不死鳥のフリル

カピバラ

不死鳥のフリル


 001


 お兄さんは異国のひと? そう尋ねてくる声は、鼓膜を通し脳に伝達され、私の身体に染み込む。

 透明感、——その耳障りの良い声に私は返事をした。


「何故、私が異国の者と?」

「だってね、お兄さんの髪、真っ黒でしょう?」


 黒い髪の人間なんて見たことないもの、と、戯けるように、しかして自然な上目遣いで私を見つめる少女。彼女は、私の依頼主だ。


「依頼を受けておいて何だが、本当にいいのか?」

「……いいの」

「不死鳥であるお前は、永遠の時を生きていられる。それなのに、何故、その命を棄てようというのだ? 不死という、素晴らしき力を与えられておいて……私には、どうにも理解出来ないのだ」


 不死鳥、——

 彼女は不死鳥の少女。その名の通り、不死、死ぬことのない永遠の存在。肉を裂かれようが、砕かれようが死ぬことはない。たちまち生命の炎が燃え上がり存在が回復してしまうのだから、死にようがないのだ。

 ヒトならば、一度は夢見るであろう、不死。しかし、長い年月を生きてきた、——生かされてきた彼女にとって、生きるという意味自体が、我々には到底理解し難い域まで到達しているのだろう。


「死龍山までは、かなり距離がある。しかし安心しろ。対価さえ支払えば私がそこまで連れて行ってやる。この世界で唯一、不死鳥を殺せる龍の元へ」

「ありがとうございます、お兄さん」

「しかし、不死鳥は空を飛べないのか? わざわざ陸路を行くことはないのでは?」


 疑問、を、投げてみる。


「死龍山は地底に存在するらしいの。飛んでも見つけられないだろうし、それに目立つと色々と困るから……」


 なるほど。それなりに調べてはいるわけか。


 私が彼女に依頼された内容は、不死鳥を唯一殺すことの出来る死龍の元へ、彼女を連れて行くこと。

 対価は、依頼を達成した時に見積もるつもりだ。


 私は彼女を、——不死鳥のフリルを殺すため、死龍山へ向けて一歩を踏み出した。


 002


 くぅ、と、虫が鳴いた。

 どうやら依頼主は空腹。そういう私も、かれこれ丸一日は食事をしていなかった。そろそろ、腹を満たす必要がある。

 思考を巡らせる私の顔を今にも死にそうな顔で見上げる依頼主。まぁ、死なないのだが。


「仕方あるまい。この先の街に立ち寄るとしよう」


 彼女は首を大きく上下した。彼女と、フリルと契約してはや二ヶ月、こんな調子で過ごしてきたわけだが、それには理由がある。

 フリルは日々追われる身にあるのだ。

 不死鳥という特性上、彼女の能力を手に入れようとする者が後を絶たない。

 拷問を嗜好とする者に飼われ、その男が死ぬまで数十年に渡り殺され続けたと聞いた時、私はフリルが死を選ぶ意味を知った。フリルにとって、この世界は生き地獄なのだと思い知ったのだ。しかし、


 フリルは生きている。

 心はもう、死んでいるのかも知れないが。


「お兄さん、何を食べる? フリル、お腹空いて死んじゃいそうだよ」

「あまり声を出すな。ただでもお前は目立つ。フードをしっかりと被っていろ。それに、お前は死なないだろうが」


 むぅ、と膨れたフリルは真っ赤な夕日を彷彿とさせる、不死鳥特有の髪を隠すように深くフードを被った。緊張感のない奴だ。こんなことだから、クズな連中にまんまと捕まっていたのだろう。


「今回も最低限の食材を買ってすぐに街を出る。郊外で身を隠せそうな場所を探して、そこでようやく飯にありつける」

「長い道のりだよ……」

「お前はもう少し、自分の立場を弁えるべきだ」

「弁えるって……何を?」


 緋色の眼光が私を捉えた。

 私はフリルに、答えを返すことが出来なかった。


 恐怖。怯えたのか、この私が?

