今日も私は、ばあちゃんに
逆めがね
ばあちゃん
ビリッ、と蓋を開ける音。
ピー、とやかんが鳴いている。
やかんがその音を奏で始めたら、おばあちゃんは急いで台所へ向かう。やかんのお湯がカップの中へと流れる瞬間の心地よい音色が私は好きだった。
「ななちゃん、お腹空いたかい?」
これが、ばあちゃんの口癖。10時や3時のおやつのかわりに、ばあちゃんはカップラーメンを作ってくれた。
「今日は、赤がいい? 緑がいい?」
「うーん……あか!」
そこから始まるばあちゃんの行動ひとつひとつが憧れで、私はずっとばあちゃんを観察していた。
「ばあちゃん、あたし、なにか、てつだうよ」
そう言って、ばあちゃんの立つ台所にトコトコと向かう。近くにあったやかんに、背伸びをしながら手を伸ばした。ばあちゃんがいつもやっていること、私にも出来るかもしれない。そう思った。
「ななちゃん、ダメ!!」
ばあちゃんは私の手首を掴み、そのまま私を抱きかかえて台所を出た。そして、私を畳に座らせ、こたつに入らせる。いつもと同じ。ばあちゃんは毎回、私の行動を遮った。赤いきつねの蓋を開けようとした瞬間も、ピーという音がしたので台所に走りだす瞬間も、今回だって……。
「う、うぅ、うぇ~ん」
先日やっと4歳の誕生日を迎えた私は、毎回思い通りにならない悔しさと、ばあちゃんが私の気持ちを分かってくれない悲しさが交じり合い、泣いてしまった。
「ななちゃん……ごめんねぇ、意地悪したわけじゃないんだよぉ」
腰の曲がったばあちゃんは、いつもよりもっと背を縮ませ、ポケットからハンカチを出し、私の永遠にあふれ出る涙を必死に拭いた。
「ななちゃん、ばあちゃんを助けようとして来てくれたんだよねぇ、ありがとねぇ」
それでも私の涙は止まらなかった。
「じゃあ、ななちゃん。ちょっとだけ、手伝ってくれるかい?」
その言葉に、さっきまで止まらずに流れていた涙が嘘のように一瞬にして止まった。そんなこと言われたのは初めてだったからだ。私は、不思議に思いながらばあちゃんの目を見つめた。
私の初めての仕事は、「5分を計る係」だった。想像していた仕事とは違う仕事を任されたが、仕事が出来るだけで嬉しかった。
「あの長い針が、3のところになったら、ばあちゃんに教えてねぇ」
「うん!」
私はじっと、時計の目の前に座り、時計を見上げながら長い針が3のところまで来るのを静かに待っていた。
「ばあちゃーん! ばあちゃーん! ばあちゃーん!」
長い針が3のところまできたので、精一杯、ばあちゃんを呼んだ。
ばあちゃんが来て、「時間ぴったりだぁ、ありがとねぇ」と言いながら、私の頭を優しく撫でてくれた。指の曲がったばあちゃんの手が、小さな私の頭をぎこちなく撫でるあの感触、いまでも鮮明に覚えている。
私が初めて手伝って作ったきつねが一番おいしかった、とばあちゃんはよく言った。私も、あの時の味は忘れられない。同じ味のはずなのに、魔法がかけられたように違う味になる。
それから私は、毎回ばあちゃんから仕事をもらった。成長するにつれて、やれることがだんだん増えていった。ばあちゃんと一緒に作るのが楽しくて、今までは、ばあちゃんから誘ってきてくれていたが、あれからは私から「ばあちゃん、食べよう」と言っている。それは、私とばあちゃんがだけが分かる、秘密の合図となった。それを聞くと、ばあちゃんは「いいよぉ」と言って優しい皺くちゃな笑顔を私に見せた。そして、「今日は、赤がいい? 緑がいい?」とばあちゃんは私に聞き、私は絶対「赤」と答える。ばあちゃんは緑が好きなはずなのに、私が赤と答えると、必ずばあちゃんも赤にした。
「ばあちゃん、食べよう」
私が、初めて自転車に乗れた日も。
「ばあちゃん、食べよう」
ばあちゃんの84歳の誕生日という日も。
「ばあちゃん、食べよう」
鉄棒から落っこちて、膝が血まみれになった日も。
私は、正座をした。
「ばあちゃん、食べよう」
──そして、今。
私はカンカン、と鐘を鳴らし、ばあちゃんが大好きな緑のたぬきと、私が大好きな赤いきつねを仏壇の前に置く。仏壇に飾ってあるばあちゃんの写真を見ながら今日もその言葉を言う。
あのばあちゃんとの思い出は、私の大切な思い出。絶対に忘れやしない。
「ばあちゃん、今日は新しい子を紹介するね」
私は抱きかかえながら、懐かしいばあちゃんが映る写真に向かって生まれたばかりの子どもを見せた。
「この子が大きくなったら、私とこの子とばあちゃんの三人で、一緒に食べようよ」
仏壇の向こうからは今日も、「いいよぉ」と聞こえてきそうだ。
今日も私は、ばあちゃんに 逆めがね @sakasa-megane
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