移動博物館ティーセット

斉凛

ワイルドストロベリー

 今か、昔か、はるか未来か。時間に縛られないどこかに、移動博物館ティーセットがあった。

 いつのまにか現れて、いつのまにか、どこかへ行ってしまう。


 過去へ、未来へ、西へ、東へ。

 ぷかぷかと浮かぶ雲のようなその博物館には、いつも三人がいた。


 和の国の着物を着た黒髪の少女は、いつも快活に無邪気にほほえみ。

 空色の瞳をもつ中年紳士は、茶目っ気あふれるおおらかさで客を歓迎する。

 明るい二人にそっとよりそう、褐色の肌の青年は、不器用だが、誠実だ。


「お茶会しましょ、そうしましょ。博物館と一緒に移動する、そんな自由な喫茶店」

「それは楽しい時間だね、レディ」

「その茶会に……添える花を育てておく」


 そんな気まぐれで、ふわっとした喫茶店。今日のお客様は、どんなかたでしょう?




「どうせ……あたしはいらない子なんだもん」


 そんな愚痴をこぼしつつ、リーゼロッテはなれ親しんだ山道を歩いた。

 本当はリーゼロッテも知っている。

 自分がいらない子なのではなく、妹・アウレリアが生まれて忙しくて、今までのようにお母さんに甘えられないだけなのだと。

 お姉さんだから我慢しないといけない。そう思っても、やっぱり寂しさはなくならないのだ。


 小鳥のさえずりを聞きながら、森の小道をくぐりぬけ、木々のあいまを、歩いているうちに、リーゼロッテは不思議な生き物をみつけた。

 白くてふわふわで、長い耳と赤い目はウサギのようで。しかしウサギにしては尻尾は長く、耳もとがってる。

 ふとその不思議な生き物と目があった。


「あなたはだあれ?」


 まるでリーゼロッテの言葉がわかるかのように、首を横に振って、ついて来いと言わんばかりに、駆け出した。


「待って!」


 倒れた木をよじ登り、茂みの下をかい潜り、追いかけて、追いかけて、森の奥へ、奥へと突き進み、突然ひらけた場所にたどりついた。


「こんなところに、こんな場所……あったかな?」


 森の奥とは思えぬ、広々とした青空のした、どっしりとした石造りの建物があった。

 壁はぐるりとガラス窓にかこまれ、屋根もドーム型のガラス張り。建物のまわりには、花が咲き乱れる庭があって、甘い花の香りがただよう。

 木漏れ日でキラキラと輝くガラスを見ただけで、リーゼロッテはうっとりした。


 その建物のまえに、古びた真鍮の看板があった。

 『移動博物館ティーセット』

 それがここの名前らしい。そっと窓から中をのぞくと、棚に並べられた、たくさんの茶器がある。

 優美なティーカップやティーポット。遠い異国風のものもあって、窓から覗いてみるだけでも、時間を忘れてしまう。

 中に入る扉はないだろうか……と建物をぐるっと一周まわってみる。


「あれ?」


 窓はたくさん並んでいるのに、ドアがない。これではどうやって中に入ればいいのか、首を傾げてしまう。

 リーゼロッテは中に入るのを諦めて、窓から室内をじっくりながめた。どの窓から見ても素晴らしい茶器が並んでいる。

 あんな美しいティーカップで、お茶が飲めたらいいのにな……と、リーゼロッテは憧れのティータイムに思い浮かべた。

 ふと足元をくすぐる感覚に下を見ると、あの白い不思議な生き物が、リーゼロッテの足に絡みつく。

 撫でようと手を伸ばすと、するりと伸びて、また逃げてしまう。


「リン。貴方どこ行ってたの? 館長が探してたわよ。……あら? お客様?」


 鈴を転がしたような愛らしい声に、リーゼロッテはパッと振り向いた。

 年の頃は十三、十四くらいに見える。リーゼロッテよりお姉さん。

 東洋人らしい黄色味をおびた肌は、滑らかでスベスベで、艶やかな長い黒髪を肩の上で切り揃え、大きな猫のような耳がひときわ目を引いた。

 赤い着物に黄色い帯。白いフリルのエプロンが、とても似合って綺麗だと、リーゼロッテは思った。

 大きな赤い瞳でじっとリーゼロッテを見つめる。


「あ……あの、ごめんなさい。ちょっと、ちょっと、のぞいていただけなの……」


 リーゼロッテがワンピースの裾をぎゅっとつかんで俯くと、少女のか細い手がそっと頬にふれる。

