キリア

 キリア・ハミルソツは、大人しい少女だった。他人と関わるのはあまり得意ではなく、普段から一人でいることが多かった。半面、人間以外の生き物は好きで、特にヘビやトカゲといった、どちらかと言えば嫌われることの多い生き物が特に好きだった。しかも学校では、ヘビやトカゲが多く掲載された動物図鑑を読み漁ったりもする。

 だがそれだけではない。彼女は何故か、人体図鑑も好きだった。血管や筋肉や骨格といったものが詳しく描かれたページを、時間も忘れて読み耽るのだ。それが彼女の孤立をさらに深めているのは事実だったのだろう。

 それはもしかすると、父親に原因があるのかもしれない。彼女の父親は外見の美醜に異様に拘り、キリアの母親でもある妻に対しても外見を磨くことを厳しく要求した。その為か母親は二十回を超える美容整形手術を繰り返し、今では素朴な顔立ちをしたキリアとは似ても似つかない、人形のような容姿をしていた。

 父親は当然、キリアに対しても『美しくなれ、美しくなければ自分の子ではない』とまで言ってのけた。彼女が世間的には嫌われることの多いヘビやトカゲを愛でるのはその反動の可能性があるだろう。また、どんなに外見が美しい人間でも皮膚を剥げばその下にある姿は皆大差なく、それでいて多くの人間はそれを醜いものとして忌避する。だが、キリアはその姿こそが美しいと思っていたのかもしれない。

 今年十歳になる彼女の通う学校は、そういうことを理由にイジメたりするということについては決して見逃さない学校だったので表立ってイジメられることはなかったものの、それでも友達と言える者はおらず、浮いた存在であることは残念ながら事実だと言わざるを得ないと思われる。

 周囲の大人からもらうのも『変わった子』『何を考えてるか分からない陰気な子』という評価ばかりだった。

 だから彼女は、いつも一人で遊んでいた。町はずれにある、この町が作られた頃に働いていた建設作業員達の仮設の宿舎だった廃プレハブが彼女の遊び場だった。彼女はそこで、拾った水槽や容器にヘビやトカゲを入れて飼い、それを眺めて時間を費やしていた。

 鳴きもせず、自分に懐きもしない生き物達に囲まれたその時間はとても静かで寂寥感さえ漂わせるものだったが、彼女はむしろそれによって癒されているようだった。

 ちなみに、彼女が飼っているヘビやトカゲは、見た目が良く似ているからそう呼ばれてはいるが、厳密には別種の生物である。この惑星に元々住んでいた生き物だ。ただ、生態も非常に似ているのでヘビやトカゲと呼んでも支障ないだろう。<六肢>ではあるが。この惑星の原住生物の多くは六肢なのだ。ちなみにヘビに似た生き物には、退化した足の痕跡がちゃんと六つある。


 まあそれは余談なのでさて置くとして、とにかくキリアはそんな生き物達との触れ合いがなによりなのだった。

 だがその日、そんな彼女の日常を乱す者がいた。いつものように学校帰りに廃プレハブにやってきた彼女は、しかしいつもとは違う気配を感じていた。昨日、確かにしっかりと閉めた筈のドアが少し開いていたのである。だからまた、ホームレスか、廃屋を荒らす不良でも来たのかと思って嫌な気分になってしまった。以前にもそれで別の廃プレハブで飼っていたヘビやトカゲを殺されてしまったことがあったのだ。

 そっと中の様子を窺うが、人がいる気配はない。特に荒らされてもいないようだ。窓から見える水槽や容器にも特に変わったところはない。それでも、ホームレスが入り込んで寝ていたりするかも知れない。そこで彼女はさらに別の窓から用心深く中を覗き込んでみた。

 が、その時、彼女の背筋を氷のように冷たいものが凄まじい勢いで奔り抜けた。気配を殺して慎重に覗き込んだ筈なのに、中から睨み返されたのだ。そう、何者かが中にいて、彼女に鋭い視線を向けてきたのである。

「…っ!!」

 思わず漏れそうになった悲鳴を何とか呑み込んで、キリアはその場にしゃがみ込んだ。完全に目が合ってしまったから相手に気付かれたのは彼女にも分かった。しかも尋常じゃない目つきだった。フードを目深に被って襟を立てていたから人相までは確かめられなかったが、目を見ただけでも普通ではないと思った。人を殺すことさえ何とも思わない、冷酷で凶悪な殺人鬼のそれだとも思った。

