第9話 理由


「瑞王様を立たせたままで、私達だけが座るなんてできないじゃないですか」


 雪玲の言葉に、優男がくつくつと喉を鳴らした。愉快そうに両目を細めて、唇に笑みを浮かべると傍らに控える大男の肩をバシバシと叩く。


「こいつは違いますよ。確かに瑞王様の姿絵とそっくりですので、よく間違えられますがね」

「いえ、そちらの方ではなく、あなた様が瑞王様ご本人ではないのですか?」

「私は違いますよ。それに私に様付けは必要ありません」

「自分より遥かに尊いお方を呼び捨てなどできません」

「面白いことをおっしゃる。我らは武官として白暘様の護衛を任された身、そのような心配は必要ありませんよ」


 雪玲は大きな目を瞬かせた。


「白暘様ともう一人の方が護衛官で、あなた様が護衛対象のようのお見受けしますが」


 おずおずと問いかけられたその言葉に、優男は目尻を鋭くさせる。口元から笑みを無くすと不遜な態度で腕を組み、雪玲を見下ろした。


「……なぜ、俺が瑞王と思ったんだ?」


 見た目と反した荒々しい動作で椅子に腰を下ろす。その際、目の前に座る紫旦の存在が不愉快だったようで「退け」と短く命じた。

 紫旦が慌てて立ち上がり、揖礼すると冷めた目で一瞥し、雪玲へと視線を向ける。


「あの偽りだらけの姿絵から俺が瑞王だと推測したのか?」


 彼が帝位継承した年の帛画はくがを拝見したことはある。そこに描かれている人物は、冕冠べんかんから垂れた宝珠越しにも分かる勇ましい容姿をしていた。双眸そうぼうはまるで獣のように鋭く、太い鼻梁びりょうに、口元を囲うように黒々とした髭が生え、鍛えられた肉体を黒色の冕服べんふくに包んでいた。

 それに対して、目の前の優男は正反対の容姿をしている。涼しげな目元にすっと通った鼻梁、武官の姿がとくと似合わない。男装をしている女性、と言われた方が納得できる風体だ。


「あなた様の履沓くつが、他の皆様のと比べ、綺麗でしたのでそう思っただけです」


 雪玲は揖礼を崩さず、応えた。瑞王の許可がないまま、姿勢を崩すことはできない。


「履沓だと?」


 優男——翔鵬は自らの足元に視線を落とした。


「なぜ、それで俺が瑞王だと分かるんだ」

「二日前、隣村では雨が降っていたと我が家を訪れた商人の方から聞きましたので」

「それだけで分かるものなのか?」

「白暘様やもう一人の護衛の方の履沓は少々、汚れておられます。我が家を訪ねる直前で泥を落としたのでしょうが王都から杞里この地まで、結構な距離がございます。その際に付いた傷は泥を落としても共に落ちません。特に泥が傷に入り込めば目立ちます。対して、瑞王様の履沓は泥を落した跡もなければ、傷もありません。綺麗な、新品のようです。だから輿か、軒車に乗ってきたと考えました」


 翔鵬は両目を細める。


「それだけならば、俺が瑞王本人でない可能性もあるだろう」

「あなた様が纏っている香りがユドラ公国産のお香、桷寂かくじゃくと酷似していたので……」

「さすが商家の娘だ。犬のように鼻が効くのだな」


 嘲るような物言いだ。ふつふつと込み上げる怒りをどうにか飲み込み、雪玲は平然とした態度で続ける。


ずみの実とユドラ公国でしか採掘できない鉱石で作られたそのお香は、ほんの一欠片が金に値する、と聞きました。そんな高級品を普段使いできるのは瑞王様だけだと思いました」


 次に雪玲は翔鵬の手を見つめた。


「白暘様ともう一人の護衛の方の手とあなた様の手の違いも理由の一つです」

「手?」

「私はあまり詳しくはございませんが、剣を握るものは手のひらにたこができると聞いております。御二方の手はたこが大きく、所々に切り傷がございます。それは鍛錬を積んだ者の証だからと思いました」

「……確かに俺の手は違うな。たこはあれど、これでは武官と偽ることはできないな」


 それから、と雪玲は言葉を重ねようとするが、


「まだあるのか? もういい。もう分かった」


 翔鵬が嫌そうに手を振ったため、口をつぐむ。


「白暘の言う通りの娘だな。お前のような観察眼の鋭い女に、俺は会ったことがない」

「お褒めに預かり光栄です」

「それにいい根性をしている。お前、入室した時から俺が瑞王だと気付いていただろう。その上であのように無邪気に喜びを表現できるとはな」


 急に話を切ると翔鵬は顎に手を添えて雪玲を観察し始める。顔の造形を細部まで眺めていたと思えば、視線は首筋を辿り、肩から指先へ。胸から腰、爪先へとまんべんなく眺め、最後はまた顔へと戻ってきた。

 刺すような視線は鬱陶しいが、翔鵬が雪玲じぶんを値踏みしていると察し、我慢する。

 しばらくして満足したのか翔鵬は視線を雪玲ではなく、紫旦へ向けた。


「おい、鳴家当主よ。お前は出て行け」


 冷たい声音は有無を言わさない威圧感があった。

 名指しされた紫旦は唇を強く噛み締め、頭を深く垂れると踵を返した。賢明な判断だ。ここで逆らえば、すぐにでも首を落とされていただろう。

 扉が閉まる音を聞きながら雪玲は揖礼の姿勢のまま、黙っていた。じっとするのも限界が来たところで翔鵬が「楽にせよ」と命じたため、姿勢を戻した。


「白暘、説明しろ」


 背もたれに深く腰掛けた翔鵬は顎で白暘を指した。

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