 やわらかな手に導かれるように、おずおずと見上げると、無邪気な笑顔が目に飛びこんできた。


「謝らないで。お客様は大歓迎なんだから。あたしの名前は柘榴ザクロ。貴方のお名前は?」

「……リーゼロッテ」

「リーゼロッテ! 素敵なお名前ね。覗きたくなるくらい、茶器が好きななの?」

「う、うん。紅茶、好きだから」


 その言葉を聞いた途端、柘榴は着物の袖を揺らしながら、飛び跳ねて喜んだ。耳がぴこぴこ揺れている。


「紅茶好きなのね。だったら、一緒にお茶しましょ。ほらほら、こっちこっち」


 柘榴に案内され、リーゼロッテは早足で歩きだす。

 柘榴は建物の脇をぬけ、花畑に入っていった。その後ろを歩きながら、遠ざかる博物館を名残惜しむように、リーゼロッテが振りかえった。


「あっ」


 ついうしろが気になって足元の段差につまづき、転びかける。そのときリーゼロッテをふわりと青年が抱きとめた。


「大丈夫か?」


 リーゼロッテが見上げると、背の高い黒髪の青年がいた。

 リーゼロッテが見たこともないオリエンタルな服を着て、大きな黒い瞳と、褐色の肌。

 整ったエキゾチックな容姿が、珍しくてリーゼロッテはついつい見惚れてしまう。


「アグニ。その子はリーゼロッテ。お客様なの。お茶会をするのよ。テーブルに飾る花を選んでちょうだい」


 柘榴がそう言うと、アグニはリーゼロッテから離れて少し首を傾げた。


「好きな花か、好きな色はあるか?」


 リーゼロッテは見惚れていたことが恥ずかしくて、うつむいてもじもじしつつ、小さく口を開いた。


「花の種類はよくわからないけど……ピンクが好き」


 そっと見上げると、アグニは小さく頷いた。腰につけた鋏を手に持って、庭に咲いた一つの苗から、ピンクの花を切りとる。


「スイートピー。『優しい思い出』という花言葉もある。良いティータイムになるといい」


 表情はぶっきらぼうだけど、ゆっくりと語る声に優しさを感じて、リーゼロッテの胸が高なった。


「アグニ。東屋でお茶会をするの。準備を手伝って」


 アグニは小さく頷いて、花を柘榴に渡してどこかへいってしまった。リーゼロッテはもうちょっとアグニと話したかったと思いつつ、柘榴について歩いた。

 木々の合間をかきわけて、たどりついたのは、黒い柱のうえに、黒いとんがり屋根がついた東屋。

 四角く囲われた場所に丸いテーブルとイスが置かれている。柘榴が手に持ったスイトピーをガラスの花瓶にいけはじめた。


「ここでティータイム?」

「そう。今日は天気も良いし、気持ちが良いでしょう? それにここは、庭中どこでも、ティーハウスなの」

「ようこそティーハウスへ、小さなレディ」


 落ち着いた低い声が聞こえて振り返ると、男が布とトランクを持って歩いてきた。

 金色の髪に少し白いものが混じり、白い肌にはシワがきざまれ、口元には上品に整った髭。青い瞳が優しくまたたいた。

 白いシャツに青い石のついたループタイと茶色のベスト。細身のグレーのパンツに黒のロングブーツを着こなす姿は、リーゼロッテにはとてもおしゃれな感じがした。


「私はウィリアム。この博物館の館長をしている。変わった建物でびっくりしただろうね」

「うん。ドアがなくて、どうやって入るの?」

「あそこは窓からお客さんに眺めてもらう博物館なんだ。あまりに貴重な品ばかりで、うっかり落として割れてしまうといけないからね」


 そんな貴重な品があるとは知らなかった。うっかり入らずにすんでよかったとリーゼロッテは思った。

 花を生け終わった柘榴が無邪気にほほえむ。


「館長。アグニから聞いた?」

「もちろん。レディたちのお茶会だから、とびきりの茶器を用意したさ」


 茶目っ気たっぷりのウインクと共に、レースに縁取られた白い布をテーブルに広げる。そのうえに花瓶を置くだけで、テーブルがパッと華やかになった。

 黒の頑丈なトランクを開けると、白くて可愛らしいティーセットが次々とでてくる。

 丸く大ぶりのティーポッド。口が広がる優雅なかたちのティーカップ。牛乳がたっぷり入るミルクポットに、砂糖壺。デザートを乗せる丸い皿まで、すべて同じ白地に野苺の絵が描かれていた。