 ホームレスや不良どころではない。きっと警察から逃げてきた殺人鬼が身を潜めていたんだと思った。

『逃げなきゃ……逃げなきゃ殺される……!』

 キリアの体を恐怖が支配した。がくがくと勝手に震えて止まらない。逃げようと思うのに足が動かない。それでも何とか這いずるようにしてその場を離れようとした時、彼女はさらに絶望へと叩き込まれるのを感じることとなった。

「…おい…!」

 窓を開ける気配と共に背後からそう声を掛けられてビクンッと小さな体が跳ね、小便さえ漏らしそうになった。なのに、その声は容赦なく彼女を追い込んでいく。

「逃げるな……声を出すな……こっちに来い……」

 もう、何も考えられなかった。逃げるとか声を上げるとか、言われなくてもできなかった。動くこともできなかったのだ。

 腰が抜けたように手足を着いた状態で動けなくなっているキリアを、窓越しに黒尽くめの人影が見下ろしていた。そいつは、窓から身を乗り出して、彼女の首根っこを捕まえた。そしてまるで子猫をつまみ上げるようにしてキリアを部屋へと入れ、窓を閉めてしまったのだった。

『私はここで殺されるんだ…』

 キリアは思った。するとさっきまでは我慢できていた小便が勝手に漏れ出て、下着もスカートも靴下も靴も濡らした。

 だがそれを見て慌てたのは、黒尽くめの人物の方だった。

「お、おい…!」

 そうキリアの耳に届いてきた思いがけない声の調子に、彼女はハッとなった。ハッとなって思わずそいつを見上げてしまった。すると彼女の目に、フードと襟では隠しきれなかったそいつの顔の一部が飛び込んできた。

 それは、とても人間とは思えない顔だった。いや、人間のそれではあるのかもしれない。生きた人間のそれではないと言うだけで。皮膚がないのだ。顔の筋肉と血管が剥き出しになった、まるで人体模型のような顔であった。

 …いや、それも違う、か。よく見ると皮膚らしきものはある。透明で見えにくいだけで、筋肉や血管を、透明な皮膚がちゃんと覆っていたのだった。瞼も透明だが、しっかりと瞬きもしている。

 そんな、普通なら悲鳴さえ上げてしまいかねない姿を見たキリアは、普通の十歳くらいの少女とは全く違う反応を見せていた。さっきまであれほど恐怖で震え上がっていたというのに、そいつの顔を見た途端に明らかに落ち着いた様子になっていったのである。彼女がそうやって余裕を取り戻せたのは、他にも理由があったのかもしれない。

『女の人…?』

 キリアがそう思った通り、そいつは<女>だった。声と服の上からも分かる胸の膨らみでも確認できた。紛れもなく女性だ。

 どことなく戸惑っているかのようなその女性の様子と入れ替わるようにして、キリアは自分が冷静になっていくのを感じていた。彼女は、奇怪にも見えるその女性の顔に見惚れていた。

「きれい……」

 呟くように口にしたキリアの言葉に、その女性の戸惑いは頂点に達したかのようにも見えた。

「え…? あ、綺麗…? 私が…!?」

 そう口ごもる女性からは、先程までの危険な様子は完全に失われていたのだった。


「うん、きれい。お姉さんの顔、とってもきれいだよ」

 そんなことを言われたのは、初めてだった。だからどう応えていいのか分からなくて、狼狽えた。そのせいで、思わず頭を掻こうとしてフードを弾き落としてしまった。そしてその顔の殆どが明らかになる。頭も、さっきまで見えていた部分と同様に、筋肉や血管が透けて見えていた。やはり皮膚が透明なのだ。しかも、透明だが、よく見ると髪の毛が生えてるのも分かる。

 だからキリアはさらに見惚れた。透明な皮膚を持つその女性に。失禁してぐしょぐしょに濡れた自分の下着やスカートや靴下や靴のことさえ忘れて。

 それだけじゃない。彼女は普段なら決してやらないことを、口にしないことを言葉にしていた。

「私、キリア。お姉さんは?」

 自分から名乗り、相手の名前さえ問うたのである。恐らく生まれて初めてのことだった。もっとも、今、彼女が目にしているような人間と出会ったのも生まれて初めてなのだが。だから興味が湧いてしまったのかもしれない。この機会を逃したらもう二度とこんな出会いはないと思ってしまったのかもしれない。そういう想いが、彼女の口から漏れだしたのだろうか。

