出会い

「どうしたの? こんなところで。迷子?」

 いつものように林の中で生き物の観察をしていたキリアの前に、中等部らしい少女が現れてそう尋ねてきた。その少女の後ろには大柄でがっちりとした体格でその上短髪だが胸の膨らみでそうと分かる大人の女性も立っている。母子にしては年齢がそれほど離れていないし似てもいないので、ただの付き添いかもしれないが、胸には大きな拳銃が入ったホルスターも下げられていたので、どちらかと言えばボディガードだろうか。

「え……あの……」

 いきなり声を掛けられておどおどとしているキリアに、少女はにっこりと微笑みかけた。

「ごめんね。びっくりさせちゃった? 私、生物学者のマリアン・ルーザリア。こう見えてもちゃんと大人だから。あと、こっちは私の助手兼ボディーガードのベルカ・エリトーナリスよ」

「…!? おと…な?」

 思わずそう声が漏れる。どう見ても中等部くらいにしか見えないそのマリアンという女性に、キリアは茫然となっていた。

「迷子って感じでもなさそうね。って言うか、熱心にその子を見てたところをみると、あなたも生き物が好きなのかな?」

 と、マリアンは、声を掛けるまでキリアがじっと見詰めていた先に視線を向けて問い掛けた。そこには、人間を警戒して下草に身を隠そうとしていると思しきヘビの姿があった。

「アオクビナワモドキね。学名リータス・フォルフェ。無毒な大人しいヘビだけど、歯が鋭くて噛まれるとけっこう痛い目を見るわ。それを、攻撃態勢を取らせない距離を保って観察してたんだとしたら大したものね」

 解説するかのようにそう言ったマリアンに、キリアはハッとした表情で改めて彼女を見た。生物学者だと言っていたのがようやく腑に落ちた気がした。

「は…い。ヘビを、見てました……」

 ようやくそれだけを応えたキリアに、マリアンは嬉しそうに目を細める。

「ヘビ、可愛いよね」

 その言葉が、一番、キリアの胸に届いた。それを耳にした瞬間、どこか怯えたような表情がスッと柔らかくなった。

「はい、可愛いです…!」

 たったこれだけのやり取りで少女の心を開いてみせたマリアンに、その様子を見ていたベルカは舌を巻いていた。どうも人付き合いについては苦手意識のある彼女には到底できない真似だったからだ。

 もっとも、マリアンも別に人付き合いが得意という訳ではない。生物学者として、人間という生物の生態や特色を基にパターン化した接し方を身に付けているというだけでしかないのだ。


 その後も、マリアンとキリアは、見付けた生き物をネタに楽しそうに話が弾んでいた。と言っても、ほぼマリアンが一方的にその生き物について語っている状態だったが。しかしそれを聞いているキリアの目がキラキラと輝いていて、とても嬉しそうにしてるのは傍目で見ていても分かった。

 ベルカにはさすがについていけない内容だったので、周囲の警戒に意識を向ける。マリアンは夢中になると周りが見えなくなる傾向にあったからだ。

 それにしても、ここの林はブロブの匂いが薄い。しかし全くしない訳ではないのである程度以上の動物は警戒して近付かないだろうが、動物にも中には匂いに対して鈍感なものもいれば、気付いていても気にしないものもいるので油断はできない。

 が、幸いにも特に危険なこともなく、日が暮れ始めたのを察し、ベルカが声を掛ける。

「そろそろ日が暮れ始めたよ。遅くならないうちに帰らないと」

 放っておけばそれこそ完全に日が落ちるまで夢中になっているので、今回は特に子供が一緒だしさすがに問題だろう。誘拐だのなんだのという騒ぎになっても困る。

「え? ああ、ホントだ」

 空を見上げてようやく気付いたマリアンが声を上げる。だが、キリアは残念そうな顔をした。

 それを見てマリアンは、

「じゃあ、あなたのおうちに行って話の続きをしようか?」

 と提案した。

 だがその瞬間、キリアの表情が曇る。

「あ……それは……」

「……」

 その時のキリアの様子を見て、マリアンとベルカは顔を合わせていた。家庭環境に問題のある子供の反応だと察してしまったのだ。家庭を他人に見られたくないという心理が働いているが故の反応だと。