「イングランドの陶磁器メーカー・ウェッジウッドのワイルドストロベリーというシリーズの茶器だよ。可愛いレディにぴったりじゃないかな? さあどうぞ。手にとってご覧あれ」


 ちょこんとお辞儀をしてイスに座ると、リンが足元にすり寄って、登りたそうにリーゼロッテを見上げた。

 だからお膝に抱っこしてみると、ふかふかで、ふわふわで、撫でるだけで幸せだ。


 それからリーゼロッテは恐る恐るティーカップに触れた。

 ひんやりと硬くてつるりとした磁器の感触。純白に散りばめられた緑の葉、ピンクの小花、野苺の実。まるで絵本の世界のように可愛らしい絵柄が、嬉しくて思わず笑みがこぼれる。

 でもすぐに何かに気づいて、おどおどと見上げた。


「こ、これも……とても貴重なものですか?」


 もしうっかり落として、割ってしまったらと、怖くなったのだ。


「大丈夫。このシリーズはとても人気があって、広く売られてるから。仮に割れてしまっても、すぐに買い換えられる。そのほうが小さなレディには安心じゃないかね?」


 館長の優しさにリーゼロッテはホッとして、今度こそじっくりティーカップを眺めた。

 リーゼロッテがティーカップに見とれているうちに、いつのまにかアグニがやってきて、テーブルの上にどんどんお菓子を並べていく。

 スコーンとラズベリージャムとクロテッドクリーム。焼きたてのスコーンから、香ばしい小麦粉とバターのにおいがただよって、思わずリーゼロッテは喉をならした。


「スコーンは焼きたてが一番なのよ。紅茶はミルクやお砂糖入りが好き?」

「うん。たっぷり甘いのが良いな」


 いつの間にか用意された火鉢のうえで、やかんから湯気がただよう。

 柘榴はティーポットをさっと温めてから、茶葉をティースプーンで計って入れ、お湯を注いでコゼーをかぶせ、蒸らしたら、あっという間にお茶の準備のできあがり。


「はい。ミルクティーだからアッサムにしてみたわ。インドのアッサム地方でとれるお茶なの。ミルクに負けない味の強さと、甘い香りがするの」


 黒っぽい赤茶色の紅茶は、白いカップによく映えた。紅茶から立ち上る湯気のにおいが、不思議と甘い。

 ミルクポットからたっぷりミルクを入れ、角砂糖を入れてウサギの持ち手のスプーンで、ぐるりとかきまわす。

 リーゼロッテはカップを両手を添えて、そっと口にはこんだ。

 ごくり。やさしい甘さと濃厚なミルク。それに負けない紅茶のコクとほのかに甘い香り。思わずリーゼロッテはうっとりした。


「スコーンも冷めないうちに召し上がれ」


 勧められて、あたたかいスコーンに手をのばす。

 バターナイフで、横に半分に切ると、ふわっと断面から湯気があふれた。

 クリームは遠慮なく山盛りに。ラズベリージャムもたっぷりのせて、かぷり。


「甘酸っぱくて、とってもおいしい!」


 外はカリッと、中はふんわりなスコーンは小麦粉の香りが香ばしく。クロテッドクリームは最初はこってりしてるのに、甘さはなく後味はすっきり。ラズベリージャムの甘酸っぱさもたまらない。


