ウィスパー

「じゃあ、私は一旦帰りますけど、あと二週間で夏季休講に入ります。そしたらまた来ます!」

 そう言ってシェリル・マックバリエトは宇宙港行きのバスに乗って去ってしまった。しかし、本人が言った通り、すぐに戻ってくるつもりだろう。フィはそれを思うと頭を抱えそうになっていた。いっそ、行方を眩ましてしまおうか。

 そんなことも考えたが、シェリルの性格からするとそんなことをしたらそれこそ探し出すまで諦めないだろう。それから逃げ回ることを考えると余計に面倒だ。

 それに、どうやらブロブハンターギルドが駆除業者と協力して、ブロブの一斉駆除に乗り出すらしい。これを利用しない手はない。人間もようやくブロブとの共生などという戯言を諦めたのかとも思った。

 奴らは敵だ。人間にとっては理解不能で和解など不可能な怨敵だ。両親を殺し自分のこんな姿にした奴らと共生など、それこそ天地がひっくり返ろうともありえない。

 だから今度のギルドの判断は至極当然のことだ。

『<これ>は私のものだ……! 誰にもやらない…!』

 自分が放ったグレネードからブロブを庇って右手と左目を失い、瀕死の重傷を負いながらも燃えるような目で睨み付けながら立ちはだかった少女の姿が頭をよぎる。しかしあんなのはただの狂人だ。頭がおかしいだけなのだ。今度会えば次は容赦はしない。次も邪魔をするならば、それこそ、ブロブもろとも始末してやる。

 と、自分に言い聞かせた。小難しいことは考えないようにして、ただブロブへの憎しみを滾らせる。

 そうしなければ、そうでなければ、これまで自分がやってきたことがすべて無駄になってしまうとフィは思っていた。

 その為なら、シェリルとかいうあの女も利用してやると。




 一方、マリーベルの方は、今回の事態について直接警告しておこうと、シルフィの元を訪れていた。

「そんな…」

 人間達がブロブの一斉駆除に乗り出すという話を聞き、彼女の顔が曇る。そんなシルフィを、プリンとシフォンが支えるように寄り添う。

「だから取り敢えず、私らも連携しないと対処しきれないと思うんだ。あと、いざとなったら私達が盾になる覚悟も持たなきゃいけないと思う。さすがに奴らだって人間相手にはグレネードを向けたりしないだろ」

 とマリーベルは言うが、暴徒に両親を殺されたシルフィはその考えには賛同しきれなかった。人間はヒステリーを起こすと、特に集団でそういう状態になると自制が働かなくなる生き物だという実感が彼女にはあったからだ。


 シルフィと顔を合わして今後のことを確認できたマリーベルは、また翼竜の姿になったヌラッカの中に収まって空を飛んでいた。

 その時、何かが頭をよぎる。

「…またか……! 煩いんだよ、お前…!」

 誰にともいう訳でもなくつい悪態が口を吐いて出てくる。頭の中に何者かが話し掛けてくるような気がするのだ。

 いや、実際に話し掛けてきているのだろう。何しろ<そいつ>は、ブロブの中にいるのだから。

 しかし、明らかに<人間>ではなかった。何故かそれだけは分かる。人間の言葉を話していないし、そもそも思考パターンが人間のそれではなかった。だが、間違いなく何らかの知性を持った生命体であることも確実だと思えた。

 実は以前から微かにそういうものは感じていた。しかし実際には殆ど思考のノイズのようなものでしかなく、ただの雑念だと思っていた。だが、右腕と左目を失い、ヌラッカによって補ってもらって以降、それが何者かが語り掛けているものだということが徐々に分かってきた。

 とは言え、無視しようと思えばできなくもないし、そもそも何を言ってるのかが理解できない。だからマリーベルは無視を決め込んでいたのだった。

 ただ同時に、それによって確信めいたことが得られたのもある。ブロブとの融合によって人間との共感性が失われる原因の一つが<そいつ>であると。

 最初は人間とは根源的に異なる生態や性質を持つブロブと融合するのだから当然だとも思っていたのだが、どうもそれだけではないようなのだ。特に、人間に対して攻撃的になったりする部分についてはそれの影響が大きいのではないかと、具体的な根拠は何もないがそんな気がしてしまうのだった。

 <そいつ>は、人間を憎んでいた。ブロブが人間から敵意を向けられると反応してしまうのもそれが原因かもしれない。

 そいつはブロブそのものを操る程の存在ではないものの、ブロブの感覚に少なくない影響を与えてることも事実のような気がする。

 もしかすると、はるか昔にブロブに食われた何者かなのか。それがブロブの中に残っているということなのだろうか。可能性としては有り得るにしても、マリーベルには明確な答えは出せなかった。ブロブの中にいる人間達の知識はブロブそのものに関するものがまだ少なく、そういう意味では情報不足というのもある。

 今回、再度マリアンに会うということで、この辺りについても少し話をしてみようと思っていた。それで明確な答えが得られるとも思えないが、何らかのヒントになるものがあるかもしれないからだ。


