スイッチ
『こいつにあのことを話すと、試したいとか言い出しそうだな……』
シルフィのところから自分の洞窟に戻り、マリアン及びベルカと顔を合わせたマリーベルは、そんなことを考えていた。シルフィがやったという、虫歯一本を引き替えにしてブロブと交信できるようにしたというあれのことである。
マリアンがそのことを知れば、それこそ『試したい!』と言うのが容易に想像できる。実際、マリーベル自身がかつてブロブに食われそうになったことで交信できるようになったのを話すと、
「それは、興味深いわね……私でもできるかしら……」
などと呟いたことさえあった。さすがにその時は思いとどまったようだが、歯の一本で可能だとなれば、それこそ『是非に!』と言うだろう。
しかし、シルフィは確かにそれで上手くいったものの、必ずしも成功するとは限らない。そもそも、シルフィの場合でも相手がプリンであり、プリンの中にいる彼女の両親のサポートがあればこそのものだということも考えられる。安易に試していいことだとも思えない。
という訳で、その件についてはしばらく秘匿しておこうということになった。
さりとて、今はマリアンの協力も欲しい。なのでマリーベルは慎重に言葉を選びながら話を進めた。
まずは、生物学者の立場としてブロブの保護を訴えていくという形だったが、それでは恐らく今の段階では即効性に欠け、今回の計画には間に合わないだろう。ブロブの保護という考え方は、それだけマイノリティなのだ。
「ブロブを利用してる業界にとってはブロブをすべて駆除されてしまうと大損害にもなりかねないけど、徐々に自前でブロブの更新に成功し始めているところもあるし、厳重に管理された範囲内での利用ということに落ち着きそうなのよね。ブロブを自然のままに保護するという流れにはちょっとね」
マリアンが言ったそれも事実であった。自然環境の中であればブロブは容易に分裂して自らを更新し、あるいは数を増やすのだが、何故かカプセルに封じ込めた状態で飼育すると分裂せずにそのまま寿命を迎えてしまうのだ。それについてマリーベルは、
「ああ、それ、たぶん、ブロブにとって快適すぎる環境だから、自分を更新して生き延びなきゃっていうスイッチが入らないんじゃないかな」
と答えた。何度もヌラッカが自分を更新するところを見てきたが故の印象である。
「ブロブが分裂するのって、<危機感>がスイッチになってるみたいなんだよね。自分の寿命が近いというのもそのスイッチの一つみたいだけど、危機的な状況になるとそのスイッチが入る感じかな。でも、狭いところに閉じ込められて栄養を与え続けられるとその環境が快適過ぎてスイッチが入らない感じかもしれない。イレーナもそう言ってる」
「イレーナ…!? そうだよ、分裂しないっていうのならイレーナはどうなる!?」
イレーナの名前が出た瞬間、ベルカが険しい顔で問い詰めてきた。もし更新されずに寿命を迎えてしまうなら、研究施設に捕らえられているというイレーナと融合したブロブが更新せずに死んでしまったらイレーナはどうなるのか?