 殺気でもない、憎しみでもない、ただ、哀しいだけの眼光に、私は気圧されたのだ。


 003


 この木の実美味しいよ? そう言って文字通り木の実を頬張るフリル。先程の鋭くも哀しい眼光が嘘のようである。


「お兄さん、さっきはごめんなさい。でもね、私は自由に生きたいの。それはね、私に名前をくれた人が自由に生きたらいいって、そう言ってくれたから」


 名前を。過去の話か。なるほど、


「そうか。私も悪かった」

「ううん、いいの。だってお兄さんは、私が不死鳥だと知ってても、酷いことしないもの。あの人と同じ。フリルって名前には、自由って意味が込められているんだって」

「……いい、名前だな」


 フリルは頬に木の実の食べカスをつけたまま、誇らしげに笑った。私は袋に詰めた木の実を取り出し、それを一思いに口へと放り込む。

 まず味の感想を述べるが、正直不味い。私には酸味が強すぎる。それなりの栄養価は得られるのだろうが、これを食うくらいなら、そこらに生えている山菜を摘んでかっ食らってる方がマシである。

 あくまで、私個人の意見だが。


「口元を拭け、見てられん」

「むぐむぐ、ずっと私を見てるから、どうしたのかなって思っちゃった」

「見てなどいない」

「嘘だ〜。女の子は視線に敏感なんだよ?」

「……女の子って歳じゃぁないのでは?」

「いま、何か言った?」


 浴びた視線にしっかりと殺気も含まれていたのは言うまでもないだろう。


 004


 さて、旅を始めてどれくらいの時間が経過しただろうか。拠点を背に歩く私のすぐ後ろには当然の如くフリルがいる。

 この辺りの街は治安が良くない。不死鳥の存在に勘付かれると厄介だ。そう思い、食糧のみを購入しそそくさと街を出たのだが、なるほど、


「ここらの駄犬は鼻がきくようだ。フリル、私の背後にいろ」


 前方に二人。小汚い格好の男。フリルに気付き先回りしたか、それとも、ずっと機会を伺っていた追跡者が動いたか。しかし後者の場合、私が気付かないはずがない。余程の手練れでなければ、私に気取られず尾行することなど不可能だろう。

 私達の前でうすら汚い笑みを浮かべる糞虫どもが、それほどの手練れとは思えない。

 つまり前者。先程の街でフリルが不死鳥だと知り襲ってきたわけ、か。大方、遊ぶだけ遊んで金待ちにでも売り飛ばす算段なのだろうが、


「……忠告する。私は任務のためなら、躊躇いなくヒトを殺す。死にたくなければ、即刻、去るがいい」


 男達は腰に下げた陳腐な刃物を取り出した。どうやら引く気はないようだ。対して、私は丸腰、その上フリルを護りながらという不利な展開。


「お兄さん……」

「大丈夫だ。三秒、目を瞑っていろ。絶対に目を開けてはならない。さぁ」

「わ、わかった……」


 震えながらも、私の背後で目を閉じたフリル。

 私はそれを確認した後、数歩前に出て男達と対峙した。いち、に、——さん。


 005


「お兄さん?」

「もういいぞ」

「うん……」


 フリルは恐る恐るといった動きで、その大きな瞳を開く。そして両手を口元にあて、笑った。歳の割にあどけない、——あどけなさ過ぎる笑顔だ。込み上げた笑みを抑え切れず腹を抱えて笑うフリルは、一頻り笑い終えては目尻の涙を拭った。


「ご、ごめんなさい。ついつい面白くて」


 私達の前にあるのは、お互い向き合った状態で縛られて身動きの取れなくなった男達なわけで。どうやら、汚らしい男の饗宴の様がツボにハマったようだ。緊張感のない奴である。


「お兄さん、殺しちゃうのかなって思って……ちょっと心配しちゃった」

「コイツらはお前を捕まえようとしていたのだぞ? よくもまぁ……いや、まぁいい」

「……お兄さん、解放してあげて?」

「いいのか? また来るかも知れんぞ?」

「お兄さんがいるから大丈夫だよね?」

「依頼主を守るのは仕事のうちだ。わかった、フリル、お前が言うのならコイツらを解放しよう。おい、聞いたかクズ共。これに懲りたら、二度と私達の前に姿を見せるな。次は一秒で殺す」


