聞けば就任後しばらくはこの着物ですごくしきたりらしい。

 綾瀬家では多くの風習やしきたりが受け継がれており、それを多くの人間が守り続けてきた事実に、鼓太郎は感心した。

「では、時枝様にご挨拶してから僕らは帰りましょうか。綾瀬でするべきことは済みましたし」

「えっ……でも、家族とかはいいのかい? 就任後に会っておかなくても」

「……ええ。僕の家は大丈夫です。ただ、一度だけ――」

 突然その場に影が差す。見上げると共に聞き覚えのある声がした。

「間に合ってしまったか……。まあいい。雪、来るんだ」

「わ、和合っ……!?」

「そんな、この場所は部外者が見つけることなど……!」

 雪が目を見開く。彼の言葉の通りなら、和合がここに来られるはずはなかったということだ。ならば何故?

「ごちゃごちゃ言うなっ」

「何を…うわっ!!!!」

「雪っ!!!」

「鼓太郎様!!」

 雪は巨大な縁に体を縛られ、そのまま一気に引き抜かれてしまった。鼓太郎と雪はお互いに手を伸ばすが、僅かに届かない。

 雪は縁に縛られたまま、和合那央真と共に空中で跡形もなく消えた。一瞬、何が起こったのかわからずその場が硬直する。その後すぐに悲鳴が上がる。

「どうしましょう、どうしましょう」

「せっかく雪様が立派になられて、あ、新たな当主となられたのに」

「綾瀬はどうなってしまうのか!!」

 バタバタと大勢の大人が騒いでいる。その騒めきに影響され、鼓太郎の焦りも募る。雪を取られたという事実。そしてこの状況をどうするかが交互に頭を支配し、心臓が大きく鳴る。絶望に染まった顔が視界の端から端に並んでいた。

「……っ」

 ここで言うのか。自分が晴一郎の魂を持つことを。縁を切ることができることを。そうすれば綾瀬の人々を落ち着かせることはできるかもしれない。でもそれは、雪の存在を軽く見させることにならないだろうか?

「もう終わりだ……。我々はもう……」

 混乱を収めなければ、ここで大人が騒ぎ続けるだけだ。この混乱を沈められるのは、自分しかいない。自らの魂が、ここにいる人々の支えになるならと鼓太郎は覚悟を決める。

「皆様。どうか今だけ、この私の話を聞いてください」

 鼓太郎は懐から、壊れた鋏の片割れをゆっくりと取り出した。


続く

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