第二十七話 熱っぽい吐息③


「今思いついたんだけど……体、汗でビチョビチョだから拭いて欲しい、な?」


 熱っぽい吐息交じりに呟かれたその言葉が、俺の額に流れる汗を加速させる。


 ゴクリ、と無意識のうちに唾を飲みこんでいて、それほどに自分が緊張しているのだと分かった。


「そ、それは……言葉通り、か?」


「うん、そうだよ」


 俺は確かに早坂に「なんでも言ってくれ」と言った。


 おまけに早坂のお願いは、実に正当なもの。見た感じかなり汗をかいていそうで、今すぐにでも拭った方がいいだろう。


 このままにしたら、風邪が悪化する可能性だってある。


 ってことは、俺は早坂の体を……。


「(……っ!!!)」


 雪のように真っ白で、柔らかな肌を想像しただけで、脳へのダメージがすごい。


 ……だけど、これはやらなければならないこと。


 俺の羞恥心など差し置いて、今は早坂の体調がよくなることを、優先しなければならないのだ。


 もう一度唾を飲みこむと、拳にグッと力を込めて、俺は――


「わか」



「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」



「「……え」」


 扉が勢いよく開かれると同時に、響き渡るのは赤髪美少女を彷彿させる通りのいい声。


 まさか、と思うが、そのまさかであり。


 これまたなんともまぁベタなタイミングに……と、ため息をつかざる負えない。


「これ以上はダメよ!!」


「……み、美乃梨」


「ったく、風邪とは言え、それを利用するなんて……今度私もやろうかしら(ボソッ)」


「いややるなよ!」


「な、なんで聞こえてるのよ!」


「普通聞こえるんだよ!」


 ヒロインのご都合展開に行かせてたまるか。


 というか、聞こえなくても何となく雰囲気で察することができる。


「ちぇっ、透は都合のいいように動かないわね……はあ」


「俺がため息つきてぇよこの野郎……」


 ガミガミと争いの火花を散らせているのを横目に、早坂がぼそりと呟いた。


「……失敗、かぁ」


 かなり体調が悪そうなのに、早坂はどこかいつも通りの光景に元気が湧いたのか、小悪魔的な笑みをかすかに浮かべる。


「……はぁ、もう埒が明かないな」


「ふんっ」


「ここは一時休戦ってことで、早坂の看病を優先するってことでどうだ?」


「それでいいわ」


 不服そうだが、しっかりと状況を理解して判断を下している分、まぁそこまで激しい言い争いではなかったという事。


 何ならじゃれ合いなまである。


「じゃあ広瀬は早坂の体、拭いてやってくれ」


「わかったわ。……ちなみに、覗くのはダメよ?」


「覗かねーよ! 俺はその間にお粥作ってるから」


「そう、わかったわ」


 方針を決めたところで、各々動き出す。


「ちょっと待っててくれよ、早坂」


「う、うん。ありがとね、二人とも」


「気にするな」


「気にすることないわ」


「うん、わかった」


 なんだかんだで俺たちは、チームワークがいい。


 時たま修羅場に発展することもあるのだが、まぁそれを含めてもここまで同棲出来てるあたり、それを証明している。


 心なしか表情がよくなった早坂を一瞥して、広瀬と部屋を出る。


 パタン、と扉が閉まる音がして、すぐにシンと静まり返る。


「なぁ、広瀬」


「何よ」


 さっきから薄々思っていたこと。


 俺は早坂が体調不良で、かなりマズい状況にあると知ったのは、広瀬と一緒にいるときで。


 広瀬のことだから、俺が何をしに早退するのかもわかっていただろう。


 加えて、あの絶妙なタイミング。まるで扉の前で待機してたと言わんばかりの間合いだった。


 そんな決定的な証拠の二つをもってして、導き出された答えはー―


「お前、結構前から早坂の部屋の前にいただろ」


 何気なくそう言うと、広瀬がなんともないような様子で、


「そうよ」


「なんでだ? 帰ってきたタイミングで部屋に入ってくればよかったじゃねぇか」


「…………」


 広瀬が俺をじっと見る。


 どこか俺の心を見透かすような視線が長いこと注がれ、やがて観念したようにはぁと息を吐いた。


「……どうせわかってるくせに」


「まぁな。一応幼馴染、だしな」


「なによ、それ」


 ふふっと笑って、広瀬はそそくさと洗面台に向かった。


 広瀬は、かなりいい奴だ。それは昔も今も変わらない。


 だから、早坂に気を遣って部屋の前に居たなんて、幼馴染の俺にはバレバレなのだ。


「……ほんと、いい奴だよなぁ」


 キッチンに置かれたスポドリと栄養ゼリーの山を見て、俺はしみじみ思うのだった。

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