 006


 旅はつづく。

 北方も北方、肌寒さを通り越した寒波に身を晒しながら二人歩く雪道。道中で購入した毛皮のコートに身を包むが、やはり寒い。

 フリルも寒いのか、度々私に寄りかかろうとする。私はその度に一歩距離を取る。


「もう、お兄さん! 寒いんだから身を寄せてもいいじゃない! ぷんぷん!」


 ぷんぷんは、ないだろ。


「意外と照れ屋さんだね、お兄さんは」

「……よし、今夜はあの洞窟で野宿だ」

「むぅ、また野宿ぅ……」

「まぁそう膨れるものでもないぞ。この雪山の奥、ヒトの立ち入ることの叶わない絶対零度のセカイも、目と鼻の先だ。見てみろ」

「……光ってる、綺麗、でも、ちょっと、こわいかな」

「当然だ。死龍の巣喰う山なのだ。恐ろしくなくてはならん」


 あと二日も歩けば辿り着くだろう。

 明日には人間に襲われることもなくなる。ここまで来れば、少しは安心して眠れるだろう。私も少し眠ることにしよう。

 焚き火を挟み、向かい合って座る。フリルは私をじっと見つめ頬を紅潮とさせる。その瞳は燃える炎の揺らめきを鮮明に映し込んでいる。


「……お兄さん、隣に座っても、いい?」

「……」


 私は目を逸らしたが、フリルはスッと立ち上がり私の隣に座った。華奢な肩が触れる。その肩は小さく震えている。寒さからか、それとも


「お兄さんは、いつもさみしそうだね。ねぇお兄さん、あの日、何故フリルを助けてくれたの?」


 あの日。フリルを長年飼っていた男の死をきっかけに、再び奴隷市へ売りに出されたフリルを救った。今思えば、奪ったという表現が正しい。

 何故と問われて気付く。何故かわからない。


「気まぐれだ」私の言葉にフリルはクスクスと笑みを溢す。


「な、何がおかしい……」

「手、握ってもいい、かな?」

「今の話の流れで、どうして手を握るに繋がるのだ。私をからかっているのか?」


 フリルは首を大きく横に振り、私を見る——私を、少し低い位置から見上げるように、そう、体格差により生じる自然な上目遣いで。


「大丈夫だよ、ほら」

「……だが……」

「大丈夫」


 私の手を、フリルの小さな両手が包んだ。


 007


 ほら、大丈夫でしょ? そう言ってドヤ顔を見せるフリルの瞳に私の顔が映りこむ。控えめに言って、素っ頓狂、そのものであった。これほどまで間抜けな顔は中々お目にかかれないだろう。


 フリルの手はあたたかい。生命エネルギーに満ちていて、ただ、心地良い。

 寒さを忘れるほどに。

 正気の沙汰ではない。二人して、馬鹿もいいところだ。極寒の雪山の洞窟内で、お互い全てを曝け出し絡まり合った。時間の過ぎるのも忘れフリルの生命の炎に身を委ねた。

「忘れさせて」「塗りかえて」求められるがまま、私はフリルを自分色に染めたのだ。



 ふと目を覚ますと横目にフリルの姿があった。

 私はフリルの頬に触れてみた。


 触れて、みた。


 柔らかで、それでいてみずみずしい不思議な感触。その刹那、艶やかな唇から、今にもこと切れそうな声に、私の手が止まる。


「……た……ぃ……」


 私はフリルにコートをかけ、背を向け再び眠りについた。明日からの旅路に備えて。


 008



「おはよ……お、お兄さん」

「おはよう……」


 うむ。実に困った。昨晩のことが脳裏によぎりお互い顔を向き合わすことが困難な状況であり。

 そのような思考を巡らせながら私が前を歩いていると、ふとフリルが隣に並んだ。長い旅路の中、並んで歩いたのは多分、初めてである。


 私は彼女の手を、——


「いたぞ不死鳥だ! 同行する黒髪の男も確認。直ちに黒髪を排除し不死鳥の身柄を拘束しろ!」


 軍服。下衆が。恐らくあの二人が通報したか。甘さ故に墓穴を掘った形となったわけだ。しかし、国が動き出したとなると悠長にはしていられない。私はフリルの手を取り走った。フリルの瞳は哀しみの色に染まる。これだから人間は。


