第12話

 僕は「はぁ?」と声を上げたまま、絶句してしまう。

 何と答えて良いか分からないからだ。

 こいつ、何で?

 そう思って北島の様子を伺って、ハッとした。


 こいつ、鎌掛けやがった・・・。


 一気に顔が熱くなる。

 怒っている訳ではない。それよりも、感覚としては恥ずかしさの方が勝っている。

「すみません、『やっちゃった』って、言い方、悪かったですね。でも、そういうことになったんですね、やっぱり」

「北島・・・、お前ねぇ・・・、いや、あのさぁ・・・」

 僕はしどろもどろにしか言葉が出せずに、仕方なく手に持ったクラスを一息に煽った。

 つい先ほど注いだばかりのウイスキーは、僕の喉をこれでもかというくらい熱く焼くのだが、僕は更に注ぎ足して、それもゴクリと飲み干した。

 北島は「あっ」っと声を漏らし、二杯目を煽る僕を止めようとしたらしいが、それは間に合わなかった。

 それから今度はすまなそうに眉を八の字にして、神妙に言う。

「余計なこと、詮索しちゃったみたいで、すみませんでした。・・・けどマスター、俺が言うのも変だし、余計なお世話かも知れませんけど、マスターのこと、心配で・・・」

 北島が良い奴だってことは知っている。

 仕事では僕の右腕として、信頼もしている。

 現に今も彼に対して怒っていないし、今しがたの言動を嫌悪している訳でもない。

 ここはもう、開き直るしかなさそうだ。

「別に、隠してた訳じゃないさ。唯さ、そういうこと言うと、もし今度、お前とか岸本さんとかが彼女と会った時、そういう目で見ちゃうだろ?それがさ、何ていうか・・・」

「そうっスよね、ホント、すみませんでした」

「大丈夫だ、心配すんな、俺も北島君も、そんな目で見ないよ」

 いきなり隣から声がして、僕も北島もギョッとして岸本さんの方に顔を向けた。

「何だ、起きてたんですか?しかも、聞いてました?今の会話・・・」

「ああ、寝ちまったのは一瞬だ。ボンヤリ聞いてたよ。で、Tomyちゃんが本気なんだって、よーく分かった。あの美香ちゃんって子、いい子なんだね。それもよーく分かったよ」

 岸本さんは喉を潤すように、ハイネケンの瓶をチビリとやって、それから一息ついて続けた。

「でもね、俺も北島君も、他人事だから冷静なんだ。当事者のTomyちゃん、昨日から少し浮足立ってるみたいに見えるよ。いや、浮足立ってるようにしか見えないよ。冷静さを欠いてる」

 岸本さんの言葉が、やけに重たく感じられる。

 確かにその通りなのだ。地に足が付いていない感じはずっとしている。

 浮かれているというのとは違うのだが、岸本さんの指摘通り、冷静ではない自分にも気付いていたし、しかしそれをコントロール出来もしないし、しようとも思っていなかった。

「Tomyちゃんはさ、今はストレートに正面突破しようと思ってるかもしれないけど・・・。良いんだよ、それはそれで。でもさ、駆け引きっていうのもあるんだ、実際。多分、もう子どもじゃないんだ、お互いに・・・、君も、美香ちゃんも・・・。いや、分かるよ、Tomyちゃんの言いたいことも。『彼女はそんなんじゃない』って。『彼女のこと、何も知らないくせに』って」

 全て先回りされているようで、ぐうの音も出ない。

「いやね、勘違いしないでくれよ。何もTomyちゃんを否定したり、不安を煽って楽しんでる訳でもないんだ。当たり前だけど、Tomyちゃんが望む結果になって、更に言えば、その美香ちゃんだって喜ぶ結末になって欲しいんだ。ただ、冷静に、頭冷やすことも忘れるなって、そう言いたいだけ。何か手助け出来ることがあれば、何だって手伝うよ。ま、何が手助けになるかは分からんけど、何かあったら言ってくれ。俺も、それから多分北島君も、絶対的にTomyちゃんの味方だぜ」

