第24話 桃花の宴(3)


「来たがっていたが、今日の主役は春燕だ。だから遠慮してもらった」


 どうやら、塞ぎ込んでいた妹が茶会を開きたいと言ったことにひどく感動したようだ。会場はどこにするか、料理や菓子の種類、官の配置についてまで口を挟んできたので、うんざりだと彩妍は肩を持ち上げる。


「私が喜ぶ姿が嬉しかったらしい。そのきっかけを作った春燕に褒美があるそうだよ」


 キッ、と二人の視線が矢のごとく雪玲に刺さる。これが実像を伴っていたなら、きっと致命傷を負っていた。


(彩妍! それは言わなくていいことです!)


 心の中で叫ぶ。にこにこと貼り付けた笑顔のせいか、彩妍には伝わっていないようで器に盛られた山盛りの果実の中から石榴ざくろを手に取っていた。袖が汚れるのも構わず、素手で実を割り、中身を啄む。


「高貴妃も来なかったようだ。兄上が来ないなら顔ぐらいだすと思ったのだが」

「仕方ありませんわ。御子を二人も失ったのですもの。三年が経っても心の傷は癒すことは難しいですわ」


 柳眉をひそめた乾皇后が悲しげに首を振る。


「私なら死ぬまで自分を責め続けます」


「そういえば聞きまして? また、子供の泣き声が聞こえたそうよ」

「またなの?」


 高淑儀の言葉に、乾皇后が怯えたように首をすくめた。


「ええ、夜警を務めていた宦官と宮女が聞いたとか」

「やはり、道士を呼んだ方がいいのではないかしら」

「呼んでも姉は嫌がって追い出すでしょう。亡くなった御子だと思っているから気にしないのでは?」

「心が病むと現実かそうかも判断がつかなくなるのね……」


 話が見えなくて雪玲は彩妍に耳打ちした。茘枝らいちの殻を剥くのに苦戦しながら「高貴妃の宮にでる幽鬼の話だよ」と教えてくれた。


「幽鬼、ですか?」

「怪談が苦手なのか? ——あっ」


 力を入れすぎたのか茘枝の中身が飛び散った。瑞々みずみずしい白い果肉が、雪玲の襦裙に付着してシミを作る。


「貸してください。私が剥くので」


 半ば無理やり、彩妍から茘枝が盛られた器を取り上げる。この衣装は翔鵬からの贈り物で、趣味ではないので汚してもらって結構だが、これ以上、珠音を怒らせるわけにはいかない。

 現に、端で控える珠音の眉間には薄っすらとだが皺が寄っている。


(本当ならこういう事は侍女か宮女がするべきなのでしょうけれど)


 妃嬪は美しくあるべきで、こういう指先や衣装が汚れる作業はしない。長公主である彩妍もなのだが、彼女は一人で何事も解決したい性分らしく、侍女の力を借りることを良しとしない。


「苦手というより、見たことも聞いたこともないのでどんなものかは気になります」

「鳴美人は入内して浅いですものね。知らなくて当然だわ」


 にんまりと赤い唇が弧を描く。


「茶会の件はご存じかしら?」

「お妃様が何人か亡くなられた事件ですよね」


 袖で口元を隠し、怖くて仕方がないという体を装う。乾皇后は唇をもっと持ち上げてみせた。


「そうよ。その件で高貴妃は心を病んで、宮に閉じこもってしまったのよ。彼女が閉じこもってどれぐらい経った頃かしら?」

「確か、四ヶ月経った頃ですよ。皇后様」

「ああ、そうだったわね。林徳儀と李順儀が亡くなったその直後から彼女の宮から子供の声が聞こえると宮女の間で噂になったのよ。朝や夜問わずね」

「皇子様と皇女様がまるで生きているようだと噂になりましたね」

「高貴妃が呪術を行ったと言われているわ」


 ちらり、と乾皇后は雪玲の顔色を伺う。


「その頃、高貴妃の宮には道士がよく訪ねていたそうよ。御子に会いたくて、高貴妃が呼びつけたと言われているわ」

「それは私も初耳だ。確かにあんなむごいことがあれば、道士の力で子供を生き返らせようと考えても不思議ではない」


 茘枝に飽きたのか、彩妍は石榴を頬張る。

 剥く必要はないと判断して、雪玲は茘枝の器を元の位置に戻した。宮女が濡れた手巾を差し出してくれたので、それで指先を拭い、会話に耳を傾ける。


「ええ、本当に惨かったですわね。鴆毒に侵されるとああも醜くなるなんて」

「醜くですか?」

「鳴美人はいらっしゃらなかったものね……。亡くなられた当初はみんな普通の肌の色でしたのに、徐々に全身が黄色になってしまわれたのよ」


(肌が黄色に……。肝臓を悪くしたという事でしょうか? 生薬なら黄芩おうごんの副作用として挙げられますが、黄芩を使うのは鴆薬だけのはずです。昔は鴆毒でも使っていたそうですが、今は使われていないはず)


 鴆毒はそのままでも十分な効果を発揮するが毒性を高めるため、又は素人でも使用できるようにいくつかの生薬を混ぜ、毒性を弱めたものがある。前者は董家の人間用に、後者はない者に向けて作られている。

 市場に出回っているとすれば後者なのだが、雪玲の記憶が正しければどちらも全身が黄色になるという症状は報告されていない。それも一人ではなく、亡くなった全員がなど。


(生き残った方が新しく作ったのでしょうか?)


 その考えもすぐさま否定する。もし、仮に生き残りがいたのなら従来の調合方法を使うはずだ。 


「——春燕、大丈夫か?」


 彩妍に揺り動かされて、自分が思考の海に沈んでいたことに気がついた。


「顔色が悪いな。今日はもう休みなさい」


 雪玲の返事を待たずに、彩妍が珠音を呼ぶ。

 大丈夫だ、と言う前に駆けつけた珠音によって立ち上がらせられた。


「まあ、鳴美人。今にも倒れそうよ?」

「本当に。長公主様の言う通り、ゆっくり休んだらいかが?」


 わざとらしい、憂わしげな表情で二人は雪玲に殿舎に帰るよう言ってくる。彩妍に近づく絶好の機会を逃がさないため必死だ。


(話は聞きたいけれど、少し考えたいことがありますし)


 この宴で得られた情報は少ないが価値があるものばかり。誰もいない場所でじっくり考えたいと思った雪玲は言葉に甘えることにした。


「申し訳ございません。せっかくの歓迎の儀を台無しにしてしまって……」

「気にするな。今はしっかりと休みなさい」

「はい、そうさせていただきます。失礼いたします」


 刺々しい視線を背に受けながら、雪玲は禁苑を後にした。

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