 だからマリアンは無理強いはしなかった。

「分かった。じゃあまた機会があればってことで」

「…は、い……」

 そう言うと、今度はまた寂しそうな表情になる。

 それを見たマリアンは『なるほど』と心の中で頷いた。『他人には見せられないが、救いを求めてる』という状況かと。

 そして言う。

「キリア。生き物はね。その場その場で自分にとって最善の道を探ろうとするのよ。だから生きる為には自分の親兄弟とだって戦う。自分の力だけで生きるの。

 人間は弱い生き物だから自分一人では生きていけないけど、自分の力だけで生きようという気概を見せるの自体は悪いことじゃないわ。そしてそんなあなたを助けてくれる人、力になってくれる人もいる。

 私はね。生き物が好きなの。懸命に生きようとしてる生き物が好き。あなたは、そんな生き物達から何を学ぶ?」

 マリアンにそう尋ねられて、キリアは考えていた。

 自分は、両親から価値のないものとして扱われてきた。だから自分も、自らに価値があると思うことができなかった。だけど、これまで間近で見てきた生き物達は、自分に価値があるとか考えるだろうか? 自分に価値があるから生きてるとか、価値がないから生きていても仕方ないと考えていただろうか?

 そんな筈はない。彼らは自分に価値があるとかないとか考えない。彼らはただ自分の命を精一杯生きているだけだ。価値があるとかないとかそんなことをいちいち考えているのは人間くらいのものだ。では、自分にとって両親は価値のある人間だろうか?

 答えは『いな』だ。断じて『否』だ。自分にとってあの両親に価値があるとは思えない。自分を醜いと罵り、犬小屋に追いやるような人間達に価値がある筈がない。

 自分が無価値だとしたら、あの人間達も無価値だ。

 自分はまだ子供だから誰かの庇護がなければ生きていけないかもしれない。だけど、それはあの両親でなければいけないという訳でもない。親から虐待を受けた子供達を保護する施設があることはキリアも知っていた。これまでにも何度か自分からそこへ逃げ込もうかと考えたこともある。

 だったら、今こそがその時ではないのか? 自分の子供を犬小屋に住まわせるような親の下から逃れるチャンスではないのか?

 だからキリアは言った。

「お願いです…! 助けて……!!」

 彼女に必要なものは、助けを求める勇気だった。一人で立ち向かうには彼女はまだまだ非力すぎる。けれど、両親の支配から抜け出すには、一人でも生きていく覚悟が必要になる。その上で、誰かの力を借りることができれば、誰かの助けを得ることができれば。

『助けて』と口にしたキリアに、マリアンは嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「任せて。私、その手の修羅場にも慣れてるから」

 余裕綽々でそう応えたマリアンに、隣で二人のやり取りをハラハラしながら見ていたベルカが『…は?』と呆気にとられた顔になった。『その手の修羅場にも慣れてる』とは、どういう意味なのか。


 戸惑いながらも、マリアンに付き添われ町へと戻っていくキリアの姿を見守りつつ、ベルカも二人の後についてく。

 またこの時、キリアの頭によぎるものがあった。黒尽くめの格好をし、自らの姿を人の視線から隠し、他人との関わりを避けようとしていた女性。

 その、以前会ったことがあるフィという女性は、一人だった。美しいけれど、強いけれど、とても孤独そうだった。辛そうだった。

 もし、そんなことが可能なのであれば、自分がフィの力になりたいともキリアは心のどこかで思っていた。それが今、はっきりとした思考になりつつあった。

 マリアンとベルカに付き添われて、キリアは警察に出向く。犬小屋に住まわされていることを理由に両親を刑事告訴する為だった。

 すると、少年課の女性警官が、

「よく勇気を出してくれましたね」

 と微笑みながら言ってくれた。

 実は、近所の住人から『子供が犬小屋に住まわされているようだ』という通報があったのだ。いくら周囲から見えにくいと言っても、子供が一週間も犬小屋で過ごせば異変に気付く者もいたということだろう。

 とは言え、さすがにそれだけでは警察もすぐには動けなかったが、実際にそこに住まわされている本人からの訴えとなればすぐにも動くことができる。

 するとそこに、キリアの弁護を行いたいという弁護士も現れた。マリアンがあらかじめ、知人の弁護士を通じて手配してもらっていた弁護士だった。

 警察官と弁護士を伴って家へと帰り、まず実際に彼女が自分の荷物、特に学校関係のテキストなどをそこに置いて着替えや寝具代わりの寝袋なども置いて犬小屋で寝泊まりしている事実を弁護士と警察官が自らの目で確認し、写真に収め、それを基に裁判所に逮捕状を請求。その上で改めて、母屋のチャイムを鳴らし、両親の前で、

