「いこいのひろば」の主

「はい、青短あおたんと月見て一杯。7点以上だから2倍で30点ね!」

「ちい子ちゃんは本当に強いねえ~、もうチョコレートなくなっちゃうて」

「じゃあまた買ってくりゃいいじゃない、いくらでも付き合うよ!」


 ちい子は朝から商店街の「いこいのひろば」にいた

 いこいのひろばなんて言ってるけど、実際のところは行政が雁木がんぎ通り商店街の空きテナントを安く借り上げて机とイスとストーブを置いただけのがらんとした部屋で、かろうじて老人ホームのお世話にならなくていいレベルの老人が集っている。


 そこの主が、ちい子だ。

 ちい子は奈良美智ならよしともの描く女の子を地黒にしたような風貌をしている。一般的に越後美人というのは丸顔、色白、大きな黒目というのが三原則だが、気の毒なことにちい子はそのどれにも該当しない。輪郭はたまごのようだし、肌は陸上部に入る前から地黒だし、目自体は決して小さいこともないが少し三白眼気味である。それでいて眉はしっかり切れ込んでいるから、負けん気の強さが顔からにじみ出ている。


 ちい子はプラ紙でリボンのように包まれたチョコレートを6個もらうと、もうすでに20個近いチョコですっかり重くなったビニール袋の中に放り込んだ。

「最近ばあちゃんボケてきたんじゃないの⁉私がサカズキ持っててしたんだから、あそこでボン(月)振り込んじゃだめでしょー」

 ちい子の相手のおばあちゃんは、顔に刻まれたシワを濃くして

「いやあもうこの歳だとそんげこと分からなくなっちゃってよ、ちい子ちゃんに楽しませてもらってるだけで、おらあ満足なんらて」

「なに言ってるのよ!いくつになっても勝負は勝負!勝ちを目指さなくてどうすんのよ!はい、次行くわよ!次!」

 ちい子は次のゲームに向けて札をわしゃわしゃとかき混ぜ始めた。


 その時、勢いよくひろばのガラス戸が開いて、キュッキュッとゴム長靴の音を響かせながらスラッとしたポニーテールが飛び込んできた。

「あおい!またいこいのひろばを賭博場にして!」

「ゆき姉!」


佐伯さいきのばあちゃんほんとすみません!またうちの妹がばあちゃん身ぐるみ剥がして」

「いやあ、おかげさまでもうすかんぴんだて、チョコレートもう一回買ってこんきゃなんねえわ。ひゃっひゃっひゃ」

「あおい!」

「ゆき姉!もうお金は賭けてないから!いまはホラ、チョコレートだから」

 そう言うとちい子は、ビニール袋に入れたチョコレートをぬっと雪乃に突き出した

「そんなこと言って、後でチョコ1個10円とかで精算するんじゃないの?」

 雪乃は少し背伸びをして、かなり上からじっとちい子を見つめた。


 雪乃はちい子の歳が離れた姉だ。地元の高校を卒業して市役所に就職し、現在5年目。地域戦略課という、地域活性化と広報がくっついたような市長の思いつきで作られた課に配属されている。顔立ちはちい子とは正反対で、件の越後美人の三原則をすべて兼ね備えた美人だ。丸顔で、肌は血管が浮くように白く、瞳は琥珀こはくのように深い。


「はい、みなさーん!聞いてください!」

 そんな雪乃が急に手を叩いて叫んだ。

「市内で一人目のコロナ患者が出たのはご存知だと思います!そのため、本日を持っていこいのひろばは当面閉鎖します!」

 雪乃がそう言うと、ばあちゃんたちは詰め寄る様子もなくすごすごと退散の準備を始めた。義理の嫁による冷たい目から日中だけでも逃れたいという一心で逃げてきた人たちだ。内心では、明日から一体全体どこに行けばいいのだという諦念感が空間を支配する。


 そんななか、一人だけ詰め寄ったのが、ちい子だった。

「そんなこと言ったらこのばあちゃんたち明日からどこに行けばいいのさ!」

 ばあちゃんたちが一瞬ビクつく

「佐伯のばあちゃんだって、私と花札したいでしょ!ね?」

 すると、佐伯のばあちゃんはにっこり笑って

「なあにコロナなんてすぐに出ていくさね。またここが開いたら、ちい子ちゃんに取られた分、しっかり取り返しに来るすけね」

 と言って、手押し車を押しながら「いこいのひろば」を出ていってしまった。


「ねえ、ゆき姉!なんとかしてよ!」

 ちい子は、それでもなお雪乃に詰め寄り続けた。

 しかし、雪乃はため息混じりにちい子に言うしかなかった。

「そんなこと言っても、これは市の方針で決まったことなのよ……」




 雪乃が「いこいのひろば」のシャッターを下ろして


「新型コロナウイルス感染症の拡大のため当面閉鎖します  十日町市」


 というビラを貼るのをちい子は喪失感とともに見つめていた。

「ちい子ももう帰りなさい。いっくんにもチョコあげるんだよ、そんなに食べたらちい子ニキビできちゃうから」

「……はあい」

 そう言うと、ちい子はチョコレートの入ったビニール袋をジャンパーの左ポケットに詰めながら肩を落としてホンチョウ通りの暗いアーケードを北へと歩き出した。

 道路のセンターラインに沿って埋められた消雪パイプからは鉄を含んだ地下水が盛んに撒かれ、国道を赤茶色に染めていた。町には鼻の奥をツンとさせる雪の匂いが霧のように漂い、電波塔の頂上が隠れるほど低く垂れ込めたにび色の雲の中では、今か今かと雪の結晶たちが舞い降りるカウントダウンを始めていた。

 

 ホンチョウ通りを左に折れ、ちい子が雁木通りに差し掛かったころ、もうすでに雪は本降りになっていた。ふと覗きこんだ通り沿いの時計屋さんにも美容室にも人の影は見えなかった。美容室のぴかぴかに磨かれたガラス戸には、ちい子自身と降り積もる雪だけが映っていた。


 ちい子はやるせない気持ちでいっぱいだった。どうして自分がばあちゃんたちの居場所を守ってあげられなかったのか。「いこいのひろば」が開設されて2年ばかり、ちい子は暇さえあれば、ばあちゃんたちのもとへ足繁く通っていた。できた当初こそ、小学生たちもカードゲームやおしゃべりの場として活用していたけど、だんだん個人の家や駅前のスーパーのフードコートに行くようになってしまって、残ったのは家に居場所がない老人たちだけだった。

 でも、ちい子だけは違った。ちい子も中学へ上がった頃から、ほかの場所へ行こうと友達から誘われていたけど、一度顔なじみになってしまったばあちゃんたちに可愛がられることのほうが魅力的だった。お菓子はたんまりもらえるし、一緒に花札をするだけで喜んでもらえるし、なにより自分を甘やかしてくれる場所をちい子はずっと求めていた。

 そんな理想郷を、コロナのやつが奪っていってしまった。


 ちい子は悔し涙を押し殺しながら、雁木通りを駆け下りていった。


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