第7話 消失

 カイラは描き上がった召喚陣を前に、大きく深呼吸した。

 陣は仕切りいっぱいに整然と広がり、線は均一、文字も記号も手本そのまま、あるべき場所にきちんとおさまっている。

 あの日、練習室で描いた時のような会心の出来でこそなかったけれど――。


(ためらってても仕方がない)


 今日で試験は三日目。昨日、召喚を成功させた生徒はいなかったから、合格者は相変わらずドルト一人だけだ。

 事故死したフーゴの仕切りはすでに片づけられ、今、大講堂には三十三人の受験生が残っていた。

 カイラは意を決して手を挙げる。


「描けました」


 ニッセがこちらにやってくる。カイラの召喚陣を一瞥すると、あごを撫でて「ふむ」と頷いた。


「よし。召喚んでみろ」

「はい」


 カイラはチョークで陣の外周を閉じ、祈るように両手を組んだ。

 あちこちの仕切りで、生徒たちが手を休め、顔を上げてこちらをうかがっている。

 カイラの陣は派手さこそないものの、そのおそろしいほどの精密さは、クラスでも知らぬ者はなかったからだ。

 彼女なら、初めてでもきっと高位の使い魔を召喚するに違いない。

 口には出さずとも、誰もがそう思っていた。


 カイラはひとつ咳払いすると、声を張った。


「天と地と、そのあわいを満たす空。三なる円もて我はぶ。

 道なき道のしるべとなり、我を真実まことに導く者、

 我、いましと終生の契りを交わさん。

 我は汝に名を贈る者なり。我、汝をヴェリと名づける。

 来たれ、ヴェリ、我がもとへ!」


 静まり返った講堂に、カイラの澄んだ声がこだまする。

 固唾を呑むような沈黙の中、召喚陣はふわりと床から浮き上がり――……。


 ――音もなくはじけて消え去った。


(嘘……)


 カイラは呆然と、拭ったようにうつろになった床を凝視した。

 失敗したのだ。

 背後で、他の生徒たちも驚いたようにざわめいている。


「カイラ・ロンギ、不合格。明日以降、再びの挑戦が許される」


 ニッセがたんたんと告げ、すたすたと教壇へ戻っていく。

 と。


「すみません。描けましたのです」


 他の仕切りで誰かが手を挙げた。

 黒いローブの胸に、二年生の黄色いリボンを結んだ女生徒だ。

 やがて召喚の詠唱が始まり、どよめきと共に新たな使い魔が現れた。


「……その陣が末永くまどかならんことを!」


 ニッセが決まり文句を唱え、他の生徒たちが「弥栄いやさかに!」と応えるのを、カイラはうなだれたまま聞いていた。

 その日、召喚を成功させた生徒は五人。

 仕切りがかたされ、大講堂の灯が落とされる刻限になっても、カイラはその場を動けなかった。

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はじまりの魔法陣 円夢 @LuciusVorenus

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