しかしその心配に対してマリーベルは冷静だった。
「あ~、それは大丈夫だよ。この前、イレーナを呼び出しただろ? あれ、研究施設の中のイレーナをここに連れてきたんじゃないんだ。イレーナとヌラッカを同期させたんだよ。だからもう、ヌラッカの中にもイレーナがいる。
それに、死ぬ時には自分の中の情報を全部吐き出すんだ。更新した個体が近くにいればそいつが受け取るけど、いなければ全体に流される。だから失われない」
マリーベルの説明に、ベルカはどこかまだ半信半疑という感じで、
「それ、ホントなのか?」
とも問い掛けた。
「それは大丈夫。ヌラッカの更新の時に確認したから。私もそれは気になってたんだよ。ブロブが死ぬと情報はどうなるのかって。で、二代目のヌラッカが死んだ時に情報が三代目に引き継がれるのを確認した。
んで、その上で、腕とかがこうなってより確実に交信できるようになってから、ブロブ自身の記憶を見たんだ。更新前に人間とかに殺されたすべてのブロブの記憶もしっかり残ってたよ。人間に殺される時の記憶がね」
ベルカの目を睨み返す感じで、マリーベルは答えた。それに、ベルカがギョッとしたような顔になる。イレーナの仇をとる為に村に行った際、大量発生したブロブを自分でも覚えてないくらい何匹も殺した時のことが頭をよぎってしまったのだ。その時のことを言われたのだと思った。
言葉に詰まったベルカに対し、マリーベルは「ふん」と鼻を鳴らし視線を逸らした。
「今になってそんな顔するぐらいなら殺すなよ。まあ、殺される覚悟くらいはしてたかもしれないけど、さすがに自分が殺した奴の記憶がまるまる残るとかは、人間には想像もできないだろうけどね」
確かに、マリーベルの言う通りだった。
よく、『殺していいのは殺される覚悟のある奴だけだ』みたいなことが言われるが、それさえ、自分が殺した相手の記憶も何もかもが他の誰かに受け継がれるなど、人間は想定しない。
自分がその相手を殺した瞬間のことまでも、誰かがそのまま覚えているなどということなど。
マリーベルがベルカを睨み付けてたその時、ヌラッカが突然、触手を伸ばした。それは洞窟の入り口からも出て、空中にいる何かを捕らえた。
「!? 潰せ! ヌラッカ!!」
ヌラッカがそれを捕らえた瞬間、彼女の感覚を通じて何であるのかを悟ったマリーベルが声を上げる。しかし、声を上げた時には既にヌラッカは捕らえたものを握り潰していた。声を出す前にマリーベルの意図は彼女に伝わったのである。
「何…!?」
マリーベルのいきなりの振舞いにベルカが戸惑う。その一方でマリアンは何かを察したような顔をしていた。
引き戻されたヌラッカの触手が掴んでいたもの。それは、少し大きめの虫ほどのサイズの小さな機械の破片だった。
「ドローンね。もしかしてここがバレた?」
「ああ、たぶん……」
マリアンが問い掛けると、マリーベルは渋い顔をして応えた。
マリアンが察したのは、自分も生き物の調査でよくこのタイプのドローンを使うからだ。ヌラッカが触手を伸ばした瞬間、そちらに意識が向いた際にドローンのローターの音に気付いたのである。
「ごめん、私達がつけられたのかな?」
しかしそれにはマリーベルは頭を横に振った。
「いや、それなら帰ってきた時に私かヌラッカが気付いてる。たぶん、私がつけられたんだ。空を飛んでるところを見られたのかもしれない……」
いずれこういうこともあるだろうと思っていたからそれは別に問題ではなかった。ただ、このタイミングというのはやはりいただけない。
不安そうに、少し離れたところで、三人が話し合っている様子を見守っていたイリオに、マリーベルは何かを決心したように視線を向けて言葉を発した。
「イリオ、お前はマリアン達と一緒にここを離れろ」
「…え?」
突然の話にイリオは困惑していた。無理もない。今さっきまでそんな話などまったく出ていなかったのだから。
だが、マリーベルの方は以前から考えていたことだった。マリアン達と知り合ったことで、考える余地ができてしまったと言うべきか。
自分と違ってイリオは本当にただの人間だ。ブロブと交信できるようになったシルフィとも違う。そんな彼をいつまでも自分の傍に置いておくのは無理だと感じ始めていたのだった。
以前はそれこそ、ロクでもない人間を見捨てて自由気ままに生きればいいと思っていた。けれど、今回、人間がブロブを一斉に駆除するとなれば、自分の傍にいることでイリオにも危険が及ぶかもしれない。
それに、自分はいざとなればブロブの盾になるつもりだ。が、純粋な人間であるイリオにまでそれをさせようとは思っていなかったのだった。
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