第8話 来訪者の正体


「お待たせしてしまい、申し訳ございません。鳴紫旦が娘、春燕と申します」


 雪玲は微笑をたたえながら揖礼ゆうれいを捧げた。

 義父に連れてこられたのは普段は客間として使っている一室だ。やや手狭ながら凝った内装をしていおり、そこに置かれている調度品はどれも一級品と言っていい代物しろものばかり。客間の中心には、商談の際に使う円卓が置かれて、それを中心に豪奢な彫刻が刻まれた椅子が設置されている。

 その一つに客人——白暘が腰を下ろし、くつろいでいた。その背後には二人の男が控えている。片方が屈強な体躯を持つ大男で、もう片方がひょろりとした体躯を持つ優男だ。帯佩たいはいしているところを見るからに、白暘の護衛を務める者達のようだ。

 白暘は雪玲を視界に入れるとぱっと明るく笑いながら席を立った。


「春燕どの、お久しぶりですね」

「ええ、お久しぶりです。元気そうで安心しました」


 お淑やかに見えるようにゆっくりと裾をさばき、雪玲は室の中央へと歩を進める。桃色の上衣うわぎに胸上まで引き上げられた紅色のくん、裙が落ちないように締められた飾り紐は春らしい緑色。齊胸さいきょう襦裙じゅくんと呼ばれるこの型は、今、王都で流行っているという。登山用の胡服こふくでは鳴家の淑女として恥だと着せられたものだが、やはり歩きにくくて嫌いだ。


「あの後、不調などございませんでしたか?」

「ええ、あなたからいただいた薬のおかげで絶好調です」


 いつぞやのように白暘は笑顔で応える。胡散臭い、その笑顔で。


「急な来訪、お許しください。本日、私は瑞王様の名代みょうだいで、あなたをお迎えにあがりました」

「いえ、あの、ありがたい申し出ですが春燕はこの杞里から出たことはなく、我らも甘やかしすぎたのか少々世間知らずに育ちました」


 答えたのは紫旦だ。落ち着きを取り戻したのか普段通り、とまではいかないが冷静に言葉を選ぶ。


「親の欲目抜きにしても美しく、聡い子ではございますが瑞王様のお妃様としては不十分だと……」

「それは、瑞王様の御慧眼が間違っているといいたいのでしょうか」


 白暘は穏やかな口調ながらも、辛辣に言葉を発した。


「瑞王様は、治療不可能といわれた鴆毒を解毒したこと、見ず知らずの私を助けたその慈悲深い心を気に入ったのです」

「し、しかし、春燕には婚約者が」

「だから瑞王様の判断に背く、と聞こえますが」


 怒気を含まない、凪いだ湖のように穏やかな口調は、彼の真意が読めず恐ろしさを感じさせる。

 数多くの商談をまとめあげた手腕を持つ紫旦が、瑞王の名代として訪れた白暘にどう言葉を返せばいいのか迷っているそばで雪玲は嬉しそうに両手を合わせた。


「瑞王様に見初められるなんて嬉しいです。快くお受けいたします」


 これは好機だ、と雪玲は思う。受かるか分からない秀女選抜より、この話に乗った方が確実に瑞王の目に留まる。


(まあ、目をつけられるのは変わりないですけど)


 だが、宦官から贔屓されるよりかはマシだろう。

 高揚こうようする頬を押さえた雪玲は子供のようにはしゃいで見せた。隣からの「黙ってろ」という紫旦の圧力に気づかないふりをして。


「しゅ、春燕、何を言っているんだ?!」

「あら、だって嬉しいのですもの」

堯賢ぎょうけんどのがいるのだぞ?!」


 それは春燕ほんものの婚約者であって、雪玲じぶんのではない。と口が裂けても言えないため、雪玲は「瑞王様の方がいいじゃないですか」と言い返した。

 それでも、なお紫旦は難色を示した。王命に逆らえば、首が飛ぶことは知っているはずなのに、頑なに首を縦に振らない。


「春燕どのの方が賢かったようですね」


 嫌味をいいつつ白暘が近づいてきた。


「いやぁ、よかったです。春燕どのにも振られたらどうしようかと思っていましたよ。無理やり攫っていくところでした」


 からからと笑っているが冗談には聞こえない。雪玲が断ってもきっと無理に攫っていくつもりだったのだろう。


(やはり、瑞王が鴆を欲していることとなにか関係があるのでしょうか。私の腕が目当てか、体質か、それとも両方か)


