第32話 キクコの目的

 にたにたと笑うキクコが、首を真横に傾げながらじっと見つめる。

 品定めをするような赤い目が、業火の色だ。

 ぱっかりと開いた口も赤。

 人の形を象った黒いシルエットに、赤い隙間が3つ空いただけの存在なのに、額から冷や汗がひかない。

 雨と汗が顎を伝って、地面にはねた。

 華は拭うことなく、キクコを見たまま言う。


「……コンル、こんなのとも戦ってたの?」

「いえ、初めてです。華がいっしょでよかったです」


 コンルは抱えていたものをアンゴーと一緒に渦にしまうと、唾を飲んだ。

 コンルも華と同じプレッシャーのなか、ここに立っているのがわかる。


「……じゃあ、勝鬨あげて、村ん中、凱旋しなきゃな……!」


 華は一気に踏み出した。

 この殺気を浴び続けるだけで気がれそうだ。

 それなら、スピードで勝負!

 短時間で決着をつけるのみ。


 だが振り上げた刀が降りてこない。

 13の関節で伸ばした手で、がっちりと刀を握っていた──


「……ひっ! ……くそ!」


 息を飲んだ自分自身が嫌になる。

 キクコのひとつひとつの挙動が恐怖を煽り、動くだけで殺気をまとっている。


 華はすぐに紫炎をまとわせ、力任せに弾き返した。

 黒い腕が燃えながら上下に揺れる。

 激しく揺れる腕を隠れ蓑に、キクコへ距離を詰めるが、それでも全く懐に入れない。


 ミノタウルス戦と、ぜんぜん違う。

 殺気の圧も違えば、戦闘力も桁違いだ。


 絶望が、よぎる。


 背後に回ろうにも、腕が常に追跡していて、斬り込めない。

 さらには、少しでも踏込むと、足をすくわれ、引きちぎろうと腕が絡む。


「……いってぇんだよ!」


 華は持ち前の柔軟さで、すり抜けながら斬り落とすが、次、捕まえられたら、逃れられないかもしれない……


 そう思わせる強さ、隙のなさ、恐怖が、雨といっしょにべっとりと背中に張り付いている。


 一方、コンルも氷の攻撃を繰り出し続けていた。

 氷柱を体の周りに浮かばせ、マシンガンのように撃ち続けているが、全くキクコに傷がつかない。

 傷がつかないどころか、弱りもしない。


「コンル、弱体化してねーぞ!」


 華の声に返事をする暇もない。

 繰り出される拳の雨に、コンルは避けながらも、必死にあの山で見たものがなんだったのか、考えていた。


 だが、間違いなく、キクコの原動力の場所だった。


 あの死体の山、そして、ひとつとしゃべる猫。

 どれもキクコの力を維持するための動力源のはずだ。

 凍らせ、粉砕したにもかかわらず、力が衰えない理由……


 もしかして、渦にしまった猫が、……?


 黒い腕が四方から伸びる。

 コンルの腕に巻き付くと、一気に体を持ち上げた。


「コンル!」


 華の声に、余裕の顔を作って見せたが、コンルは間合いを取ろるために、上空へと逃げる。

 だが、キクコの力が強すぎる。

 4メートルほど持ち上がったものの、それ以上は飛べない。

 それなら地面で距離を取ろうと力を下へ向けたとたん、キクコの腕がコンルを地面に向かって引き込んだ。


 一瞬の隙だ。


 強烈な力で叩きつけられたコンルは、アスファルトにヒビを入れ、土埃を舞い上げる。


「……バカっ!」


 華は執拗にまとわりつく腕を弾き、腕を伸ばし、脚を割り、体を回転させながら手を避けて、一気に跳躍した。

 コンルを掴む腕を焼き斬るためだ。

 だが、刀をおろしたとたん、父方の祖父母の家にある掃除機のコードのようにしゅるんと戻る。

 それを見て、華はだんだんイライラしてくる。


「ふざけんじゃねーぞ、キクコ! てめー、何が目的なんだよ!」

『おともだちぃいいいぃ……キクコ……ともだちがほしぃいいいい』

「友だちってのはな、相思相愛なんだよ、ボケ!」

『……うるざぁぁあああい!』


 怒らせてしまったようだ。

 華は、ウニの棘のように無数に伸びた腕を回避するため炎を立ち上げた。

 コンルと自分を守るためだが、この判断に、華は舌打ちする。


 自分たちを囲うように炎を出したが、これは悪手だった……


 敵に背後を取らせてしまう可能性がある。

 早く炎を止め、間合いを取りたいのだが、地面に寝そべるコンルに、目覚める気配がない。


「コンル、起きろ! 起きろ! バカ! 起きろ!」


 刀を構え、炎越しにキクコの存在を確認しながら、華が叫ぶこと、5回。

 ようやくコンルの目が、薄く開く。

 のっそりと上体を持ち上げたコンルの額に、血がつつつと流れ落ちる。


「え? コンル、死ぬ!?」

「いてて……いえ、かすり傷ですよ。え、もしかして、華、僕が死ぬと思って……僕は生きてま」


 抱きつこうとしたコンルに、後ろ回し蹴りを華はお見舞いするが、キクコの動きに視線はしばったままだ。


「だいたい死なせねーし! あんたいなきゃ、こっから出れねーだろ! むしろ、生き返らすわ!」

「ハナ、その言葉、忘れないでくださいよ?」

「うっせー! 早くどうにかしろ!」


 叫んだ瞬間、炎の中に黒い無数の手が差し込まれる。

 2人の息が詰まる。



 恐怖と困惑だ──



 だがそれでも諦めない。

 華は関節が柔らかいのを利用して、体に吸いつかせながら手を弾いていく。

 コンルは杖をバトンのように扱い、確実に氷漬けにしていく。


 だが、どう考えても、状況がおかしい。

 キクコが強いままなのが、本当におかしい。


「コンル、でっかい技とかねーの? あ?」

「ハナこそ」

「頼ってんじゃねーよ」

「間合いに入れなきゃ、僕だって首を斬れないんですっ」

「あたしだって同じだっつーの!」


 コンルも、何度も氷の剣を創り、キクコへ挑んでいるのだが、全く近づけていない。

 間合いを間違えれば、すぐに足を掴まれ、腕を握られ、解放されるまでもひと苦労となる。

 華も同じく、キクコに捕まらないことだけで精一杯の状況だ。

 炎のリングを使おうとも、炎のボウルを創り、回し蹴りで打ち込んでも、全く隙ができない。


 そのキクコの赤い目が、右に動いた。



「──ねーちゃん!」



 キクコは、にっこり微笑み、手を伸ばした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る