ett : Double Agent 616

『エンジェル・コール・ナンバーって知ってる?』

『ゴールストン・ストリートにある赤い電話ボックス。そこに誰にも見られないよう入って、とある番号を打ち込むの。繋がるときもあるし、繋がらないときも』

『それでどうなるかって? さぁ、それは繋がった人のお楽しみ。でもどうしても叶えたい願いが叶うんですって、だからエンジェル・コール・ナンバー』

『ただの噂だろ? そんな胡散くさい』

『でも、なんだか妙に魅力的じゃない? しかも絶対に誰にも見られてはいけないなんて』

『どうしても叶えたい願い……ねぇ』


 ——願いが叶うエンジェル・コール・ナンバー。


 —— 数字は 616、間違えないで。


 ——願いが叶った人はどうなったの?

 ——さあ知らないね。だけど幸せに、世界のどこかで暮らしてるんじゃないの?


 ——世界のどこか?


 ——そう、例えば。このホワイトチャペルの外の世界とか……ね。




◆◇◆◇◆◇◆◇




Hi.はいはーい Dear親愛なる Bossボスへ

『本当に親愛なると思ってんなら、ワンコールで出ろ"静かなる夜サイレントナイト"』

「ヘーイ、クラーケンの旦那。そうカリカリすんなって、ちゃんとかけ直したじゃん? どうしたの? グレゴリオ暦365日の掛けるゼロ乗である本日も、人間さま達は滞りなく、生まれて息をし死んでおりますよっと。本日もこの街ロンドンは平和、平和、なんの問題もございませぇんっ」


 ロンドンの街を見下ろす、ウェストミンスターにそびえ立つ巨大な時計塔。その頂上に幾つも存在する窓の一つから、欠伸をするように背を伸ばしながら答える青年のようにも見える人影がひとつ。


「つーかワンコールってさ。相変わらずの懐古趣味レトロだね旦那はー、今時スマートフォンなんて不便なもの、連絡手段に使う組織なんていないんじゃねーのっ? 時代に沿ってさぁ、俺らみたいに最新鋭モダン科学技術テクノロジーで揃えようって」

『無駄口を叩く暇があんなら、仕事を増やしてもいいんだぞクソガキ』


 うっへぇ、と舌を出しながら青年は不満げな声をスマートフォンの向こうにいる声の主に届ける。


『久しぶりの夜の仕事だ、エージェント616。ところで聖なる夜ホーリーナイトは何してる?』


 あー、と呟きながら少年は眼下に広がるテムズ川から視界を移動させ、遠くホワイトチャペル区画近くのメトロポリタン大学を見やる・・・


「今日は授業なんでキャンパスにいるよ。コールしても出ねーんじゃないかなぁ」

『……あいつ、毎度思うが大学なんて通う必要あるのか?』

「ちょーっとクレイジーな利己主義者エゴイストの考える事なんて、俺にわかると思う?」

『俺にはお前らどっちも理解し難ェんだがなァ……』


 呆れたような口調で呟けば、それ以上に呆れた音声がスマートフォン越しに返ってきた。


「んじゃ、俺アイツに連絡入れとくからさ。今夜決行?」

『いや、一度バッキンガム宮殿に集合してミーティングを……』

「そんなん、電子レジュメで概要送ってくれたらいいじゃん」

『そう言って。毎度毎度お前らの価値観がどうやっても相容れずに、後処理や調整してる俺の身にもなれや』


 再度呆れた音声がスマートフォン越しに聴こえた。


「価値観だのなんだの、小難しい事考えずにさ。仕事は機械的かつ合理的に、サクッと簡潔にいこうよ旦那ァ」

『……機械的に、と言う割に。何事も縛られるのは嫌うじゃねーかお前は。あいつが利己主義者エゴイストなら、お前は偏愛主義者だろ』

「だって機械じゃん俺たち」


 ふふんっ、と笑い。少年はビッグベンの上層部、その高みより手にしたスマートフォンをその空へと高く高く放り投げた。なにやらブツクサとお小言が聴こえている気もするが、青年は笑って聞き流すだけだ。


「ちぇっ、そこは旦那ァ。博愛主義者って言ってくれなきゃ」


 くるくると宙を舞い、やがて重力に従い落下してくるスマートフォン。それを見つめる目は空よりも鮮やかな煌めくブルー。

 金色の長い髪に混じり、幾筋もの無機質で多種多様な素材で合成されたチューブが風に揺れる。その首にかけられているのは大ぶりのヘッドフォン。


「ダンブルウィードのように。風と共に飛ぶ……なぁんて」


 ヘッドフォンからジャカジャカと漏れ聴こえてくる曲に、独りそう返して。

 青年はその銀色に鈍く光る手足でタタッとその窓枠に飛び乗る。背に広がるのは黄金に輝く、金属でできた翼。


「俺から言わせりゃ、回転草ダンブルウィードは地を這ってるのと一緒。風に流されてるだけさ。時には風に向かい合って逆らって、飛ぶのだって自由なのにさ」


 タンッとその爪先が虚空に飛ぶ。

 翼を翻した青年が重力を背に受け、重力に逆らい、落ちるスマートフォンをその空の中でキャッチした。


「では、From Hell.地獄より ちょうど良いナイフを見繕っとくよ」


 返事は聞かず、そのままスマートフォンの通話ボタンをオフにした。何度か画面をその鋭い指で貫通させてしまった事があるので、正直さっさとこのレトロな機械からはおさらばしたいところなのだが。


