brand new seven days 〜天国のジークに寄せて〜

うつりと

川原楓

Monday 〜葬


共に暮らした下北沢の

マンションを出て

秋風に吹かれながら

小さな棺のジークを

見送る朝


銀色にきらめく

シルクのような被毛は

ロシアンブルーの証

左手の肉球をそっと握り

翡翠色の数珠を通す


ありがとう


心をこめて囁いたら

ジークは虹の彼方に

駆け抜けていった


ただいま


旅を終えたジークは

猫耳の形をした純白の

お骨入れに納まり

我が家に戻った


おかえり


面影を消し去るように

部屋を片付けたことを

少し後悔したけれど


そうだ

リビングの

一番目につくスペースに

御殿を作ろう


ジークに似合う

向日葵色の花を飾り

新鮮なお水を供えて

いつものように

名を呼ぶよ









Tuesday ~香


猫とアロマテラピー

これほど相性の悪い

関係はない


ジークと暮らして20年余

精油はすべて封印した


猫を飼うことは

そういうこと

猫の一生を

まるごと引き受けること


ぽかりと空いた

ジークのテリトリー

匂いだけ残っている


消したいような

消したくないような


ジークに問いかける

そろそろいいかな?


「OPEN MIND」という名の

アロマスプレーをひと吹きする


風のような爽やかさ

森のような清らかさ

部屋中がハーバルグリーンの

香りに包まれる


まだ少し猫の匂いがする


今の私には

このくらいが丁度いい









Wednesday ~滴


身体じゅうの水分を

持って行かれたらしい


水分だけ欲している


いつものアイスティー

口に含んでみたけれど

味も香りもわからない

飲んでも飲んでも潤わない


何か食べなきゃ‥

そう思うのに

どうしても

食事が喉を通らない


眠れそうもないから

お風呂に浸り

詩を書くことにした


哀しいときほど

研ぎ澄まされたように

言葉が浮かんでくる

不思議


文章を書いていると

時間を忘れられる

書けるだけ書いて

何度も読み返し

書き直していたら

余計泣けてきた


人はどうして

こんなに泣けるのだろう


泣けるだけ泣いて

ティッシュがなくなりかけた頃

違う景色が見えてきた


涙を止めるペンがあったらいいのに


眠れないけど

書くことはできる

食べれないけど

泣くことはできる


そんな一日があってもいい

私は生きている









Thursday ~礼


晴れた日の昼下がり

ジークがお世話になった

動物病院へ向かう

報告とお礼を伝えたくて


患者のジークはもういないのに

診察室へ招かれた


いつものように

カンファレンスが始まる

時間をかけて

真摯に向き合ってくれる姿に

心打たれる


それはきっと

飼い主の私がナースで

ジークへの愛情を痛いほど

感じてくれたからだろう


唯一の心残りは

先生の前で

ジークを看取れなかったこと


急変を察知したのも

予後の悪さを予測したのも

蘇生を希望したのも

ひとりで冷静に行動できたのも

医療の知識があったから


飼い主として

できることはしたつもりでも

動物にとって

果たしてこれでよかったのか

どうしようもなく

心が折れかけていた


ネットの情報に惑わされないで

動物がかわいそうだから

わからないことがあったら

電話でいいから相談して

先生の言葉にはいつも愛があった


遺された人の心にも

寄り添ってくれる人たち

何度も来たくなる

奇跡のような動物病院


動物と人の違いはあれど

命と向き合うことに変わりはない


医療は技術だけでは補えない

ハートがないと救えない

いつも私が心に刻んでいること


ジークを愛してくれた

すべての人たちに

心からの感謝を伝えたい

そしていつか

恩返しがしたい









Friday ~愛


私のジーク愛を知る

仲間からの贈り物

2枚のジークの似顔絵


白いツインフレームに入れ

リビングに飾る

眺めては見惚れ

時間が止まる


愛らしいジークが

いつもそこに


コブラヘッドと言われる

ハート型の輪郭

憂いを帯びた瞳

アルカイック・スマイルは

幸せの象徴


淡いブルーのグラデーションが

哀しいほどに美しく

目に入れても痛くないとは

このことなんだと知った


ジークは私たちの中で

今も息づいている


私に子どもはいないけど

ジークに無償の愛を注げたことが

何よりも嬉しかった


獣医さんに

お母さん、と呼ばれるのに

慣れなくて

いつも戸惑っていたのを

思い出し笑った









Saturday ~食


時の妖精が

私に呼びかける

そろそろ食べたらどう?


背中を押され

賑わう街に出れば

くすぶっていた食欲が

呼び戻される


焼鳥串を片手に

レモンサワーで乾杯

ほどよい酸味が食欲を誘い

会話も弾む


飼い主同士の席

ジークの思い出話になるのも

自然な流れ

避けて通れない

私たちの試練


涙もろくないはずの

彼が先に泣き出した

もらい泣きするなんて

まさかの展開


号泣する姿を見て

ふと我に帰る

カウンター席じゃなく

ボックス席で良かった


グラスの中身はいつの間にか

塩レモン味に変わっていた


シメは海老出汁カレーライス

スパイスと海老の香りに

自然と笑顔が戻る


ごちそうさま


ジークが身をもって

教えてくれたんだ


食べることは生きること

食べることは強くなること

食べることは幸せなこと


今日も食べられることに

感謝して合掌


いただきます









Sunday ~癒


気がつけば

首、肩、背中が痛み出し

全身悲鳴をあげていた


ずっと気になっていた

ターコイズ色の看板の

鍼灸院を訪ねる


筋肉を緩め

凝りをほぐしてもらう

状態に合わせて

手を尽くしてくれる


やはり相当重症らしい


忙しさのせいにして

後回しにしていたり

蓋をしていたことに気づく


身体と心は

どこまでも繋がっているから

小さなサイン

心の声を

見逃さないようにしよう


少しスピードを落とし

気持ちに余裕を持とう

マイペースさは

猫の手ほどきを


これから始まる

brand new days

ジークとの絆を大切に

生きていく


希望に満ちた

brand new days

ジークとの約束を胸に

歩き出そう

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brand new seven days 〜天国のジークに寄せて〜 うつりと @hottori

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