「ありがとうございます・・・、でも、僕は・・・」

 やはりその先は言葉にならない。

「良いんだ、無理に色々とマイナスなこと、悪いパターンを考えろってことではないんだ」

「でも・・・。・・・やっぱり、岸本さんも、チーフも、何か裏っていうか、何か美香が隠してることがあるって思ってるんですか?」

「うーん、そうだな・・・。何かは分からないけど、隠してるっていうよりかは、言えないこと、かな、何か在りそうな気はする・・・」

「俺もそう思います」

 北島も頷きながら岸本さんに同意して、その表情は少し曇っているように見えた。

「・・・・・・・・。・・・そうですか・・・」

「俺はさ、それと多分北島君もさ、Tomyちゃん良い奴だから、ホントは俺たちの杞憂に終われば良いって、そう思ってはいるんだ。な、そうだろ?北島君」

「ええ、俺も同じこと思ってました・・・」

 暫くの間、三人とも黙り込んでしまい、少しばかりおかしな空気が流れる。

 耐えかねた訳ではない。いや、耐えかねたのか・・・。

 その空気にではなく、僕に対する二人の認識に。

「・・・俺は、良い奴じゃないです。まったく、ダメな、最低な奴です・・・」

 そんな僕に向かって、岸本さんは優しく笑った。

「そんなことないさ。Tomyちゃん、俺たちが知ってる君は、ずっといい奴さ。

 そう、そして、そんな君を、今の君、俺たちが知ってる君にしてくれたのが美香ちゃんなら、美香ちゃんもやっぱりいい子なんだと思うよ」

 僕は今ひとつ岸本さんの言っている理屈を理解出来ないでいると、北島が補足するように口を挟む。

「美香さんは、マスターの、富永カズヒロって人の本質を、当時からちゃんと見抜いていたってことじゃないんですかね。だから、マスターが本来あるべき自分の人格に気付いた、そのことに美香さんが気付かせてくれた。ね、岸本さんも、そう思いません?」

「そうだね、北島君ので、大体当りだと思う・・・。

 でもね、ひとつ、大事なことがある。

 人って、変わるんだ。

 良い悪いは別として。

 Tomyちゃんが変わったみたいに、美香ちゃんも、変わったかもしれない・・・。

 でもそれは、俺たち、俺と北島君には分からない。Tomyちゃん、君だけが知り得ることなんだ・・・」

 僕が良い奴?

 僕が変わった?・・・良い奴に・・・?


 いいや、僕は何も変わっていない。僕はずっと僕のままだし・・・。


 美香も、変わった?

 確かに、いきなり再会した時の印象は、昔と随分変わっていた・・・かも知れない。

 でも・・・、昔のままの『ミィカ』も、昨日、確かに感じることが出来たじゃないか・・・。


 岸本さんと北島は、一体何を言っているんだ?何が言いたいんだ?


 ・・・いや、本当は、僕にも分かっているのさ・・・。


 僕は、変わりたかった。

 確かにあの日、そう思った。

 こんな自分は、もう終わりにしよう・・・。そう思って、あの場所へ行くのだと、そう誓った筈だった・・・。


 でも、出来なかった・・・。

 そこから、僕の時刻ときは止まったままなのだ・・・。


 そして、恐らく・・・(本当は考えたくもないし、想像することが怖くて、頑なにそれを拒否する僕が居ることは心の何処かで理解しながら)、あの日以来、美香はきっと、変わったのだろうと・・・、そんなことは、分かっているのさ・・・。


 岸本さんや北島チーフが、僕を揶揄ったり、僕に意地悪や悪意を持って話している訳ではないことくらい理解している。

 それよりも、本当に僕のことを心配してくれているだろうし、彼らの目に映る僕は、本当に『良い奴』なのかも知れない。

 本当にそうだろうか?

 美香が、僕を変えてくれたのか・・・?

 さっき北島が言った、僕の『本質』、『本来あるべき・・・』とは、こういうことなのか?


 抑々、人は、変わるのだろうか?


 岸本さんは『人は変わる』と断言した。


 多分、それで正解なのだろう。頭では理解できるのだ、僕だって。


 それでも、それでも、それでも・・・。

 言われなくても、分かっている。

 でも、言ってくれるのだろう、予想通りに・・・。


 そんなことは、どうということは、いや、。いや、・・・。

 考え過ぎだ・・・。



 北島が口を開く。


 北島だったか・・・。


「美香さんは、そのぉ・・・」

「何だよっ」

 やっぱり、言うのか。

 言われなくたって、分かってる。考えないようにしているだけなんだからさ、だからさ、言ってくれるなよ。

「あのぉ、そのぉですねぇ・・・何て言うか・・・美香さん・・・所謂、もう、処女では無かったですよね?」



 んなこたぁ、どうでもいいんだよ。

 気になんかしていないさ。

 寧ろ、そうでなくて、ホッとしたくらいさ。


 嘘だ。


 ああ、そう言われると、そうだったな。

 今まで考えもしなかったよ。

 そんなことを、僕が、一々考えるとでも?


 そう、嘘さ。


 それは美香の問題であって、僕には関係のないことさ。

 美香の問題であって・・・

 僕には・・・


 ああ、そうさ。全部、嘘だ。


 だから、、それが正解だ。


「うん・・・。それは・・・、うん、そうだった、多分・・・」

 要領を得ない僕の返答に、北島が何かしらを言おうとした時、それを制するように岸本さんが先に口を開いた。

「よし、今日はお開き。考えたって仕様がない。一晩寝れば、良い考えも浮かぶかも知れない。な、今日はもう帰ろう」


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