 重力も、風も無視して虚空に漂う。

 閉鎖された都市、ロンドン。そのウェストミンスターからエンジェルステーション、イーストエンドのホワイトチャペルまでをぐるりと周回したエリアが、彼の担当区域、彼らの根城。


 絶滅危惧種の保護区ヒューマンサンクチュアリ。この地球上に点在する、そう呼称される人間の居住区のひとつだ。

 運よく昼間に彼の浮遊する姿を見た、翼のない囚われの人類は。彼を天使と呼び、手を振り笑顔を浮かべるという。



 近年、人類の為の設備は既に廃止/廃業/廃棄の一途を辿っている。

 何故か。答えはひとつ。『人類など、存在しないに等しい』からだ。


 より高度に、簡潔に。機械が機械を産む……否、製造する時代。


 空に飛んだ翼竜も、鳥も、今はもう居ない。それと同じように、人間を乗せた飛行機やロケットが空を飛ぶ時代はもう終わった。

 有るのはただ、平らに拡げられつつある金属の地面。


 海も、空も、汚染の限りを尽くされた。それでも人類は飽き足らなかった。

 それでも、足りない分は。海を埋め、空にそびえる何重もの建築物を創造した。


 果たして——。

 その時、人類は。空の棲み家を切り取る事に、海を侵し、地の底の一部を掌握する事に。

 そこに棲む、生き物の声は聴いたのだろうか。


 ——機械俺達だって、そんな聞く耳持たねーのに。


「それって、凄く愚かで。凄く凄く愛しいってやつじゃねーか」


 かつて人類が崇め、憧れ愛し祈りを捧げた神の使いを型取った機械の口に、そう笑みを浮かべる。


  誰も彼もに愛されそうなその姿。そう造られたその姿。

 しかし彼には、愛というものがわからない——。


 愛らしい笑みを浮かべたその口にキラリと光るのは、獰猛に並ぶギザギザとした歯。ペロリと舌舐めずりをした彼は、ヘッドフォンをその耳に似せて造られた場所にかける。


「なぁ、聴こえてる? 聴こえてる、聖なる夜ホーリーナイト? 俺オレっ」

『なに? 急に。あとその陳腐な詐欺師のような発言は慎んでくれない?』


 中枢回路に直接響いてくる音声が心地良い。

 青年——静かなる夜サイレントナイト——はご機嫌にその空を優雅に飛び、上昇していく。


「クラーケンの旦那がお呼びだ。夜に、バッキンガム宮殿な」

『オーケー、仕事?』

「久々のエンジェル・コールだな」

『了解。良い短機関銃サブマシンガンでも見繕っとくわ』


 へへへっ。と嬉しそうに。ギザギザの歯を出し惜しみもせずに、大きく口を開けて彼は嗤う。

 通信最後のお決まり文句とばかりに、愛してるぜと呟けば『人間の真似事はやめて頂戴』と淡々と返され、通信が切れた。


「そうこなくっちゃあ、聖なる夜ホーリーナイト




 眼下に広がるロンドンの街。富裕層と商業施設の区画、ウェストミンスター。

一般居住区画と言われつつも、貧困層とはストリート毎に区切られ、多種多様な人間が住まうホワイトチャペル。


 絶滅危惧種の保護区ヒューマンサンクチュアリには今日も狩人が紛れ込む。人間は興味本位で奴隷にも、バッグにもできるし、珍しい色のものは剥製としても高値で取引されるからだ。


 そんな無粋な狩人を、天上から狩るのが静かなる夜サイレントナイトの表向きの仕事だ。


 世界の構造は塗り替えられ、だけども現実は簡単には変わらない。

 歴史は繰り返すのか。しかし時代の感覚なんて薄れつつあるのに。


 はらりと鋼鉄の翼をはためかせ、天上の住人、守護者は狩人の目の前に降り立つ。


「さて、取引をしようか? お引き取りいただくか、それともブッ壊れてもらうか」


 謳うようにそう問いかける彼の手には、巨大な大鎌。

 その懐古趣味レトロな装備に狩人は嘲笑する。

 明らかにこちらの意図に反したその表情と、見下したような返答を二言三言聞き、静かなる夜サイレントナイトは嗤う。


「オーケー。ひとつ、伝えておくよ」


 その背に広がるのは、先ほどまでの美しい黄金色の一対の翼ではなく。

 禍々しい色をした二対が広がり、六つの鋼鉄の翼を持った異形へと。


「俺は決して善人ではない。そんな事これまで一度もなかったし、これからもそうさ」


 嘲笑は消え去り、狩人はその引き金を引いた、最大限の畏怖の眼差しと共に。

 しかし鋼鉄の狩人が放った対特殊装甲車用機関銃の砲弾は、その青い目の天使には届かない——永遠に。




◆◇◆◇◆◇◆◇




『知ってる? ゴールストン・ストリートにある、赤い電話ボックスの噂』

『ああ、それならこの間誰かに聞いたよ。願いが叶うんだって?』

『その噂、もうひとつの裏話があるって知ってる?』

『裏話……?』

『電話が繋がらなかった人間は幸福な証、だけど繋がった人間はどんな許されない願いも叶えてもらえるんだって』

『許されない願い……?』

『そう、例えば』

『例えば……?』

『……誰かを消したい、とかさ』



『同じキャンパスに通ってた、キャサリンが居なくなっちゃったんだって』

『居なくなった? 嘘でしょ、だって私達ってロンドンから出る事なんて出来ないじゃない?』

『そういえば知ってる? ゴールストン・ストリートの赤い電話ボックス』

『聞いたことある! エンジェル・コール・ナンバーだっけ? それがどうしたの?』

『実は言っていたの、キャサリンが。「電話が繋がった」って』

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る