 白暘の言動から城内——恐らく後宮内で鴆にまつわる出来事が起こったと推測できるが、


雪玲わたし以外、死んでしまったのですからそれは不可能でしょう)


 ならば、なにゆえそこまでして自分を欲するのか。その理由が分からず、雪玲は困り果てた。


「断れば人攫いをなさるおつもりだったのですか?」


 心情を悟られないように、雪玲がにっこり微笑み問いかけると白暘は肩を持ち上げた。


「承諾を得られなければ、それもやむを得ませんから」


 否定しないどころか、素直に同意したので狼狽うろたえる。

 そんな雪玲を、白暘は一瞥いちべつするとどこからか巻子本かんすぼんを取り出した。赤色に染められた紙を束ねる金糸を紡いだ紐が鈍い光を放っている。


「では、承諾書に署名をいただけますか?」


 承諾書? と雪玲は聞き返す。入宮の際に承諾書が必要だと聞いたことない。


「はい。入宮の際、皆さまに記入していただくものです」


 それに、紫旦が待ったをかけた。


「お待ちを。私はまだ承諾しておりません!」

「ご本人の承諾は得られましたよ」

「しかし、この子は私達夫婦にとって大切な一人娘で、後宮になんて」

「タダで娘を貰う訳ではありません。瑞王様から褒賞をいただけますし、瑞王様の口添えがあれば商売相手も増えて前のような生活に戻れます」

「……今の生活で満足しているので、それは結構です」

「春燕どのが男子を成せば、国母の父になれるかもしれませんよ?」


 白暘は巻子本を円卓の上に広げながら「悪い話ではないと思いますよ」と続ける。


(なぜ、お義父様は嫌がるのでしょうか。利点も多く、絶好の好機だと思うのですが……)


 自分を迎えにきた宦官と、自分を手放さないと交戦する義父の姿を眺めながら、雪玲は首を捻った。

 紫旦は実娘である春燕が亡くなったことを瑞王のせいと考えている節があり、誰よりも瑞王を恨んでいる。隠居と違い、紫旦は董家と取引相手以上の仲ではない。それなのに危険を犯してまで雪玲じぶんを匿うのは、いずれ瑞王に復讐するため——。


(と、思っていました。私の正体がバレることを憂いているようにも見えません。本当に、心配しているみたいですね)


 その表情が表す意味を理解できない。瑞王に近づける好機なのだから、紫旦にも応援してほしい。けれど、この様子では了承は得られなさそうだ。

 ため息をつきたい衝動を抑えつつ、雪玲はそっとまつ毛を伏せた。


「お義父様、私は後宮に入りたいと思っています」


 いつものようにゆったりと、けれど芯のある声音で囁く。


「これは我が家にとって僥倖なことです。なにゆえ、お義父様は嫌がるのですか?」


 雪玲は紫旦が応えられないことを承知で理由を問いかけた。

 現に、紫旦はぐっと言葉に詰まり、項垂れる。

 そして、小さく、蚊が鳴くような声で「……分かった」と呟いた。


「紫旦どのの同意も得られたことですし、さあ、こちらへ」


 ことの顛末てんまつを見守っていた白暘が椅子を引き、着席を促した。その顔はやはりにこやかで、苛立ちや怒りなど負の感情は見当たらない。

 白暘の勧めるまま紫旦は人形のように歪な動作で腰かけた。


「さあ、春燕どのも」


 首を振って断ると雪玲は壁際に立つ、二人の武官へ視線を向けた。


「お二人もぜひ、ご着席ください。ずっと立ったままはお辛いでしょう」


 声をかけられて、二人は一瞬、動揺したかのように体を揺らした。大男は困惑し、優男は笑いながら、そろって首を振る。


「いえ、我々は護衛ですのでこのままで」


 応えたのは大男だ。筋骨隆々の、猛々しい姿に似つかわず落ち着いた声は優しさをはらんでいた。


「では、私達も立ったままでいいです。お義父様も立ってください」

「彼らはただの武官ですから気にしなくても大丈夫ですよ。春燕どのはお優しいのですね」


 お優しい、という単語に雪玲は白んだ眼差しを白暘に送る。


「瑞王様を立たせたままで、私達だけが座るなんてできないじゃないですか」


 その言葉に、雪玲以外、雷に撃たれたように固まった。

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