「フリル、飛ぶぞ」

「へ? と、とぶっふぁぁっ!?」


 なりふり構ってはいられない。何故なら敵は国家の特殊部隊である。私に致命傷を与え得る戦力も有している。ここはフリルを連れてヒトの立ち入ることの許されぬ土地、死龍山まで逃げるのが得策であろう。背を向けるのは癪ではあるが、フリルの身の安全を考慮すれば当然だ。


「おおおおおおお兄さんっ!?」

「何を驚いているのだ。気付いていたのだろう、私が死龍だと。フリル、お前にも翼はあるだろう? 呆けてないで翼を顕現しろ」

「は、はいっ……!」


 あー、いつにもなく騒がしい。しかし、綺麗な翼だ。朱色に輝く力強い光の翼。私の味気ない漆黒の翼とは天地の差だ。飛行能力も申し分なさそうだ。

 このまま死龍山まで辿り着けば、依頼は達成。ゴールは目の前だ。しかし、


「……っ!」

「フリル、大丈夫か?」

「こ、こんなにはやく飛んだことなくて……でも、大丈夫っ! きゃっ!?」


 前方からも魔法攻撃? いや、全方位魔法攻撃?

 囲まれている。あの無数の光の粒から先程のような光の矢が降り注ぐとどうなる? さすがに全てを回避は不可能だ。やはり、殺るしかないのか。

 しかし無慈悲。

 魔力を帯びた光の雨が私とフリルに迫る。咄嗟にフリルを覆うと、当然私の背に光の矢が突き刺さる。意識が途切れそうになる。地上には魔導兵器。


 その巨大な魔導兵器から放たれた閃光は、私の身体を貫いた。フリルの小さな身体もろとも。


 009



 堕ちる、おちる、視界は回転、


 昨晩、フリルを抱いていた頃、コイツらは罠をはっていたのだろう。私としたことが、とんだ失態である。だが、私の勝ちだ。


 そこはもう、ヒトの踏み入ることの出来ない極寒の地、死龍山。地下に伸びる山という名の無限の渓谷。私は死んでもフリルは貴様らには渡さない。



 朝焼けを背に、堕ちる。翼は機能しない。


「フリル……大丈夫か?」

「……不死鳥……だから、だいじょ……」

「私から離れるのだ……私の身体に触れていると生命を吸われ、不死鳥と言えど死ぬ。ましてや……深傷を負ったお前なら尚更だ……」


 しかしフリルは、私を強く抱いた。


「駄目、はなれちゃったら、お兄さん……が、し、んじゃう……から」

「しかし……お前も死ぬぞ」

「それが、フリルの望みだ、から……い、らいは必ず……」


 私は、不死鳥を求めていた。

 触れるもの全てを一瞬で死に至らしめる呪われた私が唯一、触れることの出来る存在に。だから、フリルを奪った。しかし、フリルに生きる気力は残っていなかった。結局、私は殺すのか。

 殺すしかできないのか。


 無限渓谷は何処までも続く。

 私の生命はいつ尽きるのか。フリルの生命はいつ尽きるのか。恐らく、こうして抱き合っているうちはそうそう死ねないだろう。


 いつかおわる、永遠


「いのち、尽きる時まで……フリルと、いてくれますか?」

「……その時は、共に消えるとしよう、まだ、先は長そうではあるが……」

「だったら、……色々お話をしよ?」

「そうだな……フリルに……名をつけた人間のこと……も、知りたいな」

「……それは、嫉妬、かな?」

「……そう、かも、しれない」

「嬉しい」

「何がだ?」

「フリルみたいなのでも……誰かの為に、力になれた……貴方の心を、癒せた」


「……ありがとう……」


 さみしかった。


 いつか、互いの生命尽きる時まで、共にいたい


 いつかおわる永遠を共に



「これが……生命なんだね……」




 いつか終わりが来るからこそ、


 今が大切なんだね




 不死鳥のフリル   完





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不死鳥のフリル カピバラ @kappivara

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