第28話 鳥兜の猛毒
おかしい、と雪玲は思った。
ひりひりと舌が痺れ、微かに指先が震えている。包子を食べれば食べるほど、その症状はひどくなる。
(毒を盛られた?)
身体に表れた症状からそう判断する。
ちらりと正面の崔婉儀を盗み見た。心なしか顔色が悪い。袖で口元を抑えて、身体を丸め込んでいる。
演技ではなさそうだ。包子に毒を入れたのは崔婉儀の策略ではないと分かり、ほっと息を吐く。反面、崔婉儀の体調が気掛かりだ。
雪玲が腰を上げ、崔婉儀に駆け寄ろうとすると玩具に飽きたのか、とたとたとつたない足取りで紅嘉が寄ってきた。
「ははうえ! これ食べていい?」
好物を目の前に、
崔婉儀が止めようと口を開く。
けれど、痺れが出ているのか声は音とならない。
雪玲も止めようと口を開くが痺れは舌だけでなく、喉にも達していた。
紅葉のような小さな手が包子を包み、口に運ばれる前に雪玲はその手をはたき落とした。
直後、殿舎に子供の泣き声が響き渡る。
「鳴美人!! 不敬な!!」
叩かれた手を抑えて泣きじゃくる紅嘉は、崔婉儀の足に抱きついた。
「なんてことを! 紅嘉様に暴行を働くなど万死に値します!!」
崔婉儀の侍女が声を荒げて雪玲を非難した。
雪玲の侍女も信じられないという目を向けてくる。
理由を言おうにも体を
(舌の痺れに脈拍にも異常がある。使われたのは恐らく
雪玲も何度か試したことがあるので間違いはない。使われたのはもっとも毒性が強い根の部分だ。
幸い、崔婉儀はゆっくりと味わいたいのか二口分しか口にしていない。これならすぐ対処すれば助けられる。
(鳥兜には解毒薬がありません。まず、するべきことは……)
いつもなら冷静に対処できるのに、頭が混乱して働かない。
(吐かせないと、それでその後、下剤を用意して——)
昔、読んだ本を思い出す。そう、最初は
(まず、水を用意しなければ)
侍女に命じようとするが言葉がでない。
崔婉儀の侍女は怒りに震え、金切り声で雪玲をなじった。それに幼子の泣き声も加わり、脳が揺さぶられる。鳥兜毒と相まって、今にも吐きそうだ。
雪玲は滲む汗を拭い、崔婉儀の体を起こした。顎を掴み、喉奥に指先を入れ、舌の根元を刺激する。えずくだけで、包子は吐き出さない。
「鳴美人様……?」
もう一度、喉奥に指先を入れた時、雪玲の様子がおかしいことに珠音が気がついてくれた。宮闈局を呼んでこいと荒れ狂う崔婉儀の侍女を睨みつけ、黙らせると雪玲の口元に耳を寄せる。
「どうされました? ご様子がおかしいですが」
「い、……ず」
駄目だ。きちんと発音できない。
「何か必要なものが?」
「み、じゅ、を」
「……水、ですか?」
雪玲は頷いた。
「量は? 桶ぐらいですか?」
首を左右に振る。
崔婉儀が吐き出した。吐瀉物で敷布が汚れたが気にしている余裕はない。
「大量に?」
縦に振ると珠音は鈴鈴と峰花に水を汲んでくるように命じた。
胃の中のものを全て吐き出させたら、気道を確保するために横にする。
「他になにか必要なものはございますか?」
胃洗浄を行うための筒も欲しい。これは竹製の
これらは持参した箱に入れてあるので箱を指差した。
流石にここまでこれば主人を苦しめる毒に気が付いたようで、崔婉儀の侍女は怒りではなく悲鳴をあげた。
(うるさい。何もできないなら黙って見てて)
内心で毒づく。怒ったり、悲しんだりする暇があるなら水を運んできたりして欲しい。騒がれれば騒がれるほど、正常な思考は鈍くなり、処置の手も緩んでしまう。
苛立ちを鎮めるべき、息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
(麻痺はあるけれど、大丈夫)
それを何度か繰り返して、混乱が収まったのを自覚してから珠音が持ってきた箱から必要なものを出して並べた。
ちょうどよく、桶を手にした鈴鈴と峰花が戻ってきた。
「峰花、医官を呼んで来て。鈴鈴は水を汲んできてちょうだい」
珠音が素早く命じる。優秀な侍女がそばにいて、雪玲は安堵の息を吐く。
「あなたは哀廉皇女を外に。他の者は水を汲んできなさい!」
侍女達の統括は珠音に任せて、雪玲は胃洗浄に取り掛かることにした。
使用するのは専門の器具ではなく、玩具の水弾だ。水が器官や肺に入り、
(鳥兜毒は早く吐き出させないと。吸着させる活性炭もないのですから)
早くしなければ手遅れになる。珠音の協力の元、水弾で胃に水を送り込み、
(……駄目ですね。久しぶりに毒を食べたから、体がうまく動かせません)
どうにか平常を装い、珠音と医官の会話に参加しようとするが雪玲の体は限界が近かった。喉奥から込み上げる異物に耐えられず、その場で吐き出した。
(私はやはり出来損ないです)
世界が歪み、霞んでゆく。
珠音の叫びを聞きながら、雪玲は意識を失った。
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