「このクリームと、ジャムは、とてもぴったりね」

「レディにお気に召していただいてなによりさ」

「……スコーンとミルクティーを、一緒に食べると、さらに美味しい」

「アグニのお手製スコーンは、いつもとびきり美味しいわ」


 館長は優しい笑みを浮かべ、アグニは背筋をぴんと伸ばして生真面目に。石榴は日だまりのような無邪気な笑顔で。

 三人の空気に包まれて、リーゼロッテの心がほろほろ、ほどけていく。

 スコーンをさくり、ミルクティーを一口。スコーンとミルクが、口の中で出会った。


「……あ!」


 スコーンの生地にミルクティーが染み込むと、また味わいが変化した。塩気のせいか、ミルクの甘さがより強く感じる。

 それがなんだか泣きそうなほどに美味しい。


「……お母さんが焼いてくれたバタークッキー。ミルクと一緒にたべるとこんなあじだった。でも……いまはお母さんも、いそがしくて、クッキーも焼いてもらえない」


 忘れていた味を思い出したら、胸の底にたまった想いがあふれだし、ぽろぽろと涙が落ちる。言葉もはらはらとこぼれた。

 妹が生まれてから、リーゼロッテの世界は変わってしまった。お母さんは、忙しいんだ。お姉さんになるんだから、我慢しなきゃ。

 お姉さんだから、お姉さんだから。

 そうずっと言い聞かせて、我慢してたけど、やっぱり寂しい。


 リーゼロッテがずっと我慢してきた思いを告げると、三人は温かく受け止めた。


「……リーゼロッテはクロテッドクリームで、アウレリアはラズベリージャムなのかもしれない」

「え? アグニ。どういうこと?」


 リーゼロッテが小首をかしげると、アグニはティーカップの花をなぞった。その仕草を見て、石榴は大きく頷いた。


「そうね! まだ花なのね! まだ実になる前の花」

「花が実をむすび、その実に砂糖をくわえて、コトコト煮込む。そういう時間を経て、クリームと出会って、今日リーゼロッテの前で出会い、最高の組み合わせになった」

「つまりアグニ。リーゼロッテとアウレリアは、いずれ仲の良い姉妹になれる。それまで花を愛でるように、妹さんを見守ろうということかな?」

「我慢じゃなくて。いつか出会う、最高の組み合わせを、楽しみに待つ」


 リーゼロッテは改めて、ティーカップをじっと眺めた。

 可愛らしい花と実。最初はアウレリアを可愛いと思ってた。でもいつの間にか、お母さんをとってしまう、いやな子と思ってしまった。

 でも、本当にそうなのかな?


「アウレリアが、ミルクティーを楽しめるくらい大きくなったら、またここにくると良い。そのときは二人に、とびきりのティーカップを用意しよう」

「あたしが、とびきりの紅茶を入れてあげる」

「……とびきりののスコーンを焼いて、二人に似合う花を選ぶ」


 三人の言葉が、リーゼロッテの目の前できらきら輝いて見えた。


「……また、ここに、こられるの?」


 リーゼロッテは3人をぐるりと見渡して、おずおずとたずねる。

 最初から感じてた。リンのみたことのないすがたも、石榴の黒い猫のような耳も、明らかに異国人のアグニの発音がきれいすぎるのも、この世界が夢だからじゃないかと。

 あまりにみんなが優しくて、あまりに不思議で幸せで。

 今日帰ったら、もうここには来られないような、そんな気がしていた。


「約束しよう。レディ。時がきたら二人をここに招待すると。ここは移動博物館ティーセット。君が必要なときに、どこへでも飛んで行こう」

「移動博物館?」

「そう。時間も場所も飛び越えて。どこへでもでかける。それがここのルールなんだ」


 館長が髭を撫で、気取ったしぐさで、手を差し出した。


「別れと再会の誓いをこめて、握手をしよう」


 リーゼロッテはその大きな手にそっと触れた。

 大きくて温かで、優しい手に包まれたら、不思議と不安が消えて眠くなる。


 ──それが夢の時間の終わりだった。



 リーゼロッテが目覚めと、それはいつもの森の入り口だった。そっと目を伏せてお茶会の記憶を思い浮かべる。

 あれはやはり夢だったのだ。あんなに優しい人たちと、あんなに美味しいお茶ができるなんて。

 館長と握手をした感触を思い出そうと手を広げたとき、思わず声をあげた。


 手のひらに『移動博物館招待券』と書かれた紙が一枚。あのティーカップと同じ、ラズベリーの花と実が書かれている。


「夢じゃなかった。また会えるんだ」


 リーゼロッテは嬉しそうに笑顔を浮かべ、大切に紙を持ち帰った。

 いつか妹と一緒に、お茶会をする日を夢見て。

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移動博物館ティーセット 斉凛 @RinItuki

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