「キリア・ハミルソツさんのご両親ですね? あなた方を児童虐待の容疑で逮捕します」

 と逮捕状を突き付けて宣告した。


 児童虐待は迅速な対応が求められる為、被害児童本人が訴え出たとなればそれこそ、まず容疑者を確保し被害児童を保護した後で詳しい捜査をするという手順が認められていたのだった。今回は犬小屋に住まわされているという動かぬ証拠があったことでなおさらだ。

「知らん! 娘が犬小屋に住みたいと言うからその通りにしてやっただけだ!!」

 と父親は往生際悪く抵抗したが、キリア自身がそれをはっきりと否定したことでその主張は通らなかった。しかも父親が知人に『娘が生意気だから犬小屋に放り込んでやった』と電話で嘯いていたという証言も得られて、僅か一週間で裁判所で一年の禁固刑を言い渡される有罪判決が下ったのである。

 が、両親はなおも控訴して争う姿勢を見せたものの、たとえ有罪判決がひっくり返ろうとも、両親がキリアを取り戻すにはさらにいくつもの法的手続きを踏まなければならなかった。その間、キリアは施設に保護されることになる。

 そこで、マリアンとベルカはさらに手を打ち、ベルカの義両親であるエリトーナリス夫妻の協力も得て、最終的な判断が下されるまで、里子としてエリトーナリス家で預かることを決めていた。

「ああ、よく来たね。今日から君の家だと思って安心して暮らしてくれたらいいよ」

 こうして、実の娘を亡くしたエリトーナリス夫妻に、ベルカに加えてキリアという娘もできることになったのである。


 キリアを迎えたエリトーナリス夫妻はとても穏やかで柔らかい笑みで彼女を包んでくれた。まるで、亡くなった娘イレーナが帰ってきたかのように。

 キリアについてはもうこれで大丈夫だろうと、ベルカは胸を撫で下ろしていた。彼女を犬小屋に住まわせ、『お前は醜い!』と娘を罵って美容整形手術を強要しようとしていたという実の両親に対しては今なお腹の虫が治まらないものを感じていたが、ここから先は司法に任せるしかない。できれば厳しく罰せられて欲しいとも思うものの、それはキリア自身の気持ちとの折り合いもあるからもう迂闊なことは言わないでおこうと決めていた。

 とまあ、この件についてはこれでいいとして、その一方で気になることもあった。実は、キリアが何気なく世間話のようにマリアンに語った内容に看過できない部分があるのを感じていたのだ。

 それは、キリアが出会ったという黒尽くめの女性の話だった。しかもその女性は、酷くブロブを憎んでいるようだったという。

 その話に、ベルカは思い当たる節があった。

『まさか……エクスキューショナーか……?』

 符合する点は多い。グレネードマシンガンを両手に構えてブロブに激しく敵意を向ける黒尽くめの女性など、そうそういるとも思えない。

 そのエクスキューショナーは、キリアがいるすぐ傍でグレネードでブロブを爆砕したという。

 キリアはその女性が自分を守る為にそうしたのだと思っているようだが、万が一にも巻き込まれていれば大変なことになる。やはりそんな行為を見逃してはいられないと思っていた。


 一方、その話を聞いたマリアンの方は、ブロブに対する誤解がこのような事態を招いているのだと考え、それを改めなければという想いを新たにしていた。

 そこで、ブロブと会話できるという少女、マリーベルと再び面会し、これから取るべき対処について具体的に相談したいと考えたのだった。

「マリーベルに会いに行きましょう!」


 ちょうどその頃、マリーベルの方も、ブロブについてそこそこ理解しているマリアンのことは利用できると考え、連絡を取るようにしていた。

 実は、何度もブロブハンターを追い返したことにより、生きたまま捕らえるのは無理だとハンターギルド自体が判断し、本来ならある意味では商売敵でもあった筈の駆除業者と協力して、ハンターの手にすら負えない危険なブロブを駆除することを決定したのである。

 マリーベルは、いつものように町に侵入して自分が保護している人間のイリオの為の新しい服を手に入れようとしている時にその話を偶然耳にして、その為にどう対処するべきか参考にしようとしていたのだった。


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