 その思いがけない問い掛けに、女性はさらに狼狽えた。狼狽えつつ、思わず応えてしまった。

「フィ…」

 しかしそこまで口にした時、女性はハッと我に返ったように手袋をした手で口を押さえた。それから改めてキリアを見下ろしながら呟くように言った。

「フィ、よ。私の名前はフィ」


 フィと名乗ったその女性は、体調を崩しここで休んでいたそうである。だが、明らかに人が世話をしていると思しきヘビやトカゲの入った水槽や容器を見て人が来るとは思ったものの、既に体が満足に動く状態ではなかったので、そのまま意識を失ってしまったのだった。それでも、半日以上寝たことでかなり回復し、他人に見付かる前にここを立ち去るつもりだったのだと言う。そこにキリアが来てしまったのだ。

 その話を聞いたキリアは、心配そうにフィの顔を覗き込みながら尋ねる。

「だいじょうぶ…?」

 彼女の視線に、フィは思わず顔を背けてしまった。キリアは『綺麗だ』と言ってくれるが、やはり自分の姿をまじまじと見られるのは辛かった。この、奇怪で醜い姿を。

 だが、キリアはなおも言う。

「私も、お姉さんみたいになりたいな…」

 噛み締めるようにそう呟く彼女に、フィも、子供っぽい思い付きで言ってるのではないことを感じ取ってしまった。


 こんな小さな子供がここまで思い詰めるというのは、並大抵のことではないだろう。アイドルに憧れて『私もアイドルになりたい』と言っているのとは訳が違う。この少女は、自分の姿が、普通なら奇怪で醜いものだと思われるのを承知した上で自分も同じになりたいと言っているのが分かってしまった。

「…ここの動物は、あなたが世話してるの…?」

 いくら少女が認めてくれていても視線に晒されるのは苦痛なこともあり、フィは再びフードを被ってなるべく自分の姿を隠そうとはしつつも、自ら彼女に話し掛けた。

「うん……家だとお父さんがゆるしてくれないから…」

 寂しそうに俯きながらキリアは答える。

「お父さんね、『きれいじゃなかったら生きる価値もない』って言うの……それでお母さんは顔とかいっぱい手術して、お人形みたいになっちゃった……私も大人になったらあんな風にされるのかな…? この顔じゃダメなのかな……? 私、生きてる価値ないのかな……」

 そう語るキリアを見て、フィもようやく察した。この少女も、自分と同じように自らの姿が醜くて他人に認めてもらえないものだと感じているのだと。だが、フィから見ればキリアの姿は十分に可愛いものだと思えた。確かに、誰からも『美しい』『綺麗だ』と言ってもらえるような華やかなタイプではないかもしれないが、自分に比べれば間違いなく他人の生理的嫌悪感を駆り立てるようなものではない。『生きる価値もない』と言われるような筋合いのものではない筈だ。

 それなのに、自分の娘にここまで思い詰めさせる両親など、いったい、何を考えているのか……

 だからつい、フィは言ってしまった。

「あなたが私のことを『綺麗だ』って言ってくれるのと同じように私もあなたのことを『綺麗だ』って思う……あなたのご両親があなたのことをどう思ってても、私は綺麗だって思う。私、あなたの顔、好きよ……」

 皮膚が透明で表情が殆ど分からないが、この時のフィはきっと、とても優しく微笑んでいたのだろう。言葉や声からもそれが十分に伝わってきた。初めに感じた敵対心や警戒心というものは既に感じられなくなってしまっていた。

 そうやって気持ちが穏やかになって落ち着いたからか、フィはハッとなった。キリアが小便を漏らしてることを思い出したのだ。

「服、汚れちゃってるね。ちょっと待ってて」

 と言いながらフィは自分のデイパックからコートを取り出してキリアに差し出した。

「服を洗ってあげるから、その間、これを着ておいて」

 フィに言われてキリアは素直にそれに従った。スカートも下着も靴下も靴も脱いで、フィに渡されたコートを羽織る。しかしそれは彼女には大きすぎて寝袋に入ってるような姿になった。

 一方で、キリアの汚れた服を受け取ったフィは、廃プレハブの流しでそれを洗い始めた。手回し式のポンプがついていて、地下水を汲み上げて使っているのが分かっていたからだ。

 さすがに電気やガスは来ていないので、コンロが置かれてあった場所に自らのランタンを置いて、部屋にロープを掛けてランタンの熱で乾かすようにキリアのスカート下着と靴下と靴を干した。完全には乾き切らないかもしれないが、何もしないよりはマシだろう。

「これでよし。後は乾くのを待つだけね」

 そう言ったフィは、大きすぎるコートを羽織って自分を見上げるキリアを見た。

 すると二人の間にふわっとした柔らかい空気が流れ、どちらともなく笑顔になっていたのだった。


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