第6話 *ヒーロー視点

 正直、ザイラードは驚いていた。

 まさか、透自ら、東の森へ行きたいと言うなんて。


 ザイラードから見た透は善良で流されやすいタイプだ。そして、流されているのは弱気だからではなく、「めんどくさいから流されておこう」というような、どこか諦め、達観というような心境でのことだろうと見て取れた。

 透のそのような性格を「主体性がない」だとか「やる気がない」だと評することもできるだろうが、ザイラードはそのやわらかさが心地よかった。

 もちろん、出会った際に命を助けられたことも大きい。

 レジェンドドラゴンが自国を滅ぼす標的と定めた瞬間の恐怖や絶望は今も覚えている。歴史に残る滅ぼされた国は三つ。ザイラードの国は四つめになるのだろう、と。

 その絶望をいとも簡単に変えて見せたのが透だ。

 黒い髪も黒い瞳も神秘的で、ザイラードはすぐに伝説の「救国の聖女」であると感じた。

 透が疲れていることを知り、まずは体調を整え、休んでもらいたいと思った。救ってもらった自身と国。せめてできることはそれぐらいだ、と。

 使命感のようなものだったと言えるかもしれない。

 そしてその気持ちが、透と過ごすうちに「かわいい」、「楽しい」、「笑っていて欲しい」、「俺を見てほしい」に変わるのをザイラードは感じた。

 聖女として世界を渡ってきた透に対し、こんな気持ちを抱くことは罪ではないか? と考えたこともある。だが、ザイラードは正しさよりも自分の気持ちに素直な一面が強かった。

 そのような性格だからこそ、王位継承権もあっさりと放棄したし、王都での夜会の出席などもほぼしてこなかった。このまま騎士団長として辺境で暮らし、国を守る。王家の人間として、ザイラードができることはそれぐらいだろう、と。

 ザイラードは王家の人間であることを受け入れているし、恨んでいるわけでもない。だが、幼いころに見た権力闘争や周りの態度に嫌気がさしていたのは事実だった。


「その俺が、王家の人間であることを感謝できるなんてな……」


 ザイラードは部屋の中で一人ごちた。

 透が東の村へ行きたいと言ったため、今はできる限りの仕事を終わらせている最中だ。

 日はすでに沈んでいるが、書類の決裁や不在の間の諸事の連絡先などを整理しておきたい。自分がいない間にも第七騎士団の業務が滞ることがないように。

 ザイラードは今、自分が王家の人間であることに感謝している。

 過去に面倒だった権力闘争、女性関係、周囲との摩擦。それらを経験したからこそ、今の自分があるからだ。


「トールを守ることができる」


 第七騎士団のトップとして、透がここで過ごす間は透の手を煩わせることはない。部下たちとの関係も良好なため、騎士団員が透のことを軽んじることもなかった。

 透の暮らしを守ることができる、今の立場に満足している。そして――


「――手を伸ばすこともできる」


 透は「救国の聖女」だ。

 透が望めば、国は最終的には納得するだろうが、やはりできるだけ位が高い者と関係を持ってほしいはずだ。それが透自身を守ることにもつながる。

 ザイラードの「王位継承権を放棄し、中央と距離のある王弟」という立場は国にとっても、透にとっても都合がいい。

 そして、透とともに過ごしたいと思うザイラードにとっても。


「透はこの世界を好きになってくれているのだろうか……」


 ザイラードは仕事の手を止め、ふぅと息を吐いた。

 透が自ら、東の村へ行こうと言ってくれた。魔物の害や聖女の噂について確認し、できるならばそれを解決しようとしてのことだろう。

 この世界での暮らしを続けるため、またはより良いものにしようと、透が自然に思ってくれたのならば、ザイラードにとってこんなにうれしいことはない。


「……透はいつまでここにいてくれるだろうか」


 異世界から渡ってきた聖女についての過去の記録はない。

 今のところ帰る方法はわかっていないが、透は一度、不思議な夢を見たと言っていた。

 それが透をここへと渡らせた者との意思疎通なのだとすれば、透が「帰りたい」、「違う場所へ行きたい」と言えば、それを叶える力があるのではないだろうか。


「俺を選んで欲しい。……俺は欲深いな」


 透に好きだと伝えた。そして、透の頬に伸ばしたザイラードの手に、透は触れてくれた。ただ……。


「『好き』と返してもらってもいないのに……」


 ザイラードの言葉を拒否せず、受け入れてくれたように思う。触れた唇にも表情にも嫌悪は浮かんでいなかった。

 ザイラードが見つめればうれしそうに見つめ返してくれる。抱き寄せても逃げられることはない。

 自惚れもあるかもしれないが、透は異性として好きでいてくれているだろうとザイラードは思っていた。だが、きっと、あと一歩は踏み出せていない。

 ――それで構わない。

 ザイラードは透を諦めるつもりは一切ないし、透からの好意を無下にし、機会を逃すこともない。

 透と暮らし、言葉を交わし、二人で日々を過ごせば、ザイラードの気持ちも透の気持ちももっと育っていくはずだ。

 ただ、その時間があるのか。突然ザイラードの前に現れた透。だからこそ、突然消えてしまうこともあるのではないか。

 それを考えると、透をどうしても手放したくないと、気持ちが逸るのだ。


「……焦るな」


 焦ってはいけない。

 ザイラードは呟くと、もう一度、書類へと向き直った。この仕事を終わらせねば、透とともに東の村へ行けないのだから。


「焦れば、透は逃げるだろうしな」


 ザイラードに迫られ、頬を赤くし狼狽する透を思い出す。とてもかわいくて、思い出しただけで、自然とククッと声が漏れた。

 透は基本的にはめんどくさがりだ。

 ザイラードが焦り、無理やりことを進めた場合、透が「もう恋愛が無理だ」と結論を出す可能性がある。

 そうなれば、透は「お友達でいましょう」と言い出すのではないか、とザイラードは考えていた。


「……離さない」


 まずは透に「恋愛」を好きになってもらう。これが今のザイラードの目標だ。

 「恋愛は楽しくてふわふわして幸せだ」と透が信じてくれれば、透もザイラードの手を離すことはないだろう。そして、今の気持ちのままこの世界を好きになってもらいたい。

 もし、神が現れたとしても。

 この世界を――ザイラードを選んでもらえるように。

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