två : Blue Eyed Fiend

 記憶とは。映像であり言葉であり匂いであり感情である。

 実体のある記憶、なんて視たことも聞いたこともない。


 それは記憶というモノが。誰かの脳内で構成された想い出のカタマリであり、他の誰もがその全てを視たり知り得たりできないというモノだからだ。

 受け止め方も、思い出し方も感じ方も、個々それぞれ。

 故に、機械には……自分のようなアンドロイドには、記憶などという感傷的な概念は存在しない。

 あるのは記録メモリーだけだ。


 ばりばりばり――。



「またそんな。スキルアップにもエネルギーにもならないようなモノを口にして……」


 咀嚼、の音が止む。


「おかえり、 聖なる夜ホーリーナイト


 はぁ、と女の声でため息をつく音が聞こえた。


「……そんな哀しいような呆れたようなツラをしないでくれよ。コイツらの声ときたら、酷く耳障りで雑音マミレで、そのくせちゃぁんとした声は俺の耳には届きもしねーんだ」

「……だからって。メモリーチップをアナタがそうやって噛み砕いたところで、その彼等の記録なんて視えもしないんでしょう?」


 ばりばりばりばり――。


「俺が口にしたこの音は、確実に俺のこの頭蓋を模した頭部の中へと直接響く。コイツらが喚き散らす音よりもしっかりとだ。俺は……、この静なる夜サイレントナイトは。不鮮明じゃない音が欲しいのに。そうさ、キミの声みたいな」

「だったら。アタシが話し相手になると、いつも言っているでしょう」


 ばりばりばり、ばりばりばりばり――。

 次から次へと、別に全くそれを好んでそうしている風でもなく、静なる夜サイレントナイトは摘みあげたチップを口へと運ぶ。


「そんな、意味の無い行為――」


 呆れたような 聖なる夜ホーリーナイトの声も、まるで彼は気にも留めないかのように。

 ただ無心に、ただその音だけを求めているかのごとく。何度も何度も、その破壊音が鳴らなくなるまで自身のギザギザの刃物ような歯が装備されたその口で、ひたすらに噛みしめ続ける。


「だって、悲しいじゃないか」


 粉々に、また一つ貴重なメモリーチップを砂鉄状になるくらいまで噛み砕いてから、彼はそう口を開く。


 もう遠い過去の事、相手の喉を噛み砕く為に施した武装装備 カスタムは。例えその腕がミサイルで吹き飛んでも、可能な限り殺戮のミッションをこなすための装備。

 天使を模して作られた彼、初めは何の目的で作られたのかなんて、彼自身はもう覚えてすらいない。そんな彼の外装を兵器に仕立て上げたのは彼を生み出した人間であり。

 ……もう誰も彼も、この口では生きたまま愛してはあげられない。そう静かなる夜サイレントナイトは自嘲気味に、しかしあっけらかんとした表情を浮かべて笑う。


「俺はキミを愛しているし、鳥籠の中の愚かな人間達も愛してる。そんな世界を愛しいと思ってもいるけれど。誰も俺を愛しちゃくれない。そんな、そんな一方通行で、誰の記憶にも記録にも遺ってはいない俺を……。唯一皆さ、死に際にだけハッキリと見据えてくれるんだ。この屍体ガラクタ達のように」


 彼はその足下に視線を落とすと。狩人の残骸、屈強なカスタムを施していた物言わぬガラクタを興味を失ったようにぽいと投げ棄てる。

 僅かに残っていた電子信号が、まるで助けを求めるかのごとく、その指先のパーツをちろちろと動かした。


「人間はエネルギーに、スクラップはこのビックベンの鐘の音に……、死してもなお美しいとはこの事なのか」


 転がっている異形の機体よりも小柄な、まるで青年のような見目の彼は、そう言って透き通るほど美しいブルーの目を大きく見開いて。

 嬉しくてたまらないとでもいうように、その両の腕で己の機械の身体を掻き抱き、背中にある六枚の金属の翼を大きく広げ、彼は背後に佇む相棒を振り返る。彼女は少し肩を竦めて応えただけだった。


 途切れ途切れに、まるで命乞いをするかのように蠢く指が。断裂された頭部の空洞なアイパーツが、転がった先に佇む聖なる夜ホーリーナイトの足元に届く。まるで彼女の方に、慈悲の心でも期待するかのように。


 嘲笑――。


 金属が、擦れきしみ、潰され爆ぜていく音はまるで断末魔。


 狩人がその微弱な信号の残ったアイパーツで最期に捉えたものは、恍惚とした光を湛えたルビーレッドの瞳だった。


「慈悲? 厚意? 温情? 憐れみ? ごめんな。そんなもんは俺にも、ましてやアイツには。微塵もねーんだよなこれがぁ」

「意味のない憐憫が嫌いなだけよ」


 ああ、嗚呼、哀しい。ドリルが、キャタピラが、銃器が、鈍器が。そう囁く彼の背後で燃えて溶け落ちていく。彼の自信が、彼の虚勢が、まるでその武装が意味をなさなかったのと同じように——。


「世界は、畏怖の視線を俺に寄越すんだ。この世界はつれないゼ」


 鮮明に聴こえるのはその苦悶の叫び声。悲鳴が、人間の叫び声が懐かしい。

 赤い炎を見る度に、その真っ赤に飛び散る鮮血の記録メモリーが呼び起こされるようで。


 嗚呼、哀しい。そばにいて、誰かこの俺を、畏れずにただ愛してくれ。


 ジャック、ジャック。キミは何者でもなく、だけど誰でもあったのに。

 どうだい、ジャック? キミの作品は、キミの殺人は、美しく愉しいものだったかい?

