自我の確立

「まあ結論から言うとさ、私とそのシェリルとかいう女とそこのエクスキューショナーは、ブロブと融合したのよ。それによって命を長らえた。

 で、ブロブが動物と融合するのは、捕食という意味ももちろんあるけど、実は融合した動物の情報を保存すること。それこそ遺伝情報だけじゃなく、そのすべてをね」

 シェリル、バレト、ネドル、フィを前に、マリーベルは、言葉遣いこそフランクではあるが、その実、まるで王が臣民に下知を与えるかのようにいささか尊大な態度で語ってみせた。

「すべて…? すべてとはどういう意味だ……?」

 バレトが問う。

「すべてと言ったらすべてよ。記憶も、人格も、すべて。すべてがブロブを構成する物質に置き換わって、ブロブと一体化するの。その際に元の物質はエネルギーに変換されて、ブロブの生命活動に利用される。

 って、ことらしい。学者の言うことにはね。

 だから、ブロブに食われた人間は死なない。死んでない。ブロブと一体化して、ブロブの中で生きてんの」

 身振り手振りを交えてやや芝居がかっているようにも見えるマリーベルの言葉に、今度はネドルが声を発した。

「馬鹿な!? そんなこと信じられるか!?」

 シェリルの兄を含む戦友を何人もブロブに殺され、その際のPTSDが原因で軍を退役した彼にとっては、当然、承服できない話だっただろう。しかしマリーベルはとりあうことさえない。

「あんたらが信じようと信じまいとこれは事実。現に、今、そのシェリルって女も実感してるけど? その女が感じてるものが私にも伝わってくる。

 でもあんた、もうちょっと自分の『殻』ってものを意識しないと考えてることがダダ洩れよ? お兄ちゃんのことがそんなに好きなのは結構だけど、あんまり生々しいこと暴露してんじゃないって」

「…な! あ……!?」

 そのマリーベルの指摘があまりにも図星過ぎて、シェリルは言葉を失っていた。というのも、自分の頭の中に話し掛ける<兄>が本物かどうかを確かめるべく、兄しか知らない筈のことを問い掛けていたのだ。

『私がいつまでおねしょしてたか、本物のお兄ちゃんなら知ってる筈よね!?』とか。

 しかしそれにも、『十四歳までだな。ちなみにおねしょ対策に俺がずっと紙おむつを買ってきてやってたぞ』と、紛うことなき完璧な返答をされてしまってもいた。それがマリーベル側に筒抜けだったのである。

 それはつまり、ブロブの中にいる人間達でこのやり取りを聞いている者達全員にも明らかにされてしまったということでもあったのだった。


 ブロブの中にいた人間達も、このところのマリーベルやシルフィの働きかけにより、人間としての自我を取り戻しつつあった。そこに来てシェリルも同じになったことで、彼女の兄もはっきりと自我を確立させることができた。

 イレーナの例でも分かる通り、自ら強く意識しないと、マリーベルがやったように外部からの働きかけがないかぎり自我を明確に保つことができず、自他の境界が曖昧なままブロブそのものの意識の中で漂うことになるのである。

 それが、イレーナ、シルフィの両親、ウォレド夫妻と次々と実体化を果たすなどにより、急速にその影響が広まっていたのだった。

 さすがに自力で実体化までは容易ではないが、互いに自他の境界線(マリーベルの言うところの<殻>)を確立し、個々の人間として思考できるようになる者が続出した。

 こうなるともう、ブロブの中にもう一つの人間社会が出来上がっていくのと同じだろう。それぞれ近しい者同士がグループを作るまでさほど時間は要しなかった。

 中には自分がブロブと同化してしまった事実を受け入れられない者もいたが、そういう者は自我の確立にも時間を要するようで、むしろ好都合だっただろう。

 シルフィの両親が運営する動物保護施設を暴徒化して襲撃した者達も、ブロブに殺されたと思っていた家族と再会し、ある者は謝罪に訪れ、ある者は合わせる顔がないと遠ざかったりもした。

 さすがに二千人以上もいればどうしてもいろいろある。

 しかしそれはまた今後ゆっくりと考えていくべき問題だ。今はそれより、人間とブロブの諍いを終わらせる方が先である。

「そんな……じゃあ私、今までお兄ちゃんを攻撃してたの…?」

 そう言ったシェリルの前に、<透明な兄>が姿を現していた。すっかり要領を掴んだマリーベルが手を貸して、シェリルが兄を意識しているのを通じて実体化させたのだった。

「いいんだ。お前は知らなかったんだから気にするな」

 透明な兄にそう言われて、シェリルは両手で顔を覆って泣き出した。

「クレイド…」

 泣き崩れた妹の頭を優しく撫でるその姿を見たバレトが呟く。シェリルの兄、クレイド・マックバリエトの名であった。

「中尉……お久しぶりです。こんな姿で申し訳ありません。まだ上手くできないもので」

 全裸で透明な姿のままで敬礼をするクレイドに、さすがのバレトも戸惑うしかできなかった。ネドルも、

「クレイド!? お前ホントにクレイドなのか!?」

 と、半ば混乱したように問い掛ける。

「ああ、俺だよ。ポーカーのツケを返してもらってないのも忘れてないぞ」

 ニヤリと口元を釣り上げながらそう言った透明なクレイドに、ハッとなる。それは、自分とクレイドと、あの日死亡した仲間達しか知らないことの筈であった。


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