 マリーベルが住む洞窟へと到着したマリアンとベルカは、イリオを相手におしゃべりをしていた。『もしかしたら出掛けてるかも知れない』と言っていたように、マリーベルがいなかったからだ。シルフィに会いに行っていたからである。

 イリオから、マリーベルと同じくブロブと一緒に住んでる女の子に会いに行ってると説明を受け、マリアンもベルカもその目的を察してしまった。今回の件について話をする為に行ったのだろうと。

 もっとも、本当は会いにいく必要もなかった。と言うかなくなっていた。シルフィ自身が、虫歯と引き換えにブロブと交信できるようになっていたので、インターネットのようにブロブを通じて会話だってできるようになっていたからだ。それを知らなかったから、シルフィもそういうことができると気付いていなかったのでマリーベルに連絡を取っておらず、わざわざ会いに来させるという手間をかけさせてしまった。まあ、インターネットを始めたがメールの使い方を知らずに連絡が取れなかったという感じか。

 で、シルフィが、自分の虫歯をプリンに食べさせて融合を果たしたことに、マリーベルさえ唖然としていた。

「な…え? そんなんでいいのか…?」

 シルフィの話を聞いたメリーベルの第一声である。

 マリーベル自身はヌラッカに丸ごと食われそうになり、全身の表皮の消化が始まったのと同時に彼女の触覚や痛覚とヌラッカが融合したことで今の彼女になった訳だが、それ故、そこまでしないと駄目だという無意識の思い込みがあったのだった。これも、ブロブ内にいる人間の知識がまだ十分でなかったことによる誤解であろう。

 ヌラッカと融合して置き換わってしまった透明な表皮はその後の新陳代謝で失われてしまった為に一見しただけでは普通の人間と変わらないものの、よく見ると実は毛根も融合しているので産毛は透明だったりするのだ。厳密には頭髪の一部も透明になっているのだが、白髪のようにも見えるので、マリーベル自身もそれとは気付いていない。透明な抜け毛に気付いても、単に文明的な暮らしをしてないことで肉体的にはストレスがかかっているのだろうとか深く考えずに解釈していただけだった。

 現時点では最もブロブのことを良く知っているマリーベルではあったが、専門家的に詳しく調べてはいないので、理解できていなかったり誤解している部分もあるという訳だ。普通の人間でも、自分の体の見える部分についてはよく知っていても、見えない部分、知識が追い付いていない部分についてはよく分かっていないのと同じようなものだろう。

 虫歯を食べてもらうという、シルフィの子供っぽい思い付きで行ったことが、またブロブの生態について解き明かすきっかけになったということであった。


 しかしそうなると次に心配されるのは人間に対する共感性の低下だが、皮肉なことにシルフィの場合は暴徒に両親を殺されたことである意味では既に人間を見限っており、改めて人間に敵意を向けるという必要はなくなっていた為に影響はなかったようである。

 マリーベルに聞こえている囁きウィスパーも、何となくのレベルでは感じているものの、それは両親を殺されたことによる人間への憎悪にまぎれてしまって、それと一緒に無意識下に押し込められている状態だった。

 更に融合が進めばマリーベルのようにはっきりと聞こえてしまう可能性もあるが、今のところはこれ以上の融合についてはその必要性も感じておらず、このままで終わると思われた。

 それでも一応、マリーベルからの忠告は行われている。

「なんか、よく分からないけど人間を恨め憎めみたいな声が聞こえてくるかもしれないけど、気にしなくていいから。たぶん、ブロブの中にいる誰かの愚痴だと思うし」

 言い方としては少々あれかもしれないが、意外と的を射ているかもしれない説明だっただろう。シルフィもそれで十分、理解できた。

「分かった。気を付けるよ」

 とまあ、要件については簡潔に済ますことができ、後は必要に応じてブロブを通じて連絡を取ればいいので問題はない。


 だが、そうして帰途についていたマリーベルとヌラッカの姿を、双眼鏡で見詰める人間の姿があった。

「なんだぁ? ありゃあ…」

 ブロブハンターのゲイツだった。ギルドと駆除業者共同での一斉駆除が始まる前に一稼ぎしておこうとハンティングに出た途中で、異様な鳥を見かけて双眼鏡を覗いたのである。

「ブロブ…か? ブロブが空を飛ぶってのは本当だったのかよ……」

 普通の生物ではありえない透明な体を持っていることで、その正体がブロブであるということを一目で見抜いていた。人間的にはロクでもない男だが、ことブロブに対する嗅覚では、匂いそのものに敏感なベルカとは別の意味で並外れたものも持っている男だった。

「けど、空飛ぶブロブってのはやっぱレアかね」

 そう言いながら腰に下げていた小さなバッグの中から箱を取り出し、そこに入っていた昆虫の模型のようなものを空中に放り上げた。するとそれは小さな羽音をさせながら宙を舞う。ドローンだ。

 ゲイツがドローンが入っていた箱を広げるとそこには小さな画面があった。コントローラー兼モニターだ。画面が点灯するとそれはサーモグラフィーを思わせる映像が映し出されていた。通常のカメラには映りにくいブロブを捉える為のカメラだった

 ゲイツが放ったのは、追跡・監視用の小型ドローンであった。


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