 それはキミを確固たる存在にし、許されざる行為を崇高な未解決とたらしめたものではないだろうか。

 ほら、ほらジャック。ジャックザリッパー、キミはそうして、愛を手に入れたんだろう?



「"愛してくれ"だなんて。思ってもない言葉は、口にするものじゃないんじゃないの?」


鉄をも溶かす炎の中で、聖なる夜ホーリーナイトは無機質な声で表情も変えずそう応えた。


「だからアタシが、隣に居るんじゃない?」





◆◇◆◇◆◇◆◇





「で? クソガキども。ミーティングの前にちょっくらお説教ってやつだなァ」


 ——バッキンガム宮殿。

 その昔はこの国の王室の者達の住処で、近衛兵の交代儀式や豪華な庭園やロイヤルコレクション等が見ものであったそうだが、今やこの玉座の間と呼ばれていたトップシークレットの広間は、こうして水を引き入れ"彼"の住処すみかの一つともなっている。


「えーっ、またかよぉ旦那ァ。なんで? 俺今月は建物の損壊はゼロのはずだけどーっ」


 あからさまに不服そうな顔で、静かなる夜サイレントナイトがそう駄々っ子のように言えば、隣に立つ聖なる夜ホーリーナイトがスッと美しい動作でその片手を挙げる。


Sirサー. クラーケン? アタシも、なんの心当たりもないのだけど」


 オリエンタルな風貌、絶世の美女クレオパトラだか冥府の女神アヌビスだかを模して造られたとか、そんな噂すら囁かれるほど整った顔立ちと艶やかで長い黒髪。一見すれば人間となんら変わらないすらりとした肢体を、細身のレザースーツで包んでいる。

 足元は、過去に地球上のどこかで爆発的に流行ったド派手な女性ミュージシャンよろしく、ギザギザのスタッズが踵部分に埋め込まれた高いヒールを履いていた。


 ああもう、本当にお前らはっ! そう玉座の間の中央にどかりと居座る……白いイッカククジラはぺたりと胸びれを床につけて大きなため息をついた。


 イッカククジラといえどその大きさは軽く戦車ほどはあり、白い躰のあちこちにひび割れたような傷と、そこから金属のパーツが覗いている。角……ではなく牙と呼ばれるそれは、長く鋭いドリル状の物へとすげ替えられていた。


「いいか馬鹿野郎ども! 先日に先週に、スコットランドヤードから直々に苦情が届いてるんだ。そりゃもうお怒りだよ。なんたって鑑定不能、身元判別不可能な程にぐっちゃぐちゃな狩人の残骸なんて押しつけられちゃ、たまったもんじゃねーからな!! 所属や製造元を割り出そうにも、証拠の損傷が激しすぎて何の捜査も進まねーとよ!」


 元から紅いその目を真っ赤にして、「あとこれと、これと、先日のこの件もだっ」とべしべしと床に散らばる資料を叩きながら怒鳴るイッカククジラ。一方その怒りの矛先の二人は、まるでどこ吹く風といった表情だ。


「いーじゃん? 汝の隣人を愛せよって言うでしょ? 沢山たくさん刻んであげたんだけど」

Sirサー、アタシはコイツの一方的すぎる愛とやらに吐き気がしそうだったので、跡形もなく燃やしただけで……」

「だからァ! そういうトコロだぞお前らァ! 能力は認めてやるが、まるで中枢回路がイカれてやがるじゃねーか、このサイコキラーまがいの問題児どもめ」

「でもホラ、結果的にロンドンの平和は保たれてんじゃん? やり過ぎくらいがちょうど良かったり?」

「アタシも。不本意ながらそこはコイツの意見に賛成。目には目を、歯には歯を、殺意には殺意を……」

「お前、本部から許可を得て大学通わせてもらってんだろーがァ! 日頃何学んでやがるっ! あと言っとくがその学費は俺のポケットマネーだぞ、聖なる夜ホーリーナイト!!!」


 噴火しそうなメカニカルなイッカククジラと対照的に、しれっとした表情から「感謝してます、Sirサー. クラーケン」と聖なる夜ホーリーナイトは優雅に微笑むだけだ。


「あとお前らは別に平和は護ってねぇ、和平の天秤を微調整してるだけだ」

「旦那もそうカリカリすんなって、カラマリになっちまうぜ?」

「……名称の事を揶揄うのだけは許さんぞ小僧」


 怒るのにも疲れ果てたとでも言うように、呆れた表情でクラーケンが言い捨てれば、オーバーに両手を広げたしぐさで静かなる夜サイレントナイトが茶化しにかかる。


Sirサーはアンタと違って、生身の肉体を持つ希少種よ。全力で謝罪なさい静かなる夜サイレントナイト

「ん、イイねぇ? ヤろうっての? 聖なる夜ホーリーナイト


 数百年前なら、血相変えてロイヤルガードが止めに来たであろう玉座の間で。一方は大ぶりなショットガンを、もう一方はモンスターダガーナイフを嬉々として構える。


「おぅい、ヒトサマんちで壊し合いはやめろ問題児ども。私闘セルフィは壊れても修理しねーからな」


「むしろ好都合」「そいつは望むところだね」


「仕事の話をするぞー? エージェント616……?」




 天国への道は、千マイルの地獄。

 夢から抜け出せなくなり、夢の中で立ち往生する者達へ。

 混沌とした調和の歌を届けよう。


 静かなる夜に、聖なる夜に。

 日没後に争いを持ち込むのは誰か——。


 静かなる月夜に、赤い電話ボックスのコールが